運転歴50年の私は運転席に座るとまず最初に必ずドライバー手袋を着ける。
素手でハンドルを握る事は絶対にない。
若い20代の頃から安全運転の心構えとして自然に身についた。
二十歳の自衛隊時代、いきなり大型免許(国家公務員特例法)を取得し常に滑り止めのついた緑色の軍手をはめていた。
その後、すべての種類、大型特殊、牽引、大型二輪、大型二種の免許及び指導資格も取った。
教官時代は真っ白いドライバー手袋をし、又その後会長、社長運転士及び自家用車の運転は黒い革の手袋をしていた。
今迄、優秀ドライバーとして交通部長及び総監賞数回、A級、優秀指導員賞等いろいろな賞を戴いた。
しかし一回でも事故を起こしたらそんなのは何の価値もなくなる。
私にとってこのドライバー手袋をはめる事で安全運転、模範運転又同乗者への責任感など気持ちの切り替えが出来る。
(以下は妻のブログからパクリです)
たった2泊3日ですが、伊香保温泉に湯治に行って来ました。
転んでなかなかヒビが治らず体中が痛いと言っていた母も、温泉に入って温まると痛みも緩和されるようです。
あまりドライブが長いとそれだけで疲れると思い、近い場所を選びました。
伊香保のホテル天坊は大きなホテルで、温泉も広くたくさんあって、良いお風呂です。
ひざから下がしびれて歩くことに不安を覚えるようになった叔母も、迷っていましたが、決心して一緒に行きました。
ホテル内もカートを押し、杖を付き、ゆっくりゆっくりの移動。
私たちには何でもない緩い傾斜も高齢者の足にはこたえるようです。
それでも5~6回温泉に入り、おしゃべりしたり、食事したり…楽しい気分転換になったようで感謝です。
昔話に花が咲き、(驚くほど詳しくしっかり覚えているのにはビックリ、感心します。)
おしゃべりして良く笑うと食欲も出てくるし、イイですね。
帰りの関越道では上りも下りも起きたばかりの事故に遭遇しました。
横転したトラックの運転席はメチャメチャで、運転手がまだ助け出されていませんでした。
主人の安全運転にはみな安心して乗っていますが、いつも「初心忘れず」でいて欲しいと思います。
素手でハンドルを握る事は絶対にない。
若い20代の頃から安全運転の心構えとして自然に身についた。
二十歳の自衛隊時代、いきなり大型免許(国家公務員特例法)を取得し常に滑り止めのついた緑色の軍手をはめていた。
その後、すべての種類、大型特殊、牽引、大型二輪、大型二種の免許及び指導資格も取った。
教官時代は真っ白いドライバー手袋をし、又その後会長、社長運転士及び自家用車の運転は黒い革の手袋をしていた。
今迄、優秀ドライバーとして交通部長及び総監賞数回、A級、優秀指導員賞等いろいろな賞を戴いた。
しかし一回でも事故を起こしたらそんなのは何の価値もなくなる。
私にとってこのドライバー手袋をはめる事で安全運転、模範運転又同乗者への責任感など気持ちの切り替えが出来る。
(以下は妻のブログからパクリです)
たった2泊3日ですが、伊香保温泉に湯治に行って来ました。
転んでなかなかヒビが治らず体中が痛いと言っていた母も、温泉に入って温まると痛みも緩和されるようです。
あまりドライブが長いとそれだけで疲れると思い、近い場所を選びました。
伊香保のホテル天坊は大きなホテルで、温泉も広くたくさんあって、良いお風呂です。
ひざから下がしびれて歩くことに不安を覚えるようになった叔母も、迷っていましたが、決心して一緒に行きました。
ホテル内もカートを押し、杖を付き、ゆっくりゆっくりの移動。
私たちには何でもない緩い傾斜も高齢者の足にはこたえるようです。
それでも5~6回温泉に入り、おしゃべりしたり、食事したり…楽しい気分転換になったようで感謝です。
昔話に花が咲き、(驚くほど詳しくしっかり覚えているのにはビックリ、感心します。)
おしゃべりして良く笑うと食欲も出てくるし、イイですね。
帰りの関越道では上りも下りも起きたばかりの事故に遭遇しました。
横転したトラックの運転席はメチャメチャで、運転手がまだ助け出されていませんでした。
主人の安全運転にはみな安心して乗っていますが、いつも「初心忘れず」でいて欲しいと思います。
今日、妻に「頭の体操の為にそろそろブログ書けば」と言われた。
仕事をリタイアして生活のリズムが変わり、時間に余裕がたっぷりあり書きたい事はあるのに何となく面倒になった。
しかし これではいけないと久し振りにパソコンに向かった。
社交ダンスの仲間の女性に、5年前ご主人を亡くされ、自分も2年前心臓の大手術をされて心臓にペースメーカーを入れダンスに頑張っている方がいる。
障害者マークを付けた車を運転しながらレッスンに通ってきているが、本当にいつも笑顔で明るく元気で前向きな姿勢に感心させられる。
今日の読売新聞夕刊の記事「幸せ小箱」に100歳のおばあちゃん(東京都江東区の小松カツミさん)は92歳の時、心臓の鼓動が自然と弱くなって7回も心肺停止になり、その度に電気ショックや心臓マッサージで生き返ったと言う。
そのおばあちゃんはその時「川の向こうでみんなが、おいでおいでをしているのが見えた」と言っていたとの事。
その後カツミおばあちゃんは心臓にペースメーカーを入れ、現在もとても元気でリハビリのつもりで電動ミシンで色鮮やかな巾着を縫い始め、7回も生き返った人の幸運な巾着として、何万個も老人ホームや美容院などに配り、とても喜ばれ感謝状をいただいたとの事。
大変な体験をしながらも前向きに元気に生きている人を思うと、私はまだまだどこも悪くなく、感謝して生きていきたいと思った。
仕事をリタイアして生活のリズムが変わり、時間に余裕がたっぷりあり書きたい事はあるのに何となく面倒になった。
しかし これではいけないと久し振りにパソコンに向かった。
社交ダンスの仲間の女性に、5年前ご主人を亡くされ、自分も2年前心臓の大手術をされて心臓にペースメーカーを入れダンスに頑張っている方がいる。
障害者マークを付けた車を運転しながらレッスンに通ってきているが、本当にいつも笑顔で明るく元気で前向きな姿勢に感心させられる。
今日の読売新聞夕刊の記事「幸せ小箱」に100歳のおばあちゃん(東京都江東区の小松カツミさん)は92歳の時、心臓の鼓動が自然と弱くなって7回も心肺停止になり、その度に電気ショックや心臓マッサージで生き返ったと言う。
そのおばあちゃんはその時「川の向こうでみんなが、おいでおいでをしているのが見えた」と言っていたとの事。
その後カツミおばあちゃんは心臓にペースメーカーを入れ、現在もとても元気でリハビリのつもりで電動ミシンで色鮮やかな巾着を縫い始め、7回も生き返った人の幸運な巾着として、何万個も老人ホームや美容院などに配り、とても喜ばれ感謝状をいただいたとの事。
大変な体験をしながらも前向きに元気に生きている人を思うと、私はまだまだどこも悪くなく、感謝して生きていきたいと思った。