大空を見上げて

日頃感じていること

船橋花火大会

2009-07-31 | Weblog
 弟の葬儀後もいろいろ忙しい日々が続きやっと一段落したら、妻より何処か「花火を見に行きたい」と言われたが、今回は出かける気になれず「うん」答え生返事をしていた。
しかし妻の気持ちを少しでも癒す事ができるのならとも考えていた。
船橋市制70周年記念に船橋港親水公園で大々的に花火大会が行われる事を知った。幸い私の会社から600メートル先で、会社の5階建てビルの屋上から見えるとの事。
妻に其処で良いかと言ったら大賛成でしたので、一昨日の29日夕方会社まで来てもらい近くで夕食をすませた。
普段屋上は立入禁止だが、特別に守衛さんに屋上の鍵を開けてもらい、椅子を用意してもらい広い屋上に私達二人だけだった。
天気もよく涼しく、心地良い潮のかおりの海風が肌に触りとても気持ち良く贅沢だなぁーと思った。
午後7時45分、港の会場のマイクからカウントダウンが聞こえ、花火がドーンの音と共に連発そして仕掛け打ち上げと約1時間堪能した。
妻は「きれい!きれい!」と言いながら感激し喜びこの特等席に大満足のようだ。
私は花火を見ながら妻の笑顔の横顔を見、今年正月明けより母の体調が悪くなり看病の最中の弟の件、悲しい事ばかりで、疲れた心労が少しでも癒される事を願っていた。
これからも私達夫婦、生かされている事に神に感謝して前向きに明るく楽しく頑張りたいと思った。
    (写真:船橋市制70周年花火大会)
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懐かしい再会

2009-07-30 | Weblog
  先日の弟の葬儀で懐かしい方々にたくさん会いましたが、一番古くは41年ぶりで北海道からわざわざ来てくれたいとこでした。
彼は小学校の3年生頃だったと思いますが、まだ幼さが残るかわいい子でした。
私は中学3年生でした。
受付で記帳している横顔を見て恐る恐る声を掛けてみました。
「もしかして正○?」「そうだよ。よくわかったねぇ…」と。
今は歌舞伎俳優のナントかさんに似たイケメンになっていましたが、横顔に少ーし
面影が残っていました。
彼が来ると聞いていたのでわかったのかも知れません。

あと30年ちょっとぶりの方がお二人。
私は神学校に入学する前は、弟と同じY新聞社で働いていました。
そこの経理部で同僚だった小○さんと石○さん。
今はY不動産にいるようです。
小○さんは相変わらずスマートで、しかしお互いにやはり33年は過ぎていましたネ。
石○さんの方は声を掛けていただかなければ多分気がつかなかったと思います。
奥さんの眞○子さんの料理がよほどじょうずとみえて、かなりかっぷくがよくなっていました。
お二人とも社内結婚、それも経理部内の結婚でしたので奥様たちも同僚でした。
特に石○夫人とは、一緒に旅行をしたり退職後も時々会っていました。
結婚式にもお互いに出席しています。
弟もお二人にお世話になっていたなんて驚きました。
感謝です。
他にも会社の懐かしい方々が来ていて下さったようですが、お話することはできませんでした。

久しぶりに会う親戚や友人たち、いつも思う事は「今度はうれしい事で会いたいですね」です。(shizuko)


          (写真:故郷、北海道の大千軒岳)





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朝食と脳の働き

2009-07-29 | Weblog
  さっき「徹子の部屋」を見ていたら、朝ご飯を食べない人は子供も大人も脳の働きが悪く、成績も良くないし夢を実現させる力も乏しいと、脳トレを提唱した先生が言っていました。
脳トレはとても大事で、簡単なドリルを続けることで認知症がかなり改善された例もあげられていました。
ご飯に味噌汁(具がいっぱいのものが良いが面倒ならインスタントでも良いと)、玉子焼きとさかなとか、和食がいいようですね。
パンに味噌汁でもいいようです。

我が家の朝食はパンにミックスジュース(牛乳、バナナ、きな粉、人参、ハチミツ)が多いのですが、もうちょっと考える必要がありそうです。
パンもここしばらくは焼かないで市販のレーズン入りのロールパンを食べていましたが、明日からまた自分で焼こう!と思いました。
チーズ、トマト、ピーマンを乗せて焼くと野菜も摂れますね。

「物忘れ」は年のせいだけではないようです。 (shizuko)

    (写真:久しぶりで会った姪の子、ゆずちゃん。しっかり食べていそうです)

