初回
DQX毛皮を着たヴィーナス
前回
『毛皮を着たヴィーナス』誓約同意書
<慄然>
わたしは読み終わって慄然(りつぜん)とした。まだ取り消す時間の余裕はあったのだが、情熱による狂気と、わたしの肩にしなだれかかっている女性ヴァンダを見ては、夢中になって同意するばかりであった。わたしは彼女の強力な魔術的なまなざしによって、自由自在にひきまわされるかのように、ふるえる手でペンを握って、それに署名してしまった。
「それでは、あなたの旅券とお金を全部、お出し!」
わたしは命じられたままに財布と旅券を渡して、彼女の前にひざまづいて、その胸に顔を押しあてて甘美な陶酔にふけった。
するととつぜん、彼女は足でわたしを払いのけてさっさと立ちあがり、ベルの紐を引いた。
その音に応じて二人の若い黒人女が、手に綱をもってうやうやしくはいってきた。
わたしは床から起きあがろうとすると、たちまち二人の黒人たちの手で押し倒され、
手足をきりきりと縛りあげられてしまった。
「ムチをちょうだい、ハイデェ」
ヴァンダはいともの静かな調子で命じた。黒人女はひざまずいて、うやうやしくムチを捧げた。ヴァンダは黒人女たちに手伝わせて、重い毛皮を脱いでジャケットを着てから、
「この男を、そこの柱にくくりつけるのよ」と命じた。
わたしはイタリア風のベッドの大きな柱のひとつに、うしろむきにくくりつけられた。黒人女たちは、さっさと姿を消してしまった。
ヴァンダは左手を腰にあてがい、右手にムチを握ってわたしの前に立ち、背後からあでやかな嘲笑の声をたててから、冷酷な調子で、
「さア、これで今までのお遊び事は終わったのよ。これからは、死のまじめさで新しく始まるのよ。おバカさん。わたしはおまえを笑ってあげるわ、軽蔑してやる。わたしのような移り気の女に狂って、わたしの玩具になってしまった愚かなおまえは、わたしの愛する男ではなくて、奴隷なんだよ。今度こそ、このわたしというものを真剣に知らせてやる。まずムチの味を!」
荒々しい優美さで、彼女は貂の毛皮の袖をまくりあげると、白い肌の腕を上げてびゅーんとムチをふって、わたしの背中をめがけてばしっとうちおろした。
わたしは歯ぎしりしてちぢみあがった。ムチがナイフのように背の肉に食い込んだからだ。
「どう?いい気持ち?」
「・・・・・」
「それなら、こんどは、きっと犬みたいにあわれっぽい音をださせてあげるから!」
彼女は威嚇の言葉と共に、わたしを打ちはじめた。恐ろしい力で、つづけさまにわたしの背や腕や首にムチ打ちの雨をふらせた。わたしは歯を食いしばってたえた。彼女はわたしの頬を狙いうちした。なまあたたかい鮮血がたらたらと流れ落ちた。彼女は笑いながら、わたしを打ちつづけた。
「今になって、やっとおまえというものがわかった!」
彼女はあえぎながら叫んだ____
「こんなに完全に、わたしの力で支配できる人間を持つことは、たしかにひとつの喜びだわ。おまえはまだ、わたしを愛してるの?違う?ええつ!打てば打つほど、わたしの喜びは大きくなる!おまえのからだに切り裂いてやる!そら、芋虫みたいに身をねじれ!悲鳴を上げろ、泣き出せ!まだか!畜生!わたしに慈悲も情けもないってことが、わかったか!」
彼女は疲れたらしく、ムチを放り出して、長椅子の上に横になって、ほーっと長い呼吸をすると、またベルの紐を引いた。
「といておやり」
黒人たちはニヤリとして白い歯を見せながら、わたしの縄目をといて、そそくさとその場を去ったが、わたしはしばらく床のうえに倒れたままであった。
「ここへおいでグレゴール」
ヴァンダの魅力的な美しい声にひきつられて、わたしははうようにして彼女のそばへ近寄った。
「さあ、ひざまづいて、わたしの足に接吻して」
わたしは、白繻子の衣のすそから出された美しい素足に熱烈な接吻をした。
「グレゴール」
と彼女は、急におごそかな口調で、
「これからまる一ヵ月は、おまえはわたしを見ることはなりません。おまえは庭で園丁として働いて、静かにわたしの命令を待っておいで、さあ、出て行け!奴隷!」
次回
『毛皮を着たヴィーナス』給仕