遥か彼方へ

行きかう年は旅人なり
いずれの年よりか、片雲の風に誘われ漂泊の思いやまず
我、前だけを見据え最期まで走らむ

映画「海の沈黙」を観て~倉本聰=最新作

2024年12月07日 | 評論

 

12月2日(月)

 

近くのシネマコンプレックスへ、何年振りかで映画を観に行った。

▲ 席の予約はせずだったが、どこでも座れた。

 

 

▲ 映画の定番

ポップコーンバスケットを買って。バター味(左)とキャラメル味(右)のハーフ&ハーフで。

飲み物は? そりゃコーラでしょうが。(コーラはもう何年ぶりかだ)

 

 

▲ 開始10分前に館内へ向かう

 

で、観る映画は

海の沈黙 (公開日11月22日)

あらすじ

世界的な画家、田村修三の展覧会で大事件が起きた。展示作品のひとつが贋作だとわかったのだ。連日、報道が加熱する中、北海道で全身に刺青の入った女の死体が発見される。このふたつの事件の間に浮かび上がった男。それは、かつて新進気鋭の天才画家と呼ばれるも、ある事件を機に人々の前から姿を消した津山竜次だった。かつての竜次の恋人で、現在は田村の妻・安奈は北海道へ向かう。
もう会うことはないと思っていた竜次と安奈は小樽で再会を果たす。
しかし、病は竜次の身体を蝕んでいた。残り少ない時間の中で彼は何を描くのか?何を思うのか?彼が秘めていた想いとは? (公式HPより)

 

ポップコーンをポリポリ食べながら、観させてもらった。

正直言って、初めの数分二人とも寝てしまった。スミマセン、倉本先生。

 

感想:

我々二人には、この映画はいま一つ。

 

1・ テーマに共鳴できるか

そもそも、美とは何か。贋作だからといって、美の対象にならないのか・・といったのが倉本が取り上げたかったテーマ。先般、観光のために建てた越前大仏は奈良大仏より劣るのか(信仰的に、美術文化財的に)といった問題をボクは取り上げた。その問題意識と連なる。ただ、贋作はやはり贋作だろう。倉本が80年代に「北の国から」で突きつけたテーマは、「自然を忘れ効率だけを求める社会」はいかがなものか、みたいなテーマであったろう。日本がGDPトップに向かう風潮の中で、一般人の共感を得たのが大ヒット要因。しかし、「美とは」は倉本の大きな関心事であっても、一般人には?? 恐らく、一般人が一番今関心を持っているのは「電脳社会は我々をどこへ連れていくのか?」みたいなことだろう。その発想で物語を創造するのは89歳の倉本にはもう無理だろうし。

 

2・物語が面白く無い

テーマはともかく、それを根底にして作られた物語が波乱万丈・喜怒哀楽があれば楽しめるのだが。ストーリーが浅い。才有る画家が贋作に手を染める必然性、好きだった女との別れの必然性(女の背に入れ墨を描こうとすれば普通逃げられる)なぜ父母の遭難死の絵を最後に書こうとしたのかの納得性・・がいま一つ充分に描けていない。

 

3・ ミスキャスト

木本、小泉、中井、石坂、仲村等々の豪華キャストなのだが、それぞれ今までの俳優歴からの一般人にはイメージが確立している。そのイメージが今回の役どころとピッタリしない。それはしかたないとしても、キャストの実年齢と役柄の年齢に齟齬があって(この人はあの人より若いはずなのに・・)、一般人は役柄の上下感が混乱する。おそらく、倉本ドラマファミリーを優先した弊害だ。俳優さんたちに責任は無い。

 

倉本聰・近影

89歳の倉本は、売れる売れないは別にして、ずっと自分が書きたかったことを最後に書いたのだろう(註)。 その創作意欲には頭が下がる。

 

 (註) 倉本聰は東大文学部美学科卒。「美」には元々は関心が深かった訳だ。納得。

 

