早朝の 高田松原津波復興祈念公園 を望む
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10月16日(日)
▲ 昨夜から車中泊した道の駅・さんりく (大船渡)
ここは海産物がウリの中心のようだ。
▲大型水槽にはいろいろあるが、やはり活ホタテ だな。
▲ 「活ホタテ 特大ねっ」
へい、何枚?
あの、1枚なんですけど。
よし、これで道の駅・さんりく を出発!
▲ ど根性ポプラ広場に寄る
後ろの防波堤の先が海。先の大津波の時は、この木の高さ(約25m)の半分が海水に浸かり、10数回に及ぶ甚大な破壊力の押し波、引き波にも耐えて悠然と立っている一本のポプラの姿は、茫然自失になっていた住民に奮い立つ勇気を与えた。誰からともなく「ど根性ポプラ」と呼ぶようになった。と説明看板に書いてある。
▲ ど根性ポプラ君(樹齢約80年)、オレにも力を少しくれや。
さらに海岸を南へ進んで
▲ 碁石海岸へ
三陸海岸に特徴的なリアス海岸の先端だ。2019年5月以来の2度目の訪問に。
▲ デッキを伝って碁石岬の先端へ。
▲ デッキの右側には、手前の雷岩とその右横の峡谷状の乱曝谷。
乱曝谷を通過する波が雷岩の右サイドに打ち付けて、ド~ンと低い重低音が鳴り響くのだ。
変わらず、鳴っていた。
デッキの左側には
▲ 向こうには、これもリアス式の先端の綾里崎が見える。
海はどこまでも群青で、穏やかな海。
▲ 碁石海岸の駐車場に戻って
昼食にしよう。前回はここのレストランに入って食べたが
今回は、朝に買った
▲ コレがある!
始めはパクパク開いたり閉じたりしていた帆立貝。
貝柱は包丁で切って炙り続けると
▲ 帆立が怒ったのかどうか知らんけど、ぷあーっと貝の口を開いたよ。
▲ 上の貝殻を外して、身を反対にして裏も炙って
このあと醤油を少し垂らして、食べた。うむ、珍味、美味い。
これだけじゃ満腹にならないので
▲ 即席チキンラーメンを煮て
ちびっと残したホタテを乗せて、ホタテチキンラーメン。
それでも足りないので、メロンパンをラーメンスープと一緒にかじった。うむ、満足。
(このヒト貧しいねえと笑っているでしょうアナタ)
碁石海岸から30分ほどで陸前高田市に入って、ここへ。
▲ 道の駅・高田松原&高田松原津波復興祈念公園へ
この道の駅も祈念公園も3年前にはまだなかった。
駐車場にクルマを停めて
▲ 左側が津波伝承館で右側が道の駅施設
二つの施設をつなぐ中央の入り口が、冒頭の写真。追悼の広場に出る。
▲ 追悼の広場
向こうの左右に広がる防波堤へ向かって、真っ直ぐに進む。
▲ 防波堤の前の川を越える橋を渡って進む。
▲ 「海を望む場」に出た。
▲ 花束
▲ 防波堤の下に下りると
▲ 両脇に、松が再び植林されている。ここは津波前には有名な松林が広がっていた。
▲ 家族がずっと海を眺めていた。
▲ 目の前は広田湾の海
次はアレを見に行こう。
▲ コレ、奇跡の一本松だ。
防波堤の前の川に沿って、少し歩けばすぐだ。
▲ 奇跡の一本松と陸前高田ユースホステル跡
三年前も、もちろん保存されていた。
▲ 約7万本の松のなかで唯一生き残り、保存されている一本松。
▲ 陸前高田ユースホステル跡
高田松原の中に建っていた宿泊施設。奇跡の一本松はこの建物のおかげで津波の直撃を逃れたといわれている。
前回はこんな目の前で見れるようには整備されていなかった。
手前の黄色い花は、花粉症の原因と誤って汚名を着た外来のセイタカアワダチソウ。ここにも繁茂していた。
▲ 夕暮れ近く
▲ ここの駐車場は広い。
今晩はここで車中泊の予定だが、海抜4m。ここの施設を除けば、あたり四方にはずっと住居・店舗的建築物は見当たらない。ただ野原。
▲ 「揺れを感じたらすぐに避難してください」か
1.5km先の気仙小学校へ。歩いては・・間に合わないだろうな。クルマで行くしかないな。
▲ 夕食は、さきほど道の駅で買った「さんまメンチ」がメイン。
寝る前に外をみたら、もう誰も停(泊)まっていなかった。色々な思い、考えで避けるのだろう。
ボクの場合、無頓着過ぎないか (笑)。
10月17日(月)
▲ 早朝
誰もいない「追悼の広場」。
まもなく清掃の方が一人来られた(冒頭の写真)。
手前の水たまりみたいな四方形には、常に薄く水が張られている。上の四方形は吹き抜けではない透明ガラスが張られている。下は津波を、上は空を象徴しているのだと思う。目立たないようにTSUNAMIメモリアルを具象化。
シンメトリック(左右対称)で、極めてピトレスク(絵画的)いいねえ。
今日は、ブログ作成日でして、朝からその作業に専念。
昼食時には、道の駅へ入って
▲ 海鮮丼を (いくらだったか忘れた)
蕎麦にモズクが入っているのがユニークかな。
3時頃に温泉へ行こうと近くを検索。
▲ 玉の湯
温泉旅館なのだが、ずいぶん内陸の山の中へスマホ誘導された。
「ご予約で?」
「いや、お風呂だけで」
▲ 誰もいなかったので。
こんな遠くまで来たのだからと、珍しくゆっくり入っていた。
ほんとは、このお風呂のあとそのまま次の道の駅へ移動走行するつもりだった。しかし6時ごろ到着になってしまう。暗くなっての走行は危ないので、再び道の駅・高田松原に戻った。
奇跡の一本松のおそばでの、二連泊となった。
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