遥か彼方へ

行きかう年は旅人なり
いずれの年よりか、片雲の風に誘われ漂泊の思いやまず
我、前だけを見据え最期まで走らむ

青春のリグレット~NHK ユーミンストーリーズ

2024年03月09日 | 評論

3月9日(土)

 

 

松任谷由実の名曲からインスピレーションを得て、3人の小説家が生み出した3つの物語。ドラマ化をするために、映画、ドラマ、ミュージックビデオなどで活躍する3人の監督、3人の気鋭脚本家、豪華出演者たち、トップクリエイターが集結。それぞれの創造力が掛け合わされたストーリーは、郷愁の念を抱かせ、切ない気持ちへと誘い、一歩前に踏み出す勇気を与えます。(NHK)

第1週「青春のリグレット」(15分×4話) 3月4日(月)~7日(木) 夜10時45分
【原作】綿矢りさ 【脚本】岨手由貴子 【出演】夏帆、金子大地、片桐はいり、中島歩 ほか 

第2週「冬の終り」(15分×4話) 3月11日(月)~14日(木) 夜10時45分
【原作】柚木麻子 【脚本】ねじめ彩木 【出演】麻生久美子、篠原ゆき子、伊東蒼、クリスタル ケイ、浅田美代子 ほか 

第3週「春よ、来い」(15分×4話) 3月18日(月)~21日(木) 夜10時45分
【原作】川上弘美 【脚本】澤井香織 【出演】宮﨑あおい、池松壮亮、白鳥玉季、小野花梨、岡山天音、田中哲司 ほか 

 

~・~・~・~

で、今週は

「青春のリグレット 」だった。

「私を許さないで 憎んでも覚えてて」という鮮烈な歌詞を持つユーミンの名曲「青春のリグレット」から生まれた短編小説をドラマ化。何事もそつなくこなし青春を謳歌しながらも、いつも虚しさを感じていた菓子(夏帆)。一目惚れした浩介(中島歩)と結婚にこぎつけるが、4年で浮気され夫婦関係が破綻しかけている。菓子はやり直すために浩介を旅行に誘うが、旅先で昔付き合っていた男性(金子大地)のことを思い出しリグレット(後悔)ということ。

 

ということで、菓子(かこ)は、関係修復を淡く期待して、昔の旅先を再訪する。

ドラマでは八ヶ岳と設定されていた。八ヶ岳ならまかしといて(笑)。

 

▲ コテージからの散歩シーンが出て来た。

すぐ分かったよ。これ御射鹿池(みしゃかいけ)だ。

 

▲ 何度か来ているが、一番最近のは23年9月30日の御射鹿池。

 

池を通って、菓子は「しらかばヒュッテ」なる処に寄る。

 

▲ このヒュッテが現存するかどうかは不明。

ヒュッテの壁に貼ってある緑色のアレは・・

 

あはは~

▲ ボクの部屋に貼っている、八ヶ岳の鳥瞰地図だ。

 

何度もあちこち巡っている八ヶ岳とその山麓だが、ボクの青春のリグレットは・・(笑)

 

では、原曲を

青春のリグレット 松任谷由実 ライブ・レコーディング

この曲で印象的なのは

私を許さないで 憎んでも覚えてて 今でもあなただけが青春のリグレット

私を許さないで 憎んでも覚えてて 今では痛みだけが真心のシルエット

という奇妙な歌詞のリフレインだろう。

 

憎んでもいいから私を覚えていろ??

女性のリグレットは複雑そうだ。

 

 

 


大石静と『光る君へ』

2024年02月02日 | 評論

躍動せよ!平安の女たち男たち! 創造と想像の翼をはためかせた女性 紫式部 ~ 副題がイイネ。

 

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▲ 「大石静ちゃんが、出ているよ」と

家内が婦人公論の2月号を持ってきてボクに見せた。

 

▲ 紫式部の時代に没入して 夫の死を噛みしめるのは、大河ドラマを書き上げてから

と題した2ページ半にわたるエッセー。大石静は大河ドラマ『光る君へ』の脚本家だ。

 

