-写真の部屋-

奥野和彦

粒子

2023-09-27 19:52:10 | 写真


白黒モードに突入した。
一昨日、白黒で撮ったオクラを食べたからかも知れない。

何度もデジタルカメラでモノクロ写真を撮ってみたけれど
デジタルのモノクロ写真はやはり好きになれなくて
その原因を考えてみる。

それはやはり粒子感であろうと思う。
フイルムの時代には
より微粒子なフイルムである事を基本的には各社目指していたし
セールスポイントでもあったのだが
逆に考えれば、粒子を消し去ることは出来なくて
より細かくなっていく事を望んだ上で
粒子をどう見せるか、どう見えれば美しいのか
ここが本当の事だったのだと思う。

デジタルになって
フイルムでの意味の粒子は無い。
何となくサラサラしたものがあるように見えるが
サラサラの向こうにあるのはドットで、銀の粒の粒子では無い。
だから、カメラにも、写真ソフトにも
撮った写真に粒子っぽく見せるエフェクトが準備されている。
自分もフイルムの写真ぽく感じたくて使うけれど
所詮…といった感じが常にある。

老舗カメラメーカーのモノクロ専用機
というのもあるけれど、老舗メーカーのくせに
その辺の説明やら言い訳やらはあるのかな、と思う。
興味もないので知らないが。

さらに、自分は写真入門の時に
むしろ粒子をより見せる画調を選んでしまった。
あまり好ましくないと思われがちだが
絵画の世界で言えばゴッホのようでも山下清のようでもあり
音楽で言えばバイオリンから入らずにパンクロックの
エレキギターから入ってしまったようなものである。
でもそのザラザラには自分のアイデンティティがこもっているのだ。

それを単なる見かけの一つとして
ラフ白黒モード、だとかチャンネルにするのは必要無い。
それをアイデンティティと分かって用意してくれる
デジカメがあるなら手にしよう。
話が逸れた。

ただ、時代は2023年である。
粒子?知らん。 フイルム?知らん。
今ある道具でより撮って撮って撮りまくって
突き進んで行きなさいよ、とも思う。そうしなくちゃ。

自分の言っているアイデンティティなんて
機械、道具好きで生まれてしまった
昭和の少年の救えないこだわりかも知れないし。




最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。