 


ニセコの夏① ~ 有島記念館の再訪

2024年08月17日 | 評論

 

8月14日(水)

 

道の駅ニセコビュープラザの朝

 

▲ 道の駅での中庭の花

今日は一日中曇り予想。ブログ書きだけしてとどまっていた。

 

▲ 夕方には薄っすら夕陽が。

明日は晴れの予報だからな♬

 

 

▲ この旅初めてのコンビニへ。セコマ。

冷やし中華を買って。

やはり夏はこれだな。

 

8月15日(木)

 

▲ うん、今日は晴れそうだ。

では予定どおりで。

 

9時ごろに、向かった。

▲ 先生、また来たよ。

 

先生の記念館へ

▲ 白樺派の先生らしく、エントランスは白樺並木が迎える。

 

 

▲ 右側の白い建物が、記念館資料室。

 

向こうには

▲ 記念館に付属する尖塔が、ニセコの空に向かって立つ。

背後は羊蹄山。雲で隠れている。

 

 

▲ 有島武郎記念館へ入る。

通常は有料500円だが、お盆期間中は無料だとか。ラッキー。

 

有島武郎についての概略:

有島 武郎(ありしまたけお、1878年(明治11年)3月4日~1923年(大正12年)6月9日)は、日本の小説家。学習院中等科卒業後、農学者を志して北海道の札幌農学校に進学、洗礼を受ける。1903年に渡米。ハブフォード大学大学院を経て、ハーバード大学で1年ほど歴史、経済学を学ぶ。帰国後、志賀直哉や武者小路実篤らと共に同人「白樺」に参加する。1923年、軽井沢の別荘(浄月荘)で波多野秋子と心中した。

代表作に『カインの末裔』『或る女』や、評論『惜しみなく愛は奪ふ』がある。(ウイキペディア)

 

▲ 記念館の中から

 

 

▲ 記念館の中から

向こうに見える山はニセコアンヌプリ。羊蹄山と対峙してこの地にある。

スキートレイルが見える。話題の外人買いはあの麓で。

 

記念館のライブラリーにある珈琲屋さん。

▲ この方とは、色々お話をさせてもらった。

この記念館の側に高速道が走り、道の駅ニセコビュープラザの近くにインターチェンジができるらしい。嘆いておられた。

 

 

▲ 豆はどちらにするか悩んだが、やはり深煎りが好きなので「生まれ出づる悩みブレンド」にした。

「今は苦くても必ず春はやってきます」か・・。自分はもう充分春だけど、涼しくなってほしい(笑)。

 

 

▲ 今飲む一杯のコーヒーは、「一房の葡萄ブレンド」で軽やかに。

有島武郎にこだわるのは、教科書に載っていた「一房の葡萄」からだな。有島が小学生の時、横浜のミッションスクールに行っていた時の体験をもとにした童話。多くの人が読んだかもしれない。けど多くの人は忘れている?(笑)。

有島武郎は理想と現実の相克に悩み続けた人

相克① キリスト教と現実の欲望世界の矛盾

青春期に罪意識に悩まされ、米国ではキリスト教国とはいえ欲望が主導する政治を目の辺りにし、失望。

 

▲ 羊蹄山にカンパーイ。ニセコにカンパーイ。

羊蹄山、だいぶ見えてきたかな。

 

 

▲ 蔦のからまる尖塔は、普段は昇れるのだがこの期間中は閉鎖されているとか。残念。

 

 

▲ 今回初めて知った池。

 

 

▲ 絶命危惧種イトウをこの池で繁殖させようとしている。

 

 

▲ 実際に泳いでいるイトウが何匹もいた。

 

 

▲ 今日は、この辺りを散策してみよう。

 

 

▲ 駐車場が設けてあるスポットにきた。

 

