自分で撮ったとは思えない。
きれいだし、被写体の選び方としても。
量販店の額縁のコーナーで見本に入ってる写真のようだ。
風景写真 というのが分からない。
自分が諏訪湖に行って撮ったりしてるのが風景写真なのか
とも思うけれど風景写真と思っていない。情景写真か?
風景写真というのは風景にモノを言わすのであって
そうしてみると風景に、というよりは人の手に寄るものも
その時の自分の感情に任せて画面の中に取り込んで
総合的に処理しているので、風景と言葉では言えるが
カメラ屋さん、写真屋さんで言う風景写真とはまた違うだろう。
そして、風景写真というのは
誰しもが簡単に撮れる場所で撮られる物より
より、撮影に困難な場所、時期に行き、撮って来るというような
希少性によっても価値が上がるようである。
そういう事があって、今日の写真がいわゆる風景写真に
見えるのかも知れない。
でもその価値には正直、あんまり興味が無い。
何なのか。
希少価値の価値は分かる。
希少価値を残しておきたくて汽車も撮るし古い物も撮る。
でも希少価値がイコール写真の価値になるとはあんまり考えていない
ということか。
写真の価値はもっと違う感じであると思うので。
ホントに良く写る。
良いのだからそれをそのまま売ればいいのに
すぐ違うのが出て、型落ちになると
折角好きで使っているのに当のメーカーから
ケチをつけられたような気になります。
その点、クラシックカメラは
壊れない限り一生付き合えるのでいいです。
風景写真の定義はさておき、ドローンで空撮した動画から伝わるスケール感も自然写真が求めてきたものでしょうけど、それがテレビ等で日常的に視られるようになった昨今では、高精細の特大プリントで同じものを撮って見せても物足りなく感じるかもしれません。
それよりも写真の役目としては、写真を見た人が写っている物事から想像を喚起されたり共感したりするトリガーになることじゃないでしょうか。
どうだー、と押しつけるのは動画でどうかと。