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故郷に豪雨

2009-07-28 | Weblog
 この度の豪雨で話題の山口県防府市右田はいつも頭にある私の故郷である。
現在、亡き従兄の家族が右田に住んでいて奥様に早速電話をして聞いてみたら、土石流がすぐ近くまで来ていたとの事。
そこから少し離れているので今のところ家には影響ないが、100mほどのところを高さ5メートルの鉄砲水がきて近くの家屋は次々と浸水し、16名の死亡者が出たという。
幼い時より高校まで右田で山登りや佐波川で泳いだり、魚つり等懐かしい想いでの場所である。
TVのニュースで見る下右田の被害状況はひどく、私がいつも懐かしく描いている故郷が破壊され残念でならない。
一日も早い復旧を願いながら昔の故郷が取り戻されるようにと祈っている。
    
   (写真:よく登った右田ヶ岳より防府市内を一望)

義弟が召されて10日過ぎた。
悲しみを癒すように仕事が忙しくなり、昨日は埼玉副都心~筑波山~土浦~佐原と350k車で走行し、夕方は会社関係のお通夜、今日は本社関係のお通夜で遠方なので帰宅は夜遅くなるだろう。
明日も早朝よりの仕事があり忙しい。
時々空を見上げて天国の弟に「そちらはどうですか?」と話しかけている。
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久しぶりの体操クラブ

2009-07-27 | Weblog
  毎週月曜日は近くのゴルフ場で体操をしていますが、この4ヶ月間ははお休みしていました。
外でやるため毎年8月はお休みで、7月の最終月曜日は豪華お弁当を食べ懇親会をもっています。
手話で歌を教えて欲しいとの事で、今日は「夏の思い出」をお教えしました。
♪夏がくれば思い出す~♪です。
一昨年は「ふるさと」♪うさぎ追いしかの山~♪、昨年は「千の風」♪私のお墓の前で泣かないで下さい~♪ でした。
最年長者は70代の方ですが、みなさん前向きで明るく生きて行こうと頑張っています。

主人は仕事で、今日も明日もお通夜続きで、私の関係者もあぶない方が複数おられます。

何気ない日常生活…この一日一日が生かされている日であることを意識して、大切に丁寧に生きることができたら、と思います。 (shizuko)

        (写真:尾瀬ヶ原の水芭蕉)
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一粒の麦

2009-07-24 | Weblog
  聖書の中に「一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。」とあります。

それは十字架にかかって全人類の罪のために身代わりに死んで下さったイエス様のことであり、イエス様が死んで下さった事により、それを信じた多くの人々が生かされることを意味しています。
そしてまた、クリスチャンが自己中心を捨てて、神を愛し人を愛する時に多くの人々が祝福を受けることを意味しています。

しかし今、弟も人生の最後の最後に一粒の麦となった事をつくづく思わされています。
この度の闘病生活、葬儀の中で今まで聖書のことばを一度も聞いたことがない多くの人々に、みことばを伝え、自分が行くべき所について、福音を伝えることができたからです。
ある意味、弟は命がけで伝道させてくれたとも言えるでしょう。
実際この3ヵ月半は本当に大変な日々でしたが、私の方も心から「ありがとう!」を言いたい気持です。

両親とも兄弟が多く、その子供たち、孫達…他の親族を合わせて70席が足りないほどでした。
その誰からも批判はなく逆に感動したと聞いて、これもすべて神様の大いなる祝福とわかります。
実はウルサ型の叔父様たちがたくさんいるのです。
今考えると、今回葬儀に出席して下さった約80名の親族全員のために、私は時々祈っていたのです。
名前を知っている叔父・叔母・いとこはもちろん名前を挙げて祈り、名前を知らないその子供たちのためにも一人一人「あなたの罪はゆるされている、信じて光の内を歩みなさい…」と。

たくさんいるので毎日と言うわけにはいきませんが、こんな小さな祈りも神様はちゃんと覚えていて下さったと思うと、ただただ感謝で、祈りは天に届いている確信をまた新たにしました。(shizuko)

*聖書が教える「罪」とは、法律に触れる犯罪のことではなく、「内側から、すなわち人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、これらの悪はみな内側から出て、人を汚すのです。」とあり、たとえ実際に殺人を犯さなくても、人を憎んだり、嫌ったり、その死を願ったり…これは心の中で殺人を犯したのと同じということです。
ですから、人間みな罪人で義しい(ただしい)人は誰一人いないということなのです。

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葬儀を終えて

2009-07-22 | Weblog
  20日の前夜式(お通夜)そして昨日の告別式とすべて無事に終わりました。
亡き弟は自分の葬儀は無宗教で親族のみにし派手にしないようにと言っておりました。
森昌子のCDを流してたんたんとやってほしいと希望していましたのでご近所にも知らせませんでした。
しかしお通夜はお断りしていた会社(某新聞社)から160名位の方々が来られ、親族80名くらいに知人教会の方々が大勢来て下さり感謝しながらも驚きました。
まだ正確な人数は聞いていません。
21日の告別式もたくさんの方々に来ていただき私達親族一同心よりお礼申し上げます。

