遥か彼方へ

行きかう年は旅人なり
いずれの年よりか、片雲の風に誘われ漂泊の思いやまず
我、前だけを見据え最期まで走らむ

ミツマタを見に栃木の焼森山へ①

2024年03月31日 | 日々の思い

3月31日(日)

 

▲ 「妖精の森」 だってよ

期待が高まるなあ♬

 

 

▲ で、ここは「いい里 さかがわ館」

 

 

▲ ここを拠点にして、明日はミツマタを見に行くぞ。

 

 

▲ さかがわ館の横の第二駐車場で、今晩は前日泊だ。

後背の山中に、ミツマタ群生地があるようだ。

 

 

 

▲ ミツマタ群生地のあと、焼森山にちょっくら登ってくる予定だ。

急に心配なのは

明日の天気だ。晴れが、曇り一時雨に、来てから変わってしまった。

ま、明日空を見あげて決めよう。

 

【続く】

 

 

 

 


お墓参り旅2~八ケ岳自然文化園へ

2024年03月29日 | 一般旅

 

まだここは冬の気配で

 

~・~・~・~

 

3月27日(水) 【続き】

 

▲ お墓参りのあと、それぞれ別に昼食をとって、道の駅ヘルシーテラス佐久南にいったん戻る。

そのあと、国道141号を南下。いつもの道の駅小淵沢に午後4時頃に入る。

 

 

▲ 先ずは、道の駅に併設されている「延命の湯」へ。

時間もあるし、今夕は家内の希望で1時間超のゆっくり湯。

だいぶ延命したかな。

 

お風呂のあとは、定番の館内の食事処「森樹」で、夕食を。

 

▲ まずはカンパーイ。

 

 

 

▲ ボクは、森樹蕎麦。家内は具沢山煮込みうどん。

 

 

▲ 餃子と素揚げ野菜も。

 

 

▲ 出た時には、もう薄暗くなっていた。

標高1000mのこの道の駅は夜間寒くなるだろうな。

FFヒーターを常時オンに。

 

3月28日 (木)

 

▲ 朝食

家内がいると、クルマでも、自宅でと似た朝食になる。

 

9時ごろ道の駅を出発。

さあこれから、初めてのスポットへ向かう。

 

▲ 白樺が並ぶ、別荘エリアに入ってきた。

二人の話しは、別荘を持つなら軽井沢がいいか、清里等の八ヶ岳がいいか、と全くの夢想の話しになる。

家内は華やか軽井沢、ボクはそんなベタなとこでなく、ここ静かな八ヶ岳となる。しかし一所ではなく、この移動別荘が一番いいと。いつも同じ結論で(笑)。

 

▲ 茅野の近く、原村の「八ヶ岳自然文化園」なる所に、とーちゃこ。

 

 

▲ セミナーハウスの他、コンサート、マレットゴルフ、アスレティック、ゴーカート、バイクetc アウトドアアクティビティができる場所だ。無料。

 

 

 

▲ 中心施設に入ってみる。

パンフ、お土産の他に、眼をひいたのは

 

▲ クロスカントリースキーの貸し出し。

この周りを滑るのだろうか。

 

では、すこし周ってみようか。

▲ 白樺林のウオーキングに。

雪がいっぱい残っている。

少し前なら、ブーツでなければ歩けなかったはずだ。

 

 

▲ ここに着いた頃から、曇りから青空に変わってきたよ。

ラッキー ♬。

 

 

▲ ピクニック広場で

雪でピクニックはまだ無理だが、もう少しすれば多くの家族連れで、にぎやかになるのだろう。

 

 

▲ 子供たちのためにと、小さいながら、アスレチック施設もある。

 

 

▲ 湿生花園と名付けられた箇所も

 

 

 

▲ 木道を歩いてみる。

しかし、まだなんの花らしい、植物は無かった。

 

 

 

▲ 丸いぼんぼり状のモノがいっぱいに。

あれは、ヤドリギだよ。

樹の枝に寄生してミネラルを吸い上げる。光合成は自らやる。

色んな形で、みんな生を繋いでいく。

 

▲ 白樺の端材が置いてある。

家内が、ウッドデッキに持って帰りたいというが、それは叱られるだろう。

 

1時間ほど歩いて、いったんクルマに戻る。

▲ 11時過ぎで、駐車数は増えていた。

残念ながら、ここでの車中泊はできない。午後5時になったら出なくてはいけない。もし車中泊できたら、1年中ネグラにするかも(笑)。

 

クルマで少し休んで、11時半に自然文化園内にあるレストランへ。

▲ デリ&カフェ「 K 」 に出向いた。

「信州諏訪発気まぐれ親父のブログ」さんの記事に紹介されていたカフェで、ここが今日の目的だった。2年ぶりに果たせた。

 

 

▲ 「お好きなところにお座りください」

中は円形で窓に面している。

 

 

▲ ご注文は、スマホでこのQRコードを読み込んで、スマホからの注文だとよ。

メニューは別途有るが、どこを見ても口頭での注文でもいいとは書いてない。(汗)

家内が注文して・・

 

