10月23日の県民体育大会、私は船橋市支部監督として出場する。
過去、長い間船橋支部が優勝していたが、ここ三年間は松戸支部に優勝旗を持って行かれているので何とか取り戻したい。
27日から妻とアメリカに行く。
今迄、短期間は何度も行っているが、仕事もリタイアしたし、暫くゆっくりして来たいと思っている。
妻はここ何日も前より買い物をして準備している。
カリフォルニア州のサクラメントからネバタ州のラスベカスまで、姪もいるので在住の姉夫婦と車にて10時間のドライブで遊びに行く。
ラスベカス近郊に米空軍ジェットパイロット「トップガン」の基地があり、姪が勤務しているので行けるらしい。
今から気持ちがワクワクして凄く楽しみにしている。
あとの予定は現地で考えながら決めたい。長年働いて来たので兎に角「ゆったり・のんびり」したいと思っている。
アイダホにいる甥、ボブが撮った写真
過去、長い間船橋支部が優勝していたが、ここ三年間は松戸支部に優勝旗を持って行かれているので何とか取り戻したい。
27日から妻とアメリカに行く。
今迄、短期間は何度も行っているが、仕事もリタイアしたし、暫くゆっくりして来たいと思っている。
妻はここ何日も前より買い物をして準備している。
カリフォルニア州のサクラメントからネバタ州のラスベカスまで、姪もいるので在住の姉夫婦と車にて10時間のドライブで遊びに行く。
ラスベカス近郊に米空軍ジェットパイロット「トップガン」の基地があり、姪が勤務しているので行けるらしい。
今から気持ちがワクワクして凄く楽しみにしている。
あとの予定は現地で考えながら決めたい。長年働いて来たので兎に角「ゆったり・のんびり」したいと思っている。
アイダホにいる甥、ボブが撮った写真
山口から帰った次の日の9~10日、友人たちと栃木県の今市に向かった。
4夫婦車二台に分乗して、東北高速道を東京~宇都宮~日光市の今市と約三時間のドライブ、連休の中日だったので渋滞もなかった。
今市のオリーブの里には午後三時に到着。
皆で近くを散歩しながら秋の景色を満喫した。
ここの宿舎は以前何回か来たことがあったが、数年前全面的に建直してそれからは初めてでまるで新築ペンションと変っていた。
お風呂は温泉で、豪華な美味しい夕食を頂きその後皆でお交わりしとても楽しかった。
翌朝又温泉に入浴、11時宿舎を出て今市近くで買い物を済ませ、連休の終わりで高速が混まないうちにと帰路へ。
午後2時に千葉に着いた。
(今市オリーブの里、日光の紅葉)
4夫婦車二台に分乗して、東北高速道を東京~宇都宮~日光市の今市と約三時間のドライブ、連休の中日だったので渋滞もなかった。
今市のオリーブの里には午後三時に到着。
皆で近くを散歩しながら秋の景色を満喫した。
ここの宿舎は以前何回か来たことがあったが、数年前全面的に建直してそれからは初めてでまるで新築ペンションと変っていた。
お風呂は温泉で、豪華な美味しい夕食を頂きその後皆でお交わりしとても楽しかった。
翌朝又温泉に入浴、11時宿舎を出て今市近くで買い物を済ませ、連休の終わりで高速が混まないうちにと帰路へ。
午後2時に千葉に着いた。
(今市オリーブの里、日光の紅葉)
翌日6日昼、お世話になった叔父さんご夫婦に駅まで送っていただき防府を後にした。
国体銃剣道種目は岩国市和木町で行われるが、山口県下すべてのホテル、旅館は昨年より予約満員で隣県の広島に泊まった。
防府から広島まで各駅停車で2時間40分、車窓から瀬戸内海の懐かしい景色、、幼い時から毎夏海洋訓練できた富海駅~徳山~光~下松どの駅も木造で古く、昔のなごりがあった。