亡き弟よりすべてを任された姉である妻はお通夜、葬式の司会及び司式を見事やりとげ、聖書からメッセージしました。
会社の方々や身内の北海道、青森から来た叔父、叔母又いろいろな人から弟の葬儀を実の姉がする事に感動し素晴らしかったと私がお礼を言われました。
夫の私からはなかなか言いずらいですが、素晴らしい葬儀で天国に逝った亡き弟もきっと「姉さんありがとう!ご苦労さん」と言ってくれていると思います。

昨夜就寝前妻が真面目な顔で正座して両手をつき頭を下げて私に「貴方、この度は弟の事で本当にいろいろお世話になりありがとう御座いました」と言い、私も驚きあわてて妻の正面に正座して「この3ヶ月半の看病又お通夜、葬儀の大役お疲れ様で本当にご苦労様でした」と同じように両手をつき頭を下げて言いました。
大した協力も出来なく恐縮ですが夫婦で真面目にこんな挨拶をしたのは初めてです。

今日、改めて親族の方々から葬儀が素晴らしく感動したと聞いて両親は安心したと連絡が来ました。
実は親族の中で、無宗教の葬儀は初めてでどんな批判がくるか心配もあったので、
良かったです。
     (写真:たくさんの花の祭壇の前で母)
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「じゃあ 行くよ…」と

2009-07-18 | Weblog
  7月18日(土)早朝 4時49分に弟が天に召されました。
ちょうど妻K子が泊まっていました。
「じゃあ 行くよ…」と言って、安らかに、穏やかに息を引き取ったそうです。
連絡を受けてすぐ出かけましたが、私たちは間に合いませんでした。
でも妻に看取られての最期でしたので私たちは満足です。
肉体のすべての束縛から解かれて、主の許での永遠の安息に入りました。
悲しくて、寂しくて仕方がありませんが、私たちも「ご苦労様」と
穏やかに送ってあげたいと思います。

末期ガンとわかってから3ヶ月半、たくさんの方が祈って下さいました。
たくさんの励ましと慰めをいただきました。
何とお礼を言ったら良いのかわかりません。
心から感謝申し上げます。
皆様もどうかお体をくれぐれも大切になさって下さいませ。
とりあえずご報告申し上げます。 (shizuko)

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ああ うまいなぁ!

2009-07-17 | Weblog
  弟が目を覚ますのはお小水の時と水が欲しい時ですが、昨夜も今日も「水を飲ませて…」に、冷たい水をあげると「いいね、いいねぇ!」「ああうまいなぁ!」と本当に嬉しそうに飲みます。
そして半分無意識の中でも「水分を摂らないと死んでしまう…」とも。
もっともっと生きたい気持に、「寝ていてもいいから充分に生きなさい」と思います。
若いのでガンが広がるのも早いですが、生命力も逞しいですし、たくさんの方々に祈られているので、もうダメかと思っても持ち直しています。
お陰様で痛みも時折はありますが、ほとんど緩和されてよく眠っています。
でも安心はできません。
脈拍も速く常時熱もあります。
「体は無くなっても霊は永遠に生きるんだよ」とみことばをたくさん語り、祈りつつ賛美していると、パウロとシラスが真夜中に獄中で賛美し祈って解放された聖書の記事が思い出されました。

今日も一日守られて与えられた務めを果たして来ました。
もう自分でベッドから降りて歩く事もなくなったので、ベッドは元の位置に戻りました。 (shizuko)
     
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痛みが出てきました

2009-07-15 | Weblog
  妹と一日交替で病室に泊まる事にし、昨夜も泊まり今日は夕方になって迎えに来てくれた主人と帰って来ました。
弟はコンスタントにモルヒネを入れて、痛みはコントロールされていましたが、昨夜から寝返りやちょっと動く時痛みがひどくなり、そのつど痛み止めの注入をしましたが、今日はそれが頻繁になりました。
昨夜も大腿骨やお腹が痛く、注射の後1時間くらい手を置いて、祈りと賛美をしていたら、静かな声で「わかった、わかった」と言い落ち着いて眠りました。
朝方の4時頃、トイレに看護師さんに支えられて自分で起きて行きましたが、
その後は起き上がる事ができなくなりました。
血圧は2~3日前は下がっていましたが、昨日、今日は90-44、88-33と安定しています。
しかし今朝からまた強い薬になり、それがどう影響するのかわかりません。

昨夜の夜勤の看護師さんに聞きましたら、普通の病院は患者さん7~10人に対して看護師は1人ですが、ホスピスでは患者さん2人に対し看護師1人なのだそうです。
ですから手厚い看護ができるのですね。

今日もまた新しい方、見学の方などいらしてました。
先日入った女性はやはり30代との事、看護師さんも「他人事ではない」と仰っていました。
今日は早く寝て、また明日の泊まりに備える事にします。
お祈りして下さっている皆様、本当にありがとうございます。(shizuko)
    

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