全部を紹介する気はないが、(ボクにとって)興味深いところだけ。

 

・放送はまだ始まったばかりだが、この脚本の仕事にとりかかって既に2年半たった。

・全部で50話だが、いま29話目を書き上げたところ。

・紫式部で分かっていることは、①父は漢学にたけたインテリ ②母は早く亡くなっている ➂貧しいながら文化的レベルの高い家庭で育ち、できの悪い弟がいた ④父の赴任で越前に行き、⑤京に戻って結婚するが3年で夫と死別 ⑥『源氏物語』を書くにあたっては、藤原道長のバックアップがあったと思われる

・わかっているのはそれだけなので、脚本家としてあとは自由に想像を膨らませることができるため、この仕事を引き受けた。

つまり、ほとんど大石静の想像作品になるだろう。

 

三郎(道長)とまひろ(紫式部)

 

肝心の道長との関係についても、「知り合いではなかった」という明確な記録がない以上、知り合っていた可能性もある・・という程度とおっしゃっている(笑)。

・大石にとって、『源氏物語』が宮廷ロマンス以上の魅力は「時の政権批判や文学論、下級貴族の娘として苦労するなかで培われた人生哲学が物語の端々に盛り込まれていること」だそうで。ふ~ん。

・「平安時代に関する思い込み」を変えられたらと思う。道長の「この世をば我が世とぞ思ふ望月のかけたることもなしと思へば」は藤原氏の独裁政治を表すものとして誤って解釈されている。史料を読むと、道長をはじめ官僚はよく働き、知的に政(まつりごと)を行い、天変地異の際には庶民のため救い小屋を建てたりもしている。天皇家に権力が集中することへの抑止力として藤原氏が台頭したわけで、いいバランスだった。平安の貴族社会は腐敗のイメージを抱きがちだが、平安貴族は流血の穢れを嫌って、死刑は刑罰としてあっても流罪を選んで、もめごとは話し合いで解決した。

・私たちが、集団で殺し合いをする武士に清廉なものを感じることがあるのは、明治政府が富国強兵を実現させるため、皆兵制、戦う体制に疑問を持たせまいとした教育の名残りでしょう。

 

このエッセーは女性向けの雑誌だけに、大石静にとって2年前に他界した夫が自分に果たした役割と感謝を綴るのがメインなのだが、今回は割愛させてもらう。(笑) 関心のある方は婦人公論を読んでくれたまえ。

 

 

▲ 大石静は、ボクとまったくの同い年。彼女の脚本のTVドラマは、時代潮流をうまく組み入れていてずっと注目していた。それよりもなによりも、家内の知人の奥さん夫婦が、大石静が売り出す前から昵懇(じっこん)の関係で、奥さんから家内は「シズカちゃんが、シズカちゃんが」と大石静の話しを良く聞かされていた。その知人のご主人が数年前に亡くなった時には、大石静はウチの近所での葬儀に参列。家内も葬儀に出たが、黒ずくめの参列者の中に、ひとりオーラを放っている女性がいて、家内はあれは大石静だと一目でわかったとか。家内は並んで参列。葬儀が終わって、自己紹介のあと、タクシーで駅に向かおうとする大石静ちゃんに、自分のクルマに乗せて送っていったとか。ホント。

 

大石静ちゃんは、ご自分の名刺の裏にケータイの番号を書き込み、「渋谷に来たらまたお会いしましょう」と言ってくれたとか。

 

 

大石静ちゃん、『光る君へ』の脚本をがんばって書き上げてください。「君が輝いていることが一番。家のことなんてしなくていい」とおっしゃっていた故ご主人に、早くご報告できるといいですね。

想像力いっぱいの物語展開を楽しみにしています。特に越前での話し。紫式部が1年ほど福井越前に住んでいたとは知りませんでした。そこでの展開もこれから出てくるということですから。(福井は私の出身地なので)

 

 

 

 


豊昇龍には 相撲文化は関係ない

2023年11月17日 | 評論

11月17日(金)

 

【九州場所】じらし立ち合いで注意受けた大関・豊昇龍 やはり〝朝青龍化〟の不安露呈 | 東スポWEB

【九州場所】じらし立ち合いで注意受けた大関・豊昇龍 やはり〝朝青龍化〟の不安露呈 | 東スポWEB

〝お騒がせ横綱〟と同じ道をたどるのか...