缶コーヒーを飲みながらゆったり一人旅。
夕方、予約してあった広島駅の側のグリーンリッチホテルへ入った。
広島は特にカキ料理が名物で、早速街に出て、カキ鍋、カキのバター焼き、カキフライ等を食べに行った。
次の日朝早く国体開催地岩国和木町へ。
千葉県県連と合流、会場は町上げての歓迎ムードで、あちこちテントの中で町内の奥様方が総出で飲み物のサービスをしておられた。
開会式が始まり、地元の高校吹奏楽部や小学、中学、青年がいろいろな催し物で大会を盛り上げてくれた。
成績 少年(高校生)優勝 北海道チーム 準優勝 宮城チーム 七位千葉チーム
青年 優勝 熊本チーム 準優勝 山口チーム 千葉チーム3回戦で宮崎に敗退
*私は午後の新幹線で東京へ 妻が心配して待ってるだろうと勝手に思いながら・・・
故郷のんびり一人旅出来た事、とても良かった思う。協力してくれた妻に感謝!感謝!であった。
国体銃剣道種目は岩国市和木町で行われるが、山口県下すべてのホテル、旅館は昨年より予約満員で隣県の広島に泊まった。
防府から広島まで各駅停車で2時間40分、車窓から瀬戸内海の懐かしい景色、、幼い時から毎夏海洋訓練できた富海駅~徳山~光~下松どの駅も木造で古く、昔のなごりがあった。
缶コーヒーを飲みながらゆったり一人旅。
夕方、予約してあった広島駅の側のグリーンリッチホテルへ入った。
広島は特にカキ料理が名物で、早速街に出て、カキ鍋、カキのバター焼き、カキフライ等を食べに行った。
次の日朝早く国体開催地岩国和木町へ。
千葉県県連と合流、会場は町上げての歓迎ムードで、あちこちテントの中で町内の奥様方が総出で飲み物のサービスをしておられた。
開会式が始まり、地元の高校吹奏楽部や小学、中学、青年がいろいろな催し物で大会を盛り上げてくれた。
成績 少年(高校生)優勝 北海道チーム 準優勝 宮城チーム 七位千葉チーム
青年 優勝 熊本チーム 準優勝 山口チーム 千葉チーム3回戦で宮崎に敗退
*私は午後の新幹線で東京へ 妻が心配して待ってるだろうと勝手に思いながら・・・
故郷のんびり一人旅出来た事、とても良かった思う。協力してくれた妻に感謝!感謝!であった。
防府駅に戻ったらもう夕方6時、雨も止み暗くなっていた。
駅近くに、自衛隊時代の友人がスナックをやっていて、国体で山口に行くので必ず行く、と電話にて約束していた。
駅前から路地に入ってすぐその店はあった。
店のマスターは、習志野第一空挺団の空挺学生29期の同期生で、配属も一緒の群3中隊で「谷」、「松」と呼び合う親友で10年振りの再会である。
若い頃、大空を飛び回り、北海道大演習や新潟豪雪災害派遣、厳しい猛訓練(丹沢山中冬越え、250K行軍)、又向ヶ丘防衛博での出来事等、あの頃に還っての思い出を奥様を交えて酒を飲み交わしながら楽しく語り合った。
回想 「大谷空挺隊員(左端)前列右側 私 」 大空に舞う我ら青春に悔いなし!
駅近くに、自衛隊時代の友人がスナックをやっていて、国体で山口に行くので必ず行く、と電話にて約束していた。
駅前から路地に入ってすぐその店はあった。
店のマスターは、習志野第一空挺団の空挺学生29期の同期生で、配属も一緒の群3中隊で「谷」、「松」と呼び合う親友で10年振りの再会である。
若い頃、大空を飛び回り、北海道大演習や新潟豪雪災害派遣、厳しい猛訓練(丹沢山中冬越え、250K行軍)、又向ヶ丘防衛博での出来事等、あの頃に還っての思い出を奥様を交えて酒を飲み交わしながら楽しく語り合った。
回想 「大谷空挺隊員(左端)前列右側 私 」 大空に舞う我ら青春に悔いなし!
