大空を見上げて

日頃感じていること

後の祭り!(笑)

2021-02-27 | Weblog

 

「風さそふ 花よりもなほ我はまた 春の名残りを いかにとやせん」
 
いよいよ3月、何故か毎年頭を過ぎる句である。

これは浅野内匠頭の辞世の句である。
私はこの時期いつもこの辞世の句が頭に浮かびその時の内匠頭の心情を考える。
元禄14年3月14日(1701年)城内で刃傷沙汰を起こし、江戸城(皇居)不浄門より田村家(新橋四丁目)に預けられ、時の将軍徳川綱吉は激怒、即日夜切腹を命じ田村家の庭先でこの辞世の句を最後に散って逝った。
元禄15年12月14日赤穂浪士が主君の仇討ちのため吉良邸に討ち入った。
戦国の時代が終わり、日本の歴史上一番長期平和な時代「徳川270年間」の中で起った凄い事件の一つだったろうと思う。

   

アルバイトから帰宅したら妻が私を見ながら何か言いたそうだ。
     「あなた何か気がつかない?」
        「エッどうした?」
 妻は私の前で一周回った。
何となくいつもとヘアーの感じが違うことに気がついた。
私は昼寝したのかなと思い「寝癖がついてるよ」言いながらアッまずいと思った。
「美容院に行ったの?」「ヘアースタイルを変えたんだ!」「とても似合ってるよ!」と慌てて答えた。
しかしもう遅い。
    妻は「あなたの感覚はそんなものよ!」
     「なかなか格好いいねぇー!」「いい女だ!素敵だよ!」
    しかし妻は「何よ!フウン!」と無視。 あぁー大失敗!
  何を言っても後の祭り。言葉に気を付けようと反省している。

      この日は一日機嫌が悪くアタラズ、サワラズ自粛生活だった。


      

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油断

2021-02-22 | Weblog

 

昔 小学校か中学校か忘れてしまいましたが、国語の教科書に載っていたと思います。
はしごを降りてくる人に、もうすぐ地面に着くという時に「気をつけて!」と声をかけるということ。
高い所にいる時には、声をかけなくても危険である事を承知しているので充分気をつけるけれど、あと1段2段…という所まで来た時についつい気が緩んで怪我をしやすくなる、という教えだったように思います。
知人が家から帰ろうとして階段を下りてきて、最後の1段で足を滑らせてしまい、細い骨に2本ひびが入ってしまったそうです。捻挫です。
よく聞く話で、かわいそうだなぁと思いました。

日本語の熟語はほんとに良く出来ていると感心しますが、「油断」という言葉もその一つです。
油断するな=油を断つな=注意を怠るな です。

過去に日本武道館での試合で観覧席の妻の応援を気にし集中力を欠き心の油断で一回戦敗退、猛省の思い出がある。

又、此れに関連してプロドライバーとして一言。
私は教官時代、教習生にドライブした後、最後に車から降りるまで気を抜かないように指導した。
安全に気をつけて長時間ドライブしても目的地近くや自宅近くでホッとして事故を起こす例を何回も見聞きしている。
私は自分自身運転に過信せずに常に最後まで危険予測、確認反復を心の中で言い聞かせている。 

         
                   

          

               

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夜空のトランペット  ニニ・ロッソ

2021-02-15 | Weblog

  今日も朝早く4時間バス運転の熟年アルバイト!

雨上がりの朝焼け眠気を感じながら仕事を終え帰宅。
 
 一人静かに素晴らしいトランペットの音色を聴きながら至福の時を過ごす。
                                                          

夜空のトランペット  ニニ・ロッソ

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盲目の婦人と社交ダンス

2021-02-11 | Weblog

自粛生活から一年、恒例の3年振りの特別公務員(空挺)時代集まりや年二回の会社のOB会、親族、友人、知人達との付き合いを相手に対しての迷惑を考えコロナ収束まで全て断ち、辛い日々が現在も続いています。昨年一月から中止だったサークル、今年から趣味の社交ダンスも組まず足だけ週一練習に体温、消毒、マスク又会話厳禁でレッスンしています。

心に残る社交ダンスの思い出

若い頃からラクビー、武道が好きだった私は40代の頃、社交的な事が不器用で歌も苦手で何も出来ない自分が嫌で悩んでいた頃、友人に誘われ仕事帰りに社交ダンスを習いに行った。一時無我夢中になり5年位レッスンの想い出がある。
もうダンスから遠のいて20年になった。
現役をリタイヤして何か趣味を考え、もう70歳だが足腰は何とか丈夫な為、健康保持を目的に昔少し経験した社交ダンスを週3回レッスンにいっている。
夕ンゴの御堂筋 小林旭