▲ 運ばれてきた。

荷物は横のラックに置いて、ソファーに座って、チャチャと打って、頂く。

「いいわー」

 

 

▲ ボクは

「ハムステーキセット」 (残りわずかと表示があったので急いでインプット)

ロースハムは861(はむいち)とかの地場のモノ。

塩味が強く、味が濃い目なのが気に入ったよ。

 

 

▲ 家内は

「牛肉と地元野菜たっぷりのカレー」

 

 

▲ 向こうの山並みは、南アルプスか・・

ここ、秋は秋で紅葉。きれいになるだろうな。

 

 

▲ 飲み物は「黒糖ミルク」にして。

食事のあと、甘くて、癒されるカンジ。

 

 

▲ 一人席も窓側に用意していて

おひとり様の女性客もポツ、ポツと。

夏、秋のシーズン中は、めちゃ混むらしい。

対処するため、スマホ注文に切り替えたようだ。

 

▲ また、来るよ。

 

 

▲ 空は、又曇ってきた。

これで、お墓参り旅の予定は、全部終わり。

 

ここから20分ほどの諏訪南ICから中央道にのり、帰路についた。

自宅へは午後4時ごろに無事帰着。

 

2泊3日お墓参り旅:総走行距離 419km

 

 

 

 

 

 


お墓参り旅〜信州佐久へ

2024年03月27日 | 一般旅

 

3月27日(水)

 

▲ 昨晩、小雨が降りしきる中、午後7時ごろに道の駅・佐久南ヘルシーテラスに到着。

 

 

▲ 夕食

家内は、地場スーパーつるやで調達した鍋うどん、ボクは総菜で済ませる。

 

 

▲ 道の駅の朝

良かった。天気予報どおり久々の快晴だ。

 

 

▲ 朝食をゆっくりと。

道の駅は9時にならないとオープンしないからね。

 

 

▲ 道の駅で

 

 

▲ 供える花束と、もちろん信州りんごも。

 

 

▲ 出発!

 

20分ほどで、信州佐久のお墓に到着。

 

▲ 単線小海線に電車が走ってきた。

 

一族のお墓は、この沿線沿いにある。

 

▲ 栗がコロコロ落ちている径を進んで

この辺りの人は、栗なんぞ珍しくもないのだろうか(笑)。

 

 

▲ 奥に墓がある。

今日は家内の御両親の命日だ。

年を違えて、義父・義母とも同じ月日に亡くなった。仲の良いことだ。

で、墓参はまとめさせてもらっている。

 

 

▲ 花を供えて。

今年は、三兄弟をまとめて、住居が一番近い家内がお参りする。

 

終わって。

行くわよ・・

おおッ、こんな中にボクを置いていくなよ・・

ああッ、どんどん家内は去っていく・・

あああ、見えなくなるう・・

 

 

▲ はい、石灯籠から覗いての

ボクの妄想でした。

最近こんな夢をよく見・・・ませんが。

 

 

▲ あ、家内の幼馴染のNちゃんが、迎えにきた。

 

 

▲ ボクのクルマの後ろに停めて

 

 

 

▲ 八ヶ岳

昨日は寒くて雪が降った。Nちゃんの家にも積もったという。

 

ずっと右手には

▲ 蓼科山も見える

あはは、頂上だけ真っ白だ。

お椀をひっくり返したような蓼科山。家内は小さい時から、お供え山と呼んでいたらしい。

 

 

▲ それでは、シュッパーツ。

ボクは、道の駅ヘルシーテラスに戻る。

家内達はいつものように、一緒にお昼を食べにいく。

 

To be continued..

 


東証に上場する

2024年03月25日 | 日々の思い

 

▲ 東京証券取引所へ行くのは初めてだ。

あいにく、雨だが。

 

▲ 1階入り口には、本日上場する会社の関係者が集まっている。

 

 

▲ ボクたち二人は見学者として入場だ。

 

 

▲ 2階のバルコニーから、他の社員の方に混じって、上場セレモニーを見る。

 

 

▲ 10時より東証グロースへの新規上場セレモニーが始まった。

 

 

▲ 上場銘柄の価格が表示されるチッカー電光掲示板には

祝上場の文字が流れる。

 

 

▲ 上場通知書の贈呈

 

 

▲ チッカー前で、会社役員さん等の記念撮影

家内も感無量の面持ちで見下ろしている。

 

 

▲ そして、会社創設者二人が

 

 

▲ 一緒に上場記念の打鐘をする

上場セレモニー一番のクライマックスだ。

息子達が卒業まもないころに、この会社を興して20年。きょう、東証グロースでの新規上場となった。祝。

よくやったな。

 

▲ 親子三人でも記念写真を。

 

 

セレモニーを終えて

▲ 茅場町近くの蕎麦屋で三人で昼食。

 

 

▲ 若竹そば。

たけのこが柔らかく、いい味。

 

息子は会社に戻り

 

 

▲ 爺と婆は、久しぶりの日本橋へ。

 

 

 

▲ ボクは、眼鏡の修正のためパリミキの本店へ寄り。

そして言われた。「この眼鏡、もう20年使いましたね」。

 

