-写真の部屋-

奥野和彦

写真が欲しい2

2019-11-09 22:41:48 | 写真


何を思って写真撮り始めの記みたいな
恥ずかしいことになっていて、やめようと思うが
写真が欲しいとタイトルをしてしまったので
それがどういう事なのかというとこまで
いかなければ終われなくなってしまっている。

千葉の坊主頭に吹いたウエストコーストの風は
関東ローム層の赤茶色いジャガイモ畑の砂埃を巻き上げて
私の勉強机の上に落とし、次第に落ち着いていった。
ちょっと思い出してみたら西海岸の写真ばかりでも
なかったかも知れない。

時はバブル経済突入期で
芸術分野にもお金が回って来ていた。
企業はたぶん分かりもしないで
世界のアートを買いまくり
船橋の西武の本屋にもアート、写真集が並んで
勉強には事欠かなかったが
アイドルにはもう興味が無くなっていて
音楽もイギリスのロックを多く聞いていたので
どうにも頭でっかちで反抗期だったようだが
空回りばかりしていた。

「写真に写っている被写体への興味」ではなくて
「写真」そのものが持つ魅力が分かり始めていた。

それが分かると
写真集コーナーに並んでいる
タレントの写真集 では無い写真集の写真の意味が
見え始めて来る。
ウジェーヌアッジェが撮ろうとしたパリの光そのものだとか
ベッヒャー夫妻が撮ろうとした、精緻なカメラのメカニズムを
使って給水塔の写真ばかり収集し、
人の視覚と脳の動きを測る試みだとか。

アイドル写真でも報道写真でも広告写真でも無い
写真の可能性そのもので創作されている類のものを
その頃はアート写真とか芸術写真とか呼んでいた。
その後、シリアスフォトとか呼ばれるようになる。
が、所詮「写真」は「写真」なのでどんな呼ばれ方をしてもむず痒い。

写真が欲しくなった。
写っている人物や風景を所有したいのでは無くて
写っている事物から
その時その時、生きている時代の空気や手触りや混沌を
手にして所有したくなったのだった。
それには、現実をそのままにパシャンとコピーするだけの
「写真」が一番向いていたのだ。

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