二年前の二月、新春社交ダンスがあり参加しました。

始まってしばらくしてドレスにピンクのブラウスの胸にバラの花を付けて

60代の女性が、市の職員に付き添われに連れられて、もの静かに来られて

「踊って頂けますか!」と、

婦人は全盲でダンスの経験はプロの指導で20年以上との事。

お互いに自己紹介後「宜しくお願いします」と私もちょっと緊張。

ワルツ、タンゴ、ルンバと連続踊りましたが、私のリードに見事に応え

ダンス姿勢が素晴しく終わって私も恐縮しながら手を引き

座席へ誘導、何度も「ありがとうございます!」お礼を言われました。

私も初めての経験で無事にお相手出来た事に安堵し、この婦人の嬉しそうな

笑顔を見て爽やかな気持ちになりました。

この日は何故か某TV局が撮影に来ていました。

この様子は2月から二回位放映されるそうです。

(ちなみに以前婦人は24時間TV「愛は地球を救う」に出演したとの事。)

 

(会場 )   

有栖川宮舞踏会もう一つ(心に残る社交ダンス)
数年後、私は学習院OB主催の春の舞踏会に招待され行ってきました。
以前より何度か、親しい学習院OBの知人S氏(奥様は皇族出)より誘われていましたが、私にはとても場違いと思いお断わりしていました。
しかしこの度は社会勉強の為と思い切って行ってきました。

東京都港区麻布に有栖川宮親王(幕末の辰巳戦争で総司令官)屋敷が家系が途絶えて、都に返上され現在有栖川宮記念公園となり、周囲に各国大使館(ドイツ、スイス、ノルウェー、マダガスカル、カタール、スロベキア)等、麻布十番外人通りで東京でも静な場所です。

有栖川宮ホールに13時30分に着き、服装は男性は背広ネクタイ、女性はそれに準ずると言われていました。
天皇家侍従長をされた方やたくさんの皇族の関係者など参加していました。

受付を済ませ、ロビーで緊張していましたら、案内嬢にパーティー会場にと案内されました。
やがて静かにダンス音楽が流れ、ワルツの曲でそれぞれ優雅に踊られて、私はまだ雰囲気に慣れなく隅の方で緊張して座っていました。
しばらく見学していると品の良い年配の女性に「よろしくお願いします。」とお誘いを受け「ダンスはしばらく遠ざかっていましたのでこちらこそ宜しく。」とブルース、タンゴ、ウイナーワルツ、ルンバと緊張で汗をかきながら「上手くリード出来なくてすみません」と恐縮し何とか無事終えました。
後で聞いたのですがその方は有名な宮様との事。
その後4時間いろいろな人と踊り、懇談し楽しい時を過ごしました。
母方が勝海舟の血族目賀田男爵のご子息、徳川家血族徳川義眞氏のご子息の挨拶 
 *本当に素晴らしい経験が出来たと感謝してます。

    

 Shall We Dansu Final Dance      
  

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旅の恥はかき捨て!(フラメンコ飛び入り)

2021-02-06 | Weblog

旅の思い出(三年前)
南スペイン、マラガ空港から約30分タクシーに乗って着いたトレモリノスは、遠くにアルジェリアやモロッコを挟んでの地中海の海辺にあります。

欧州ヨーロッパ各地ドイツやルーマニア、フランス等から休養に来る避暑地(避寒地?)です。

観光地ではないので長期滞在中日本人には一人も会いませんでした。

日本からオランダのアムステルで乗り継いでマラガまで16時間の飛行は、遠い地球の端てだと感じます。

隣りの国はポルトガルで、いろいろな言語が飛び込んで来て日本語はまったく通じません。

毎日、朝、夕は涼しく、日中は少し暑いですが風が心良く治安も良く素晴らしい所でした。

カトリックの教会や何世紀以上前の建物も多く歴史を感じながら毎日近辺を一万歩以上散歩しました

 ホテル窓より       

   
https://www.facebook.com/shizuko.matsuda/videos/1279269748783707/

   (クリックするとちょっと恥ずかしいですが、私の動画です。)

南スペインのトリモリノスの長期滞在ホテルから車で50分行くとフエンヒローラ・フラメンコレストランがあり、美味しい食事と共にディナーショーを楽しみました。。

フラメンコの踊り子に誘い出され、恥を忍んで日本人として頑張り踊り、観客の皆様から拍手されました。

大きな素敵なレストランで満席、100人位殆ど観光客で日本人は私達夫婦だけ、大喝采を受けとても楽しく旅の想い出となりました。

(自粛生活、ブログの話題も少なく旅の思い出を載せました。)

 

コメント (4)
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