そして、むかし懐かしい

▲ 日本橋三越へも。

春先のこの桜の暖簾は、今も変わってないようだ。

もちろんライオンも(笑)。

日本橋の投資顧問会社に勤めていた時、昼時はここをくぐって、三越の屋上で独りで弁当をよく食べていたよ。

 

デパ地下へ

▲ ベーカリーで好きなパンを見繕って

旨そうなパンばかり。

やはり都会のデパ地下は、品ぞろえが違う。

家内は、他にも好きな食べ物をどっちゃり買って、我々は三越を都会を、後にした。

 

 

 


失われた時を求めて

2024年03月23日 | 日々の思い

 

 

▲ 半年前に修理に出していたホールクロックが、戻ってきた。

前と同じように入口に置いてもらう。

コ~ン、コ~ン、コ~ン と リビングにいても、寝室にいても、優しいウエストミンスターの鐘音で時刻を知らせてくれる。ああ、聞きなれた音がやっと家に響いた。

 

このホールクロックは、35年前に今の住居の新築祝で家内の義兄から、贈られたもの。その後、コ~ン、コ~ン と玄関廊下で時を知らせ続けててきた。

 

それが半年前に、止まってしまった。こんな大型柱時計を修理してくれるところはなかなか無いが、ようやく明治25年に創業の東京堂時計店さんが修理を引き受けてくれた。

 

東京堂さんによると、この時計は高いよ。この木の種類を使った時計は、もう無いよ、と言われた。

と、言われると改めてこのもらい物に興味をもって、まじまじと眺めてみた。

 

▲ 文字盤の上部には ”Tempus Fugit" の文字が。その地球儀みたいな下には ”Urgos” の文字が書かれている。

 

 

▲ 文字盤の下部には、”WESTERN GERMANY” の刻印が有る。

検索してみると、統一前の西ドイツ、ウルゴス Urgos 社製の時計だということは直ぐ分かった。

で、”Tempus Fugit" (テンプスフジット)とは何ぞや。ウルゴスの時計には皆この文字が入っている。そのためテンプスフジット社の時計と紹介する記述もある(間違い)。

ウイキペディア照会では、”Tempus Fugit" とは ”時は飛ぶ” という意味のラテン語の成句だと。怠惰や先延ばしを戒める言葉として使われると。ウムム・・。日本語なら「光陰矢の如し」だな。

 

翼が生えた砂時計のモチーフ。墓石や記念碑などにヨーロッパでは刻まれるらしい。

 

英語でも、”Time flies like the wind" (風のように時は飛ぶ)、”Time flies when you're having fun" (貴方が楽しんでいる間に時は飛ぶ)のような言い方がある。

~・~・~

 

有限な個人の、有限な時間はどんどん失われていく。国ですら「失われた30年」だし(笑)。失う時で思い出すのは、

 

▲ そう、プルーストの『失われた時を求めて』"A la resherche du temps perdu " 。ギネスに世界最長の長い小説と認定されている。長ければいいもんではないが、プルーストは生涯をかけて究極の文学の在り方を自伝風小説の形で追及した。ジョイスの『ユリシーズ』などと共に20世紀を代表する世界的な傑作とされ、後世の作家に多くの影響を与えている。(Wiki)

 

有名なくだりは

ある寒い冬の日に、熱い紅茶を一さじ掬った時に混じった一片のマドレーヌを食べた時の快感で、それとまったく同じ快感を叔母が入れた紅茶で味わった幼少の記憶を鮮やかに思い出し、それをきっかけに田舎町コンプレー全体の光景が日本の水中花のごとくティーカップの中に広がった体験を彼は語り始める・・というくだりだ。

 

~・~・~

 

ところで、ぼくが唯一ブックマークしている「団塊シニアのひとりごと」さんの、今日の記事は「老いの途中76歳の実感」。

 

 

老いの途中76歳の実感 - 団塊シニアのひとりごと

人生には思うようにいかなかったこと、つらかったこと、悲しかったこと、羨ましく思ったこと、やり残したことなど数えあげたらきりがないほどあるものだが、そういうことは...

goo blog

 

 

その中で、

「そして自分の過去を冷静に検証することで、これからの自分に何が必要で何を支えにどう生きていけばいいかという現実が見えてくるような気がする」という一節があった。

ボクは過ぎ去った過去は振り返らずにとにかく、前だけ向いて進むことをモットーとしてきたが・・ 進む前に、今の自分の位置を正しく捉えるために、過去をそろそろ振り返ることも必要かも。ホールクロックを贈ってくれた義兄も3年前に亡くなって、もういない。義兄は色々と気配りをしてくれたが、それに感謝もせずにずっと甘えていたような気がするなあ。

 

マドレーヌは無いが、あんまんが手元にある。

よし、お茶を入れて、あんまんを頬張りながら、ボクの失われた時をめぐってみよう。

 

 

おまけ:

先日の横手山頂上の雲上ヒュッテ のレストランでもホールクロックがあった。

しかし、”Tempus Fugit" のラテン標語は無かった。大陸製だから。