相克② 政治的信条と不在地主としての自分の矛盾

のちに有島はキリスト教徒を止める。一方、当時は共産主義的平等も喧伝された時代で有島も影響を受ける。事業で成功した有島の父は有島武郎にマッカリベツ原野と呼ばれたニセコの膨大な農地を与える。しかし彼は農場所有にうしろめたさを感じて

 

▲ 弥照神社(いやてるじんじゃ)

この神社に小作人を集めて、農場を土地共有という形で小作人に無償で開放した。

 

 

▲ 神社の横には、「農場解放記念碑」が立っている。

 

有島武郎は、農場を開放すると同時に、私財も無にする。新たに作家一本で生きていく決意をする。

しかし、妻と死別し三人の子供が残る。売れっ子作家になるが、まもなく文筆が行き詰まる。

相克➂ 自由な性愛と社会的制約

そのころ、婦人公論記者で人妻であった波多野秋子と知り合い恋愛感情を抱く。しかし、夫より金銭的代償さもなくば姦通罪での告訴の脅しを受ける。金銭的代償を良しとせず軽井沢の別荘で二人は情死する。

 

この情死は大反響を呼び、内村鑑三は大批判し、有島の作品はいったん教科書から削除された。

「あき子と愛し合ってから私は生まれてはじめて本当の生命につきあたりました・・」とは、なんとなく大げさな感じを現代人は禁じ得ないのでは。太宰治も情死した。余談だが、心中とは日本だけで海外にはない。なぜ日本人は一緒に死にたがるのだろう(笑)。

戦前は姦通罪というのがあって、道(倫)に外れた性的交渉は刑法に触れるため、にっちもさっちもいかなくて有島武郎は二人心中を選ばざるを得なかった。現代は法的罪には問われないが。中〇クン、情死する必要なくて良かったね(笑)。

 

▲ 有島武郎像

 

像の横にあるレリーフには

 

「秀峰羊蹄、ニセコ連山に抱かれたこの地は、白樺派を代表する作家有島武郎の生涯にわたる苦悩の場であり、慰籍であり、彼の作品の母胎の地でもある」

「彼の理想と精神は、幾多の不滅の作品と共に今日も、このニセコの大地に生き続けている」

 

 

▲ 有島記念館の前は気持ちのいい公園になっている。

雲はとれないが、羊蹄山もハッキリとしてきた。

 

▲ じゃあね。

 

さて、旅人は次の約束の地に行かねば。

 


青春のリグレット~NHK ユーミンストーリーズ

2024年03月09日 | 評論

3月9日(土)

 

 

松任谷由実の名曲からインスピレーションを得て、3人の小説家が生み出した3つの物語。ドラマ化をするために、映画、ドラマ、ミュージックビデオなどで活躍する3人の監督、3人の気鋭脚本家、豪華出演者たち、トップクリエイターが集結。それぞれの創造力が掛け合わされたストーリーは、郷愁の念を抱かせ、切ない気持ちへと誘い、一歩前に踏み出す勇気を与えます。(NHK)

第1週「青春のリグレット」(15分×4話) 3月4日(月)~7日(木) 夜10時45分
【原作】綿矢りさ 【脚本】岨手由貴子 【出演】夏帆、金子大地、片桐はいり、中島歩 ほか 

第2週「冬の終り」(15分×4話) 3月11日(月)~14日(木) 夜10時45分
【原作】柚木麻子 【脚本】ねじめ彩木 【出演】麻生久美子、篠原ゆき子、伊東蒼、クリスタル ケイ、浅田美代子 ほか 

第3週「春よ、来い」(15分×4話) 3月18日(月)~21日(木) 夜10時45分
【原作】川上弘美 【脚本】澤井香織 【出演】宮﨑あおい、池松壮亮、白鳥玉季、小野花梨、岡山天音、田中哲司 ほか 

 

