なす日々

何かを成すつもりが、気がつけばこの歳に・・・でも、生きていれば何かは成している。

初仕事

2024-01-05 08:40:09 | 家族

夫は今日から仕事、とはいえ、明日から再び連休。

久しぶりに夫に合わせて5時半に起きる。

 

息子は相変わらずダラダラ。

最低でも8時までには起こしているのだが・・・

こんなんで新学期起きられるのかね。

今より2時間近く早く起きないといけないのに。

 

夫が仕事なので、私も、正月料理の後始末を終えることにした。

一番だしを大鍋2つに作ったのだが

1つは既に、鰹節と昆布を分けて冷凍した。

 

残りの1つの出汁を全て味噌汁鍋に移して、それは今晩の味噌汁に。

そして、昆布は細く切って、さつま揚げと人参と生姜で炒り煮。

鰹節は煎って最後に胡麻を入れてふりかけに。

どちらは醤油味醂味だが、昆布の方はさつま揚げや生姜が入るので

かなり味が違う。

 

 

この出汁がらで作る常備菜は、息子に好評なのだ。(渋いな)

昔は、二回に分けずに作っていたので

夫の弁当にひたすら入って、夫が飽きてしまったが

息子が食べるようになって、しかも、半分は冷凍するようにして

忘れた頃(とはいっても暖かくなる前ぐらい)に、また作るようにしたら

皆ストレスなく食べきる事ができるようになった。

 

ふりかけは水分が殆どなくなるくらいまで煎るので時間がかかるが

昔実家に居た頃は、正月は鯛の尾頭付き塩焼きも作っていて

まぁ、当然のことながら冷えた身はそのままでは美味しくなく・・・

家族が一回箸でつついたくらいで放置されるので

毎年でんぶを作る羽目になっていて、それを長々と煎る事に比べれば

自ら子どもの為に作るふりかけは、そう苦でもない。

 

料理は、実家にいる頃は難病の母に代わって、

昔の嫌がらせ的板前さん修行のような母の怒号に耐えながら

(自分が作れなくなって私が作る事が面白くなかったのだと思う。)

仕方なく作るようになり

さっさと家を出た姉や男である兄には何もさせなかった母に対して

「何故私だけ」という不満が「料理はできるけれど好きじゃない」に

なったのだなぁと、改めて思うのだった。

 

勿論、料理はできるに越したことがないし、

私の仕事場では、おさんどんができる私は本来の仕事プラスαとして

価値が上がったのは事実なので、今にして思えば良かったのかもしれないが

ずっと心の奥底に眠っていた怒りだったのだ。

こういう風に、問題を分けて考えると心の平安にも繋がるので

ほとぼりが冷めた頃?に整理するのは良いことだと自分では思っている。

 

だから、今の私は「気が向いたときに料理するのは好きは人」だ。

まぁ、大抵皆そうなのかもしれないけれどね。

でも、料理が好きな事を認めるのが嫌だった私からすれば

調理を少しでも愛している事を認識するのは呪いの解放の一つなのだ。

 

姉は母と真正面からぶつかって、今も尾を引いている。

私は母に隷属しながら不満をため込んでいただけだった。

母や周りに自分の気持ちをまき散らす姉を幼いと思っていたが

私だって、形こそ違え、あまり成長していなかったようだ。

 

支配的でヒステリー気質でネグレクトだが機嫌の良いときだけは手をかける母は

カリスマ的魅力もあり、まさにDVの要素を満たしていたが

元々何かしらの特性を持っていて、母自身の生育歴もあるから・・・・と

私は論理的に考える事により、自分の感情を蔑ろにしていた。

 

もう、とうに母はおらず、自分自身もアラ還になっているのに

まだ、傷を癒やす作業があるとは・・・

 

これもまた、新年の一歩だと思おう。