大空を見上げて

日頃感じていること

生涯スポーツ

2008-04-27 | Weblog
私は今、60を半ばを過ぎてしまいましたが、何とか健康保持の為 水泳、ウォーキング、武道と頑張っています。私の公務員時代の今年70歳なる先輩は東京マラソン完走、毎年自転車で日本中駆け巡り、陸上大会シニアの部で100m、200mに出場し好成績あげています。銃剣道も私と同じで教士7段で各種大会に出ています。若い時はオリンピックの選手と陸上競技を争った人でとても敵いません。私が妻の前で「もう俺も年だから大事に労わってくれ」と言うと必ず「Mさんを見習いなさい」と言われます。
彼の為に弱音をはけず迷惑してます。(冗談ですけど)「仕方がない。今日も頑張るかぁー!」
        写真は千葉の海岸にて(52歳の頃)

        
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

運動不足に空手指導

2008-04-26 | Weblog
私は28歳まで公務員でしたから、仕事が終われば自分の時間が充分あり、スポーツや余暇を楽しむ事が出来ました。その頃 私は仕事では武道「銃剣道」やラクビー又柔道、合気道等頑張っていました。仕事以外の時は仲間と空手に熱中し各種大会に出場、四段を取り、全日本空手道大会で準優勝しました。しかし経済的な事情で、やむを得ず国家公務員を退官する事なりました。 一般社会の会社に就職してビックリした事は、あまりにも自分の時間が無いことでした。朝6時に出勤して帰宅は22時30分、休みは週1回のみ、給料は残業がある為公務員の時より倍以上になりましたが、5,6年後体調を崩し又同僚も腰を痛めたり、ストレスで体調不調になる人が多くいました。私も年数を重ねるごとに体調に不調を覚え、これではいけないと考え、昼休み1時間と夕方20分の休憩時間を利用して運動しようと思いました。
最初は2~3人で会社の空き地で空手の指導がてら練習始めました。そのうちだんだん増えて20人以上になりました。そこで会社にお願いして1部屋をもらい、正式に運動部を開設しました。毎年部費もいただき空手指導の為のトレーニング器具も揃えていきました。その後年齢にあまり関係なく誰にも出来る運動に切り替え名前も東京ボディビルクラブに変え基礎トレーニングを主体とした運動にしました。そして社内でパワーリフッテング大会又東京都の大会にも出場し入賞するぐらい盛んになりました。そのお陰で私も同僚も健康になり、仕事のストレスも解消されました。 私はこの会社を3年前に退職しましたが、この部はまだ存続し私もいまだに時々行って運動させていただいています。「健全な精神は健全な肉体に宿る」と昔からことわざにも言われていますが、身体の健康維持はとても大切と思います。

      

      写真は会社の体育部一同(45歳頃)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アメリカの義兄から

2008-04-20 | Weblog
 「アメリカのお兄さんからメールが来たよ」と妻。
 このブログを読んで(兄は日本語が出来ないので姉に読んでもらって)これはとても面白いし、楽しみが増えたとのこと。そして一つ私にに聞きたいことがあるって ブログにアメリカの姉の事が全然書いてないけど忘れたのかな義兄は不満そう
 『あなたには美しくて、優しくて、愛するお姉さんはいないのか?』
   マイッタ マイッタ! 彼は無類の愛妻家である。

 
My wife received an e-mail from older brother in America.
He was very happy to read this blog and he has a question to me.
『Didn't you have a beautiful,kind and loving older sister・・・?』 

Oh!! I give in up. He is a devoted husband!
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

思い出のマッターホルン

2008-04-18 | Weblog

  この写真はスイス旅行、友人たちと3年前7月に行って来ました。
  
ヨーロッパには、何回でも行きたいと妻が言っています。
たまたまこのブログの背景もスイスの山波とマッターホルンのものを見つけ気に入っています。
  

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハイキング中止

2008-04-18 | Weblog
 明日19日(土)は、「新緑の東大千葉演習林」へハイキングに行く予定だったが、この大雨で中止になってしまった。残念!ここは春と秋の1年に2回だけそれも各4日間だけ一般公開される場所で、春は新緑、秋は紅葉が楽しめる。去年の秋のハイキングも素晴らしかった。
JR上総亀山駅の近くの長崎十字路→折木沢橋→演習林黒滝ゲート→猪ノ川林道→柚ノ木歩道下→地蔵峠→三石歩道→片倉ダム という約4~5時間で、ハイク中級のコース。途中登りやアップダウンもあるが、まぁ私たちにはちょうど良いハイキングコースである。 次回のお楽しみとしておこう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

銃剣道優勝大会

2008-04-18 | Weblog
 4月20日(日)第52回全日本銃剣道優勝大会が日本武道館で行われます。
 千葉県は県連の選手5名、実業団3名、監督各1名ずつの計10名参加します。
 私は銃剣道教士七段、日本体育連盟指導員の資格で実業団の監督として出場します。私はスポーツが好きで中学、高校と陸上「国体出場」。自衛隊時代はラクビー、又各種武道を経験しましたが、後年は銃剣道をさせていただいています。
銃剣道は剣道の竹刀と違って硬い木の棒で突くので防具は危険防止の為丈夫で重く、かなり体力が必要なハードな武道です。妻は年配者には厳しすぎる運動なのでそろそろ考えたら、と言いますが、武道が好きなので毎週1回習志野第一空挺団にて汗を流していす。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ちょっとブレイク -父の小噺-