~・~・~・~

で、今週は

「青春のリグレット 」だった。

「私を許さないで 憎んでも覚えてて」という鮮烈な歌詞を持つユーミンの名曲「青春のリグレット」から生まれた短編小説をドラマ化。何事もそつなくこなし青春を謳歌しながらも、いつも虚しさを感じていた菓子(夏帆)。一目惚れした浩介(中島歩)と結婚にこぎつけるが、4年で浮気され夫婦関係が破綻しかけている。菓子はやり直すために浩介を旅行に誘うが、旅先で昔付き合っていた男性(金子大地)のことを思い出しリグレット(後悔)ということ。

 

ということで、菓子(かこ)は、関係修復を淡く期待して、昔の旅先を再訪する。

ドラマでは八ヶ岳と設定されていた。八ヶ岳ならまかしといて(笑)。

 

▲ コテージからの散歩シーンが出て来た。

すぐ分かったよ。これ御射鹿池(みしゃかいけ)だ。

 

▲ 何度か来ているが、一番最近のは23年9月30日の御射鹿池。

 

池を通って、菓子は「しらかばヒュッテ」なる処に寄る。

 

▲ このヒュッテが現存するかどうかは不明。

ヒュッテの壁に貼ってある緑色のアレは・・

 

あはは~

▲ ボクの部屋に貼っている、八ヶ岳の鳥瞰地図だ。

 

何度もあちこち巡っている八ヶ岳とその山麓だが、ボクの青春のリグレットは・・(笑)

 

では、原曲を

青春のリグレット 松任谷由実 ライブ・レコーディング

この曲で印象的なのは

私を許さないで 憎んでも覚えてて 今でもあなただけが青春のリグレット

私を許さないで 憎んでも覚えてて 今では痛みだけが真心のシルエット

という奇妙な歌詞のリフレインだろう。

 

憎んでもいいから私を覚えていろ??

女性のリグレットは複雑そうだ。

 

 

 


大石静と『光る君へ』

2024年02月02日 | 評論

躍動せよ!平安の女たち男たち! 創造と想像の翼をはためかせた女性 紫式部 ~ 副題がイイネ。

 

~・~・~・~

 

 

▲ 「大石静ちゃんが、出ているよ」と

家内が婦人公論の2月号を持ってきてボクに見せた。

 

▲ 紫式部の時代に没入して 夫の死を噛みしめるのは、大河ドラマを書き上げてから

と題した2ページ半にわたるエッセー。大石静は大河ドラマ『光る君へ』の脚本家だ。

 

全部を紹介する気はないが、(ボクにとって)興味深いところだけ。

 

・放送はまだ始まったばかりだが、この脚本の仕事にとりかかって既に2年半たった。

・全部で50話だが、いま29話目を書き上げたところ。

・紫式部で分かっていることは、①父は漢学にたけたインテリ ②母は早く亡くなっている ➂貧しいながら文化的レベルの高い家庭で育ち、できの悪い弟がいた ④父の赴任で越前に行き、⑤京に戻って結婚するが3年で夫と死別 ⑥『源氏物語』を書くにあたっては、藤原道長のバックアップがあったと思われる

・わかっているのはそれだけなので、脚本家としてあとは自由に想像を膨らませることができるため、この仕事を引き受けた。

つまり、ほとんど大石静の想像作品になるだろう。

 

三郎(道長)とまひろ(紫式部)

 

肝心の道長との関係についても、「知り合いではなかった」という明確な記録がない以上、知り合っていた可能性もある・・という程度とおっしゃっている(笑)。

・大石にとって、『源氏物語』が宮廷ロマンス以上の魅力は「時の政権批判や文学論、下級貴族の娘として苦労するなかで培われた人生哲学が物語の端々に盛り込まれていること」だそうで。ふ~ん。