東スポWEB

 

 

やっぱり、こうなったか。

豊昇龍は、立ち合いを意図的に従来から遅くする。心理的に相手を”じらす”ことに依って、自分を有利に運ぶ作戦が見え見えだった。

それでも、大関に昇進した場所は大関の体面も考えたのか、じらしはとらなかった。その結果は惨敗。

今場所は連勝続きで、やはり自分は強いと、自信を取り戻したのか、またじらし作戦の開始。昨日はその自己中作戦の頂点だった。

相撲協会から注意されてしばらくは、かしこまるだろうが(かしこまらない?)。いずれ、また、じらしも睨みもやり始めるだろう。

この根は深い。草原では「勝つ」のが全てのモンゴルと、協調してみんなと田植えをせざるを得ない「和」の日本との文化の違いが根底にあるからだ。

 

さあ、チンギスハンの末裔は、今日からどう出るか。

 

おやじ チンギスハン

 

「お騒がせ」両雄

どっちが、どっちだ?

 


「60代は人生の楽園だが、70代以降は一転」

2023年09月12日 | 評論

興味深い記事があったので。

 

「60代は人生の楽園だが、70代以降は一転」多くの日本人が天国から地獄へ

「60代は人生の楽園だが、70代以降は一転」多くの日本人が天国から地獄へ"メンタルの急降下"が不可避のワケ 人生の中で一番悩みやストレスがなく、のんきに暮らせる年代はいつか

人生の中で最も悩みやストレスが少なく精神状態が良好な時期はいつなのか。厚労省の最新データを分析した統計データ分析家の本川裕さんは「60歳代は20~50歳代の時より“のん...

PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

 

詳細はこの記事を読んで頂くとして

この記事の中心的なグラフは

 

 

「のんき度」は、10代の時が高いのは分かる。未来はバラ色に見えた。そして社会に放り込まれて一気にのんき度は落ちて、実社会の荒波にもまれていく。60代から再びのんき度は上昇し、60代後半・70代前半にピークを迎えて、それ以降は急下降していく。

 

のんき度を減じる要因は、次の図表で分かる。

 

これによれば、60代からのんき度が上がるのは、住まい、仕事、子供、収入に関する心配が減っていく(解放される)からだ。収入の心配が減っていくのは本当?と思うかもしれないが、厳しかったとしても現状を受け入れていくからだろう。

70代後半から、急激に悲観的になるのは「家族の病気や介護」に加えて「自分の病気や介護」が大きな原因で、当然ながら齢に合わせて加速していく。

 

男女の比較では、全年齢に渡って女性の方が男性よりのんき度が低い。これは家内など見ていて意外だったのだが(笑)。これについて記事では

①「収入・家計・借金等」で、男性より女性の方が何かと気苦労が絶えないという理由が第一。

②「家事」「育児」「妊娠・出産」、あるいは「自分の仕事」でなく「家族の仕事」「自分の病気や介護」でなく「家族の病気や介護」という女性に片寄って課せられているタスクによる悩みやストレスが大きい。

③さらに、家族あるいは家族以外との人間関係による悩みやストレスも男性より女性の方がずっと大きくなっている。

こうした悩みとストレスの総量の違いが、男性の方が女性よりのん気である原因であり、また結果であると記事は報告している。

~・~・~・~

 

自分のストレス、悩みは自分だけだと思うと、よりストレスが強まる。しかしこういう統計データを見て、「あー、オレだけ、私だけじゃないんだ、みんなも同じ悩みを抱えて生きているんだ」と思えたら、楽になる。

自分的には、65歳でリタイヤしてから「今が人生で最高の時間だ」と思ってきたが、まだ働いている方もいて少し後ろめたいところもあったが(笑)、「今がサイコー」と思っていいんだ。「これでいいのだ」という気になった。

 

 

