仏教の教えの中に、「飢饉の年ほど托鉢をせよ」という有名な言葉が有ります。
ちょっと聞いただけだと、飢饉で只でさえ、お米が無くて困っている庶民から、その上托鉢までして取り上げたら、庶民は益々食べ物が足りなくなるのに・・・・と、変な教えだと思う人が多いかもしれません。
でも、これが本当に効果がある事も有ったのだそうですよ。
そのメカニズムは色々あるのでしょうけれど・・・・・
言っておられる趣旨はぜんぜん違うのですが、「反戦な家作り」さんの
デフレギャップなんて無いに書いておられることを読んでいて、
私はこの仏教の「飢饉の時ほど托鉢をせよ」というフレーズを、思い出していたのでした。
経済はお金の総量が増えれば、それで順調になるというものではなく、
皆が安心して生活できる仕組みが確立していて、
必要な物が必要な人に確実に届くようになっている時、
経済は順調なサイクルを廻るようになるのだから、
いたずらに政府紙幣のようなものを発行して、経済の総額だけ大きくしても、
やっぱり持てる者にだけしか、行かないお金では、
結局経済は回復できないだろうと言うご意見なのでした。
現在でも、日本にあるお金が足りないのではなくて、
大企業には溜め込んだ資金が沢山あるのに、
それを減らすまいとして、無慈悲な位に性急に首切りを続けているから、
働きたい人(働く意思も能力も有る人)が、働くことが出来ないために、益々消費は落ち込み、益々不景気になってしまう。
そうなるとそれらの企業は、益々工場閉鎖などに解決策を求め続けるという、悪循環に陥入っているようです。
人が有効に働いたら、人の役に立つものを作ることができ、それを手に入れた人が、それによって満たされる、けれど働かなかったら、出来る品物の数は当然少なくなってくるでしょう。
そういうことが続くと、みんなが不景気と感じるし、
安心して生きていけない様になる。
だから必要なものを、必要なだけお金を出して買える様にしたら、(たとえ少なくとも安定した収入があるならば、)以前の私たちの様に、
月賦ででもほしいものを買おうとするでしょう。
しかし先行きどうなるか分からないと心配な時は、
貯金があったとしても、何かの時の為にと用心して、それを大事に残しておこうと思うでしょう。
経済は総量が無いことにはどうにもならないのは、言うまでもないことですが、
総量があれば大丈夫というものでもないというのも、又厳然たる事実です。
飢饉の年に、貧しい人に恵んであげた時、もし心の中が豊かになることが出来たならば、
豊かさも、貧しさも心の中から始まるものだから、
豊かさという動力を始める為に、托鉢が役に立つこともあるというのかもしれませんね。
政府紙幣など考えないで、企業の経営者たちに豊かな日本を取り戻そうという気持ちを起こさせる、何かを始めてもらえると良いのですが・・・・・