・「平安時代に関する思い込み」を変えられたらと思う。道長の「この世をば我が世とぞ思ふ望月のかけたることもなしと思へば」は藤原氏の独裁政治を表すものとして誤って解釈されている。史料を読むと、道長をはじめ官僚はよく働き、知的に政(まつりごと)を行い、天変地異の際には庶民のため救い小屋を建てたりもしている。天皇家に権力が集中することへの抑止力として藤原氏が台頭したわけで、いいバランスだった。平安の貴族社会は腐敗のイメージを抱きがちだが、平安貴族は流血の穢れを嫌って、死刑は刑罰としてあっても流罪を選んで、もめごとは話し合いで解決した。

・私たちが、集団で殺し合いをする武士に清廉なものを感じることがあるのは、明治政府が富国強兵を実現させるため、皆兵制、戦う体制に疑問を持たせまいとした教育の名残りでしょう。

 

このエッセーは女性向けの雑誌だけに、大石静にとって2年前に他界した夫が自分に果たした役割と感謝を綴るのがメインなのだが、今回は割愛させてもらう。(笑) 関心のある方は婦人公論を読んでくれたまえ。

 

 

▲ 大石静は、ボクとまったくの同い年。彼女の脚本のTVドラマは、時代潮流をうまく組み入れていてずっと注目していた。それよりもなによりも、家内の知人の奥さん夫婦が、大石静が売り出す前から昵懇(じっこん)の関係で、奥さんから家内は「シズカちゃんが、シズカちゃんが」と大石静の話しを良く聞かされていた。その知人のご主人が数年前に亡くなった時には、大石静はウチの近所での葬儀に参列。家内も葬儀に出たが、黒ずくめの参列者の中に、ひとりオーラを放っている女性がいて、家内はあれは大石静だと一目でわかったとか。家内は並んで参列。葬儀が終わって、自己紹介のあと、タクシーで駅に向かおうとする大石静ちゃんに、自分のクルマに乗せて送っていったとか。ホント。

 

大石静ちゃんは、ご自分の名刺の裏にケータイの番号を書き込み、「渋谷に来たらまたお会いしましょう」と言ってくれたとか。

 

 

大石静ちゃん、『光る君へ』の脚本をがんばって書き上げてください。「君が輝いていることが一番。家のことなんてしなくていい」とおっしゃっていた故ご主人に、早くご報告できるといいですね。

想像力いっぱいの物語展開を楽しみにしています。特に越前での話し。紫式部が1年ほど福井越前に住んでいたとは知りませんでした。そこでの展開もこれから出てくるということですから。(福井は私の出身地なので)

 

 

 

 


豊昇龍には 相撲文化は関係ない

2023年11月17日 | 評論

11月17日(金)

 

【九州場所】じらし立ち合いで注意受けた大関・豊昇龍 やはり〝朝青龍化〟の不安露呈 | 東スポWEB

【九州場所】じらし立ち合いで注意受けた大関・豊昇龍 やはり〝朝青龍化〟の不安露呈 | 東スポWEB

〝お騒がせ横綱〟と同じ道をたどるのか...

東スポWEB

 

 

やっぱり、こうなったか。

豊昇龍は、立ち合いを意図的に従来から遅くする。心理的に相手を”じらす”ことに依って、自分を有利に運ぶ作戦が見え見えだった。

それでも、大関に昇進した場所は大関の体面も考えたのか、じらしはとらなかった。その結果は惨敗。

今場所は連勝続きで、やはり自分は強いと、自信を取り戻したのか、またじらし作戦の開始。昨日はその自己中作戦の頂点だった。

相撲協会から注意されてしばらくは、かしこまるだろうが(かしこまらない?)。いずれ、また、じらしも睨みもやり始めるだろう。

この根は深い。草原では「勝つ」のが全てのモンゴルと、協調してみんなと田植えをせざるを得ない「和」の日本との文化の違いが根底にあるからだ。

 

さあ、チンギスハンの末裔は、今日からどう出るか。

 

おやじ チンギスハン

 

「お騒がせ」両雄

どっちが、どっちだ?