問題は、これから自分の健康で「のんき度」は急降下していく運命にあること。「70代以降は多くの日本人が天国から地獄へメンタルの急降下が不可避」だ。みんなそうだ。

そうであればなおさら、そのことを嘆いているよりは、健康な今の瞬間を最大限に活かしたいと改めて思う。

 


美ヶ原高原美術館へ

2022年08月03日 | 評論

7月30日(土)

 

朝の5時ごろ。

▲ 標高が日本一高い道の駅・美ヶ原高原 の朝

 

 

▲ 山並みに面した駐車場から

 

 

▲ クルマがすでに集まってきている。

朝方の外気温は17度C。十分に涼しい (笑)。

夜中に少し雨が降ったが。今日は晴れて、夕方にかけてまた雷雨の予想。

朝食を作って食べて、朝9時からの野外美術館の開場を待つ。

 

▲ 一番で入場。

大人1000円(ネット割引で900円)。

 

▲ 地図

中央の道の駅の建物から入場して、右手を周って右手上のビーナスの城まで行く。その後は左手へ反時計回りにめぐって戻ってくる予定だ。

ここは、標高2000m雲の上のアートリゾート「美ヶ原高原美術館」。

大パノラマが広がる4万坪の展示場に350点あまりの現代彫刻を常設展示しているユニークでスケールの大きい野外彫刻美術館だ。ボクには2011年10月以来の訪問。

 

▲ 愛のモニュメント Monument "Amore"  新谷琇紀

ボクは左端の2体がいいな。

 

▲ 翔ける女 翔ける男

空に向かって翔けるような、この躍動感がボクをワクワクさせる。

 

うしろから眺めると、

▲ 妙にリアルな男女像が有って・・

 

 

▲ 家族 Human Family  1972  菊池一雄

家族という題だが、英題では動物ではなくHumanと断っている。「人間の家族とは」を表現したかったのだろう。平凡な顔の男女、女は逞しそうな表情だが男はお疲れモードにも、女は男を掴み、真ん中の赤子の手もさりげなく握って。この人間形態(夫婦?)は永遠か? 製作時から50年も経ったからな。

 

オオッ、あそこに

▲ すくっと立つ6m余の巨大な像

 

 

▲ うむう、圧倒的なボリューム

 

 

▲ アイアン・レディー Iron Lady  1982  関正司

ご立派です!

1982年の製作だから、当時の英国首相、鉄の女と異名のあったマーガレットサッチャーを想定してるのだろうか。

 

 

 

▲ 寄りかかる2体の像が置かれている。

 

 

▲ 壁に、脚を投げ出して寄りかかる男女

その肢体はひび割れて、ところどころが損傷、欠けて、崩れている。

 

 

▲ 時の残像 と名付けられた。

一気に解釈を試みるなら、二人の男女が共有してきた記憶、体験も、時を経ていけばボロボロに風化、崩れ去る・・ということを表現したかったのか。

 

 

▲ そして、二人は、今空を見上げて、何を想っているのだろうか。

見上げる先に、何かポジティブなものを見出したいが、見上げる方向も微妙に、異なっている・・

 

 

▲ 今、ボクが眺めるのは道の駅の駐車場(笑)。

 

 

 

▲ 書斎机の人 Man at Writing Table  1986  ベルト・アンテンシュタイン 独

かなりご高齢の人が、椅子にもたれて脚を机に投げ出している。何か大事なモノを握りしめ、考え込んでいるようだが、その表情は苦痛にさいなまれているような・・

ドイツ哲学は観念論。あたまでっかちで、考えなくても良いことまで考えて悩んで・・なんか役に立つの?

