-写真の部屋-

奥野和彦

需要は無い

2018-01-17 12:33:45 | 写真


なんていうか
景色とか風景とか言う物の中に
感情を転嫁できる取っ掛かりを見つけて
人は情景として描いたり撮ったりするのであって
それは石とか建物とか風化とか自然だとか時間だとかが
重なり合って、合わさりあって
何だかを醸し出してるようなことなんだろうけれど

例えば人間は
服を身につけてファッションによって景色が変わり
それで景色が成り立つ。
服を身につけなくても人によって景色が変わり
色々な意味で景色として成立する。
それを、目玉だけ、とか手だけ、とか細分化して見て行って
それぐらいのうちはまだ透け具合とかシワの深さだとか
まだ景色として情景としてみる物があるのかもしれないが
骨、肉、さらには細胞になるともはや生物の資料として
以外の景色としての意味は無くなる。

先日の車窓からの思いつきから
分析しているのはそんな事で
細胞まではいかないのだけれど
かと言って情景まで行かないレベルの
風景を構成している骨組みレベルの景色?
色があったほうが良いのか無くて良いのかを
気にしているのもその分化の過程でか。