10月18日(火)
2泊した道の駅高田松原を出発。
三陸海岸を南下し気仙沼市を経て、次に寄ったのは
▲ 道の駅大谷海岸
▲ 大型車駐車場に停める
手前の陽には雲が掛かると、遥か向こうの水平線がキラキラ光る。
▲ 道路を挟んでではあるが、海にダイレクトに接する道の駅。
海抜ゼロメートルの駐車場だが、そんなこと、キラキラ海が見えれば全く問題でない。
道の駅のメニューも充実していたし、次回の旅ではここで車中泊しよう。
さらに海岸線を南下。
そしてやってきたよ。
南三陸町。2011年11月と2019年5月の三度目の訪問。
▲ が~ん とこの建物。
今月10月1日にオープンした道の駅さんさん南三陸。これはあの隈研吾設計による 震災伝承施設「南三陸311メモリアル」。いつもの「地元野菜直販所」」がない、個人的には何とも立ち位置が分かりにくい「道の駅」。3年前には全く無かった。
それはともかく、今も有るのは隣接する
▲ 南三陸さんさん商店街 だ。
この絵は商店街の入り口と駐車場。
▲ さんさん商店街
2017年3月より平屋建ての店が集まって、ここで営業が始まった。
先ずはお腹が空いた。ランチだ。
▲ 弁慶鮨
列が無いし、ここがいい。
一人なのでカウンターへ。
▲ 注文したのは 「さんこめし」2500円(込)
はらこ あなご たこ 三種の出汁をいれたごはんに、その3種の具を乗せたから「さんこ」だとおねーさんが教えてくれた。
▲ うん、みんな入っている。
こういう、ごちゃごちゃ入ったご飯が好きだ。
昼食後の腹ごなしというわけではないが、これを見てこなくていけない。
▲ 川に掛った中橋を渡る。
この橋もクマケンの設計によるとか。
震災復興祈念公園へ。
▲ まずは、この遺構。
2011.3.11 以来、ずっとこの姿で残っている。
錆止めで赤く綺麗に塗り直されているが。
▲ 南三陸町の「防災対策庁舎」跡だ。
わざわざこんな対策庁舎を造っていたくらいだから、津波防災意識は十分にあったのだが・・
対策庁舎の裏手には、今回ボクは初めて見る施設ができ上がっていた。
▲ その中心は、この小高く盛った丘。
「希望の丘」
3年前には、ブルドーザーが動き回っているだけだった。
さあ、登ってみよう。
▲ 希望の丘から、防災庁舎、川をはさんでの道の駅&さんさん商店街を望む。
そして、希望の丘の頂上には
▲ 犠牲になった方々の名簿を納める「名簿安置の碑」
この曲線スロープは津波を表しているのだろうか。
いま、蒼き海に祈る
愛するあなた
安らかなれと
これ以上はない鎮魂の詞だ。
▲ 母と子
海の方向に歩いて行こう。
▲ 震災復興祈念公園の全景 を右手に見て
川に沿って海の方向へ。
▲ 川が海へ流れ込む。
あの大津波後の8ヶ月経って、ボクが南三陸に来た11年前の時は。
ガレキだけの平地を1時間ほど歩いて、あの向こうに見える海岸へ出ると
▲ 海岸では防波堤が壊れていて
今となっては、いかにもちゃちな防波堤には
「汚すまい この海 この浜 この港」
と書いてあった。海を守ろうとする心情があっても自然の脅威はべつもの、何とも物哀しい気になったのを覚えている。
さんさん商店街に戻る。商店街の片隅にはこの像。
▲ モアイ像
これは2013年5月に、イースター島の石を作って彫られたモアイ像がチリから志津川町を励ますために寄贈されたもの。
1960年のチリ地震津波で、志津川町だけで41名が犠牲に、多くの家屋が流出・倒壊した。それを機にチリとの交流が始まった。モアイ像は霊力を持っていると考えられ、「モアイ」とは「未来に生きる」ということだそうだ。
10月19日(水)
▲ 同じく道の駅さんさん南三陸 での朝。
朝の散歩。
▲ 南三陸311メモリアル から覗くと
Harmonyが見える。 (笑)
▲ 「すてきな建物ありがとう」の のぼりも。
ボクが見てブログに載せた隈研吾設計の建物は、これで3件目になるな。
スノーピーク白馬店
所沢・角川武蔵野ミュージアム
極めてアートな形状の建物で、住むわけにはいかない。パリコレの服を着て歩けないのと同じだ。
一つだけ文句を言いたいのは、当地の震災情報を提供し広く共有しようという「南三陸311メモリアル」が入場有料(大人1000円)ということ。道の駅高田松原にも伝承館「TSUNAMIメモリアル」があったが無料だった。ボクは当然、311メモリアルには入場しなかった。立派にし過ぎて建築費用が高くなり過ぎて有料にて償却が必要ということかと勘繰ってしまう。
きょうのお昼は、再度さんさん商店街で
▲ 志津川丼 2500円(込)
タコはこのあたりの特産だからこの丼にも入っている。
さあ、最後にもういちどさんさん商店街を見て。311メモリアルの2階テラスから(無料)。
▲ またな。
復興特別所得税なるものを我々は払っていることをご存じか。各自が毎年払う所得税総額の2.1%を「復興特別所得税」として加算して払うのだ。東日本大震災では(阪神他とは違って)復興費用を全額国費負担の方針を決めたからだ(除く原発関連)。2013年から始まって2037年までの25年間、国民みんなして払うのだ。多分、ボクが死んだあとも皆さん払うのだ(笑)。毎年総額4,000億円集まる。この税金は聖域化されていて消費税のようには、誰も減らせとか、どう使ったのかとは言いださない 。復興予算総額は約38兆円。少なくともボクは、時々復興状況をチェックしに行こうと思う(笑)。
余談だが、コロナ対策の国費用は57兆円。しかしこれの財源は?? 突然の疫病だから財源無し。国債だよ。コロナは終わった?いやいや。 これからも続くとすれば、コロナ防疫特別所得税(法人&個人)なるものができてもおかしくない。その方がある意味健全かも。
さあ、ご託はそれまで。いよいよ進路は帰宅へ。
▲ 途中で、旅最後のお風呂に寄る。
道の駅上品の郷に併設されている「ふたごの湯」だ。前も寄ったような?
このあと東北道に乗って、那須高原SAまで走ってそこで車中泊。
翌日SAでブログ書いて、午後4時半に無事帰宅した。
10月5日~10月20日 2週間のみちのく旅 総走行距離:1543km
了
全行程:
インフラ的には防波堤も再建強化、E45三陸自動車道(無料)も貫通、高台移転も終わっているようですから、あとは産業復興だと思います。三陸復興国立公園(旧陸中海岸国立公園)の観光地を訪れて消費することが我々のできるサポートかと思っています。お日さまキラキラ、美味しい海産物はもちろんですよ。