10月5日朝、目が覚めると雨がかなり強く降っていました。
今日は幼い頃より暮らしていた60年前の足跡を辿って歩く予定で、叔父さんはせっかくの故郷なのに残念と気の毒がっていました。
故郷の雨もまた良し!と思い傘を借りて10時頃叔父宅を出発。
まず防府駅へ行き、昔住んでいた場所に向かう事にしました。
雨の中あちこちゆっくりと想い出をかみしめながら歩きました。
途中、周りの建物はすっかり変わっていても、道路や神社、川、橋等の記憶を辿りながら、何度も間違えつつ、2時間後目的の場所に到着。
当時父はカネボウの工場に勤務していたので、私は社宅に住んでいました。
二階建ての長い建物で何十棟も建っていて、私の住居は一階真中でした。
炊事場、トイレも共同で3K位の部屋でした。
近所には子供達が多く、幼馴染の名前やその頃の顔が思い浮かびます。
しかし今ではその建物もなく、一面芝生になっていて遠くに小さな野球場が見え、昔の面影はありません。
確か近くで幼馴染が床屋をやっていると聞いていたので、訪ねて見ようと思い、お互いにいい年だし元気かどうか不安はあったが見つけて、扉をあけて名前を告げるとビックリ懐かしく握手して昔話に花が咲きました。
彼はいろいろ情報を知っていて、誰々ちゃんは防府で大病院の経営者で医院長をやっている、又誰ちゃんは神戸でヤクザの大幹部になったが10年前殺された、誰は痴呆になった又アルコール中毒や宗教に被れ誰も相手にしなくいま大病してる等ガキ仲間等何人もの消息をいろいろ話してくれました。
彼とは2時間位話込んで、名残り惜しいがお別れして、卒業した華浦小学校へ向かいました。
その頃通った同じ道を歩きながら、懐かしい小学校時代仲の良かった2,3の同級生の実家や商店を見つけ、消息を尋ねてみました。
(写真:住んでいた社宅跡、近くの入り江、幼馴染の床屋、母校の小、天満宮、桑の山)
今日は幼い頃より暮らしていた60年前の足跡を辿って歩く予定で、叔父さんはせっかくの故郷なのに残念と気の毒がっていました。
故郷の雨もまた良し!と思い傘を借りて10時頃叔父宅を出発。
まず防府駅へ行き、昔住んでいた場所に向かう事にしました。
雨の中あちこちゆっくりと想い出をかみしめながら歩きました。
途中、周りの建物はすっかり変わっていても、道路や神社、川、橋等の記憶を辿りながら、何度も間違えつつ、2時間後目的の場所に到着。
当時父はカネボウの工場に勤務していたので、私は社宅に住んでいました。
二階建ての長い建物で何十棟も建っていて、私の住居は一階真中でした。
炊事場、トイレも共同で3K位の部屋でした。
近所には子供達が多く、幼馴染の名前やその頃の顔が思い浮かびます。
しかし今ではその建物もなく、一面芝生になっていて遠くに小さな野球場が見え、昔の面影はありません。
確か近くで幼馴染が床屋をやっていると聞いていたので、訪ねて見ようと思い、お互いにいい年だし元気かどうか不安はあったが見つけて、扉をあけて名前を告げるとビックリ懐かしく握手して昔話に花が咲きました。
彼はいろいろ情報を知っていて、誰々ちゃんは防府で大病院の経営者で医院長をやっている、又誰ちゃんは神戸でヤクザの大幹部になったが10年前殺された、誰は痴呆になった又アルコール中毒や宗教に被れ誰も相手にしなくいま大病してる等ガキ仲間等何人もの消息をいろいろ話してくれました。
彼とは2時間位話込んで、名残り惜しいがお別れして、卒業した華浦小学校へ向かいました。
その頃通った同じ道を歩きながら、懐かしい小学校時代仲の良かった2,3の同級生の実家や商店を見つけ、消息を尋ねてみました。
(写真:住んでいた社宅跡、近くの入り江、幼馴染の床屋、母校の小、天満宮、桑の山)