2008-04-15 | Weblog
 私たちが子供の頃はテレビもなくゲームもなく、そんなに多くの楽しみはなかった。父は近所の子供たちをたくさん集めて、面白い話やタメになる話をよくしてくれた。亡くなる前、妻にもいろいろ話していた。
その一つを紹介すると、

            「たくわん風呂」
 昔、ばかだ、ばかだと言われている子供がいた。父親は親戚へのご祝儀を持たせてその子を使いに出した。行く前に、○○の家に行ったら、挨拶をしてその家の玄関の壁を見るんだ。そこに傷があるから、ここに絵でもかけたらいいですね、と言いなさい。息子は言われたとおりに言った。親戚の人々は、この子はばかだ、ばかだと言われているけれど賢いじゃないかと思った。そこへ馬を連れた人がやって来た。皆は立派な馬ですねと言った。持ち主は、いやお尻にちょっと傷があるんですよ。それを聞いた息子はすかさず、そこに絵でもかけたらどうですか・・・。
この子はやっぱりばかだった。
 また父は言った、熱いお茶を出されたら冷ますのに、たくわんを一切れもらって湯のみに入れてかき混ぜてから飲みなさい。言われたとおりにした息子を見て皆は、この子はばかだ、ばかだと言われているけれど賢いじゃないかと言った。さて夜も遅くなり泊まる事になった。お風呂に入ったら熱い! そこで、すみませんがたくわんを一切れくださーい・・・。  この子はやっぱりばかだった。 
                      オソマツ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

遠い昔の雪の思い出

2008-04-15 | Weblog
今年2月関東に久しぶりに積もる雪が降った。雪を見ると幼少の頃を思い出す。
私が小学2年の時、父が子連れの女性と結婚した。私に母と弟がいっぺんに出来て嬉しくて、新しくできた四つ年下の弟を可愛がりながらいつも連れて遊んでいた。
何ヶ月か過ぎてから、母は私と弟との差別を始めた。それが段々エスカレートして親戚や近所の人にも薄々分かり、陰から私を励まし助けてくれる人もいた。それが母には余計面白くなかった。父も何度かこの事で怒り母に注意してたようだ。母方の親戚は弟にグローブ、顕微鏡等いろいろお土産を持って来た。私は無視され何ひとつ貰った覚えがない。確か小4の時前の日から降り続いた雪が大雪となり弟(小1)は靴で、私は藁ぞうりで学校へ100mも行かない内に藁草履は破れ裸足で5kの雪道を裸足で学校に行った。先生から母が悪く思われるのがいやで足を雑巾で隠し、帰りも裸足で帰った。あまりの寒さと冷たさと辛さに涙をためて帰った事を覚えている。でも私は弟が可愛くて恨んだ事はない。弟も兄ちゃん兄ちゃんと言いながら私の側にいつもいた。弟が学校でいじめにあったらよく助けに行った。また川で溺れた時飛び込んで水を飲みながら助けた思い出がある。だって弟には何も罪はなく、何も悪くないのです。これが私の遠い昔の悲しくも忘れられない雪の思い出です。人間て素晴らしいけどまた悲しい生き物です。

      
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

尊敬する人

2008-04-14 | Weblog

 最近、特に親族間での事件の報道が多く気持ちが滅入る。何故だろう。親子、夫婦など家族は最も近い関係にあるので、多少は何処の家庭でもいろいろ問題はあると思うけど事件までいってしまうのは悲しい。私のブログに亡き父のことがよく出ますが、私の一番尊敬できる人は父なのです。父は私に最高の愛情を持って育ててくれました。(実母が私が4歳の時亡くなったので、特に結びつきが強いのです。)
今の時代少し差別的ですが、明治37年生まれの男なので仕方がありませんが士農工商の名残りで「お前は武士の子だ」で育ち、めめしくするのは女で男は常にキリッとしていなくてはいけないとの子育てで教育されて来ました。私はそんな父が大好きでした。94歳で、「ありがとう」の言葉を残して逝きました。
写真は成人式の日父当時57歳(山口県徳山市駅前写真館にて)

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

汝の敵を愛せよ

2008-04-13 | Weblog
 朝出勤の時妻から冗談に言われた「あなた。背筋を伸ばして、間違っても痴漢などしないようにね」「ばか、俺は武士の子だ。痴漢なんかするか!!」

 私は山口県に高校卒業までいました。根っからの長州人で、松田家の過去帳によると、先祖に毛利家の重臣がいて、幕末には松田家の親族が何人も死んだと記録に残っています。「武士の子はいつも正しく、ひもじい時も辛い時も悲しい時も自分に負けてはいけない」これが亡き父の教育方針でした。
 ところで妻は北海道の函館近くの出身ですが、妻の母親は青森県の六ヶ所村(原発で有名)の出身です。実は戊辰戦争で、薩摩・長州の連合軍が会津若松へ進軍し、白虎隊などで有名ですが、会津が負けた時、官軍は会津の残兵や住民をはるか遠くの青森の当時は人も住めないような、六ヶ所や八戸・七戸付近に強制的に移住させたそうです。
六ヶ所の妻の祖母の実家には、その当時の物と思われる品物がたくさんあったそうです。 と言う事は妻は幕軍の会津の血を引き、私は官軍の長州の血を引いているので、私と妻とは敵同士だったという事になります。
歴史の流れとはいえ、何だか妻に申し訳なく思います。
妻はクリスチャンで聖書に基づいて「汝の敵を愛せよ」の精神で赦すそうです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする