ふむふむ。EIZOUくんの
コメントにお答えすると
確かに鳴沢氷穴に行ったときの写真ですね。
何度も行ってるのでいつだか分からない。
文中にもありますが、
とにかくプリントもせずにネガがごそっと
束ねてあって、そこから抽選箱のように
適当なものを引っぱり出して来て載せています。
なので、鳴沢の下の写真は
また、全然違うときの千葉のどこかの写真。多分。
どこかの、というのも無責任かもしれません。
昔は、きっちりいつのどこなのか
分かっていないと「いけなかった。」
よく知ってるでしょ?
でも、いつからかどうでもよくなったのですよ。
ベタ焼きもとらない。どんどん積み重ねて
思い出して、たまに眺めたら順序も構わず
また、ごそっと戸棚に突っ込むから前後も分からなく
なってます。
ところが、それが面白くなって来ました。
つまり、その写真についている、いろいろな
説明、理由、データ、前後のつながり?動機?
そういうものを、取っ払って純粋に、絵柄として
見られるようになったのかもしれません。
どうしても知りたければ、
行動記録と照らし合わせて紐解いてゆけば
分かるでしょうし、写っている家族の顔をみれば
大体、何年頃かも分かります。
が、氷穴の話も、指摘されて思い出すぐらいのもので
たぶん、私にはコニカカラーが大事なのでしょうね。
どう見なければいけないなんて決まりはありません。
好きなだけ、凝視してもらって
なんか見つけたら、教えて下さい。(笑)
さて、これは何処でしょう…って
ちゃんと答えが写ってるもんだね。
前の2枚目の写真では、富士山周辺にしては標高の低そうな山並みだし棕櫚も生えてる、土産物屋の裏を登ったような道で、小さい子でも行ける所かなどと。調べたら棕櫚でもベトナムのものは寒さに強いらしく、そういえば「水曜どうでしょう」で標高の高い街で映っていたな、とか。
でも、見るべきは植物の勢いと少年(息子さん?)への眼差し。頼りないような登山道と遠く連なる山並みの対比が、人間の存在感の危うさなども表しているようです。
なかなか純粋に見ることは難しいですね。
画で「挑発」した「プロヴォーク」の多木浩二さんが亡くなりましたね。