これ、ボクじゃないの。

 

 

▲ ビーナスの城

展示場の一番高台にある建物。

 

 

▲ 中に入って見ると、センターホールにはステンドグラスに囲まれた、ミロのビーナス像が。

 

 

▲ 塔の上に上ってみると

360度の大パノラマが広がる。

 

▲ 屋外展示場の全景

向こうの駐車場をズームアップ

 

▲ Harmony が。

まだこの時は駐車空があった。

 

中央分離の橋を渡って、左部分に移動する。

▲ のぞみ Nozomi  1968   清水多嘉司

空を見上げて、彼女が今何かを望んでいる との解釈か。両手を腹に当てているから、出産の望みかな。

 

そして、この蠱惑的な女性像は

▲ 両脚を大胆に押し曲げたポーズで

先のミロのビーナスも両腕が無かったが、あれは元は有ったが発掘時に失われたもの。この女性像は初めから両腕は作成されなかった。製作者の意図・関心はこのボディだけにあると言うことだろう。

 

 

▲ 大胆なポーズにも拘わらず、その顔はあどけなくも見える

 

 

▲ うっすらと、笑みをうかべて、恥じらうこともなく、前方を見据えている。

 

 

▲ ここまで撮るかよ、のアングルだが、追求心が強いもので (笑)。

臀部が、異常に強調デフォルメされている。

 

▲ 製作者は非常に心理学的な題を付けている

「心象」は心の中に秘めた形のはっきりしないイメージ・像。それに対して「表象」とは「心象」が外に現れ出たもの。それを美術作品と呼ぶかも。附された「中間距離」とは? 日本語は漢字が意味内容を含んでしまうので却って真の意味混迷になるが、英語はもっと直截なので英語から考察。 ”Appearance” とは、とにかく外に現れた「見かけ」。製作者の「心象」風景には、魅惑的な女体と清楚な表情が矛盾的に混在している。しかし、混在イメージのまま(思ったとおり)「表象」させると、この像になりました。この「表象」されたボディは、現実的には有り得ないもの。だから、現実>表象>心象の距離関係になる。現実と心の中の中間に有るものとして、この彫刻像を理解してください。ということか?

ああ、疲れた。

次、行こう (笑)。

 

▲ 雲 The Clouds  1986 市村緑郎

手を真っ直ぐ伸ばして擬人化された三つの雲。ドンドンと流れていく雲。背筋をピューッと伸ばして飛んでいくスピリットに惹かれる。

 

鏡面のような金属を打ち付けたオブジェがあった。

美しい彫刻像に触発されて

▲ 自分を映してみる気になった。

ああ、残念。きわめて貧弱、矮小化された自分が写った。(笑)

 

一番左端にある最大の建造物。

▲ マイ・スカイ・ホール(天をのぞく箱) My Sky Hole  1981-82    井上武吉

 

 

 

▲ ボクも箱の中から、天をのぞいてみた

覗いている自分が見えた。

 

もう一つお気に入りを

▲ フライングマン Flying Man 1986   佐脇健一

 

 

▲ 昔から空を飛ぶことは人類の夢

ボクも幼少の時から、よく自力で空を飛んでいる夢をみた。そのくせ高所恐怖症てのが笑える。

 

さあ、彫刻像も最後に近づいてきた。

コンクリートの壁前に、置かれた像があった。

 

▲ レダ Leda  1980     桜井祐一

恍惚感に浸る?女性

「レダ」を検索してみると、

ギリシャ神話で、スパルタ王テュンダレオスの妻。 白鳥に身を変えたゼウスと交わって卵を産み、それからヘレネ・ポリュデウケス・カストル・クリュタイムネストラの四子が生まれたという。

 

▲ うむ、ゼウスとの夢幻の時か・・

芸術だ。

 

 

▲ マリリンモンローも顔負けの モーレツ!! (ジジ、ふるくせーな)

で、お題は

太陽讃歌 Hail to the Sun    1982   桑原巨守

太陽を見上げて讃えるあまり、お召しもめくれ上がったということか。いいんじゃない。

 

さあ、終わった。

鑑賞し、思索し、堪能したね。

Life is short. But art is long. だね。

 

 

▲ 道の駅・美ヶ原 へ戻る。

2時間ほどのウオーキングに。

 

 

▲ 時は11時、駐車場は満車状態。

 

 

▲ うしろの高台が美ヶ原高原美術館だった。

さて、お昼を食べて、午後からは高原美術館のさらに後ろの、牛伏山を遊歩しよう。

 

To be continued...

(無断転載自由)