レンキン

外国の写真と
それとは関係ないぼそぼそ

長いトンネル(15)

2007年02月22日 | 昔の話
 そういう詳しい話が聞けたのは休みの明けた月曜日だった。
職場では緊急でミーティングが行われ、
何故事故が起きたのか、そして今後事故を起こさないように
どうすべきかを皆で話し合った。
部長は事故が起きた日から病院につきっきりだった。


私はOと最後に喋った内容を思い出そうとしていた。
それは最後にしては日常的すぎて
思い出してちょっと涙が出たけど、少し笑いもした。
私以外の皆にはわかさぎ釣りの思い出があるのに
私は椅子作って、だってさ。
毎日は連続した巻物だと思っていたけど
実は一日一時と分割されたカードだった。
今日が終り、明日を捲ったら夜があった。
夜の次には捲るカードも無いかもしれない。
明日なんて初めからひとつも約束されていなかった事に
私はようやく気がついた。


Oの危篤状態は三日間続き、それから少し持ち直して
それでも予断を許さない重体の状態が一月続いた。
最初救急隊が現場に到着した時、事故の程度と損傷具合から
もう駄目だと思ったそうだ。
しかし救急隊員の呼びかけに、Oの指先がほんの少し反応を示した。
それで救急患者として病院に搬送されたのだ。
病院の医師からそう聞いた部長が嬉しそうに皆に報告した。
偶然そうなったのかもしれない、でもOが頑張ったに違いない。
…いけるかもしれない。
私はあらゆる何かに向かって祈った。
彼女がもう少し頑張れますように、この事故の結末が
死で終わる事がありませんように。
あんな会話が最後でありませんように。


誰からともなく折り始めた鶴が
休憩室の机の上に溜まっていった。
散らかるので折り鶴を入れるせんべい箱を設置したら
あっという間に一杯になってしまい
大きなダンボール箱を用意しなくてはならなくなった。
男職場でそんな事はしないと思っていたのに
独身の男の人達が寮で鶴を折ってきては
毎朝箱に入れていた。
この鶴は最終的に六千羽にもなった。

長いトンネル(14)

2007年02月19日 | 昔の話
 イベントは午後二時ごろお開きになったそうだ。
わかさぎがちっとも釣れなかったり、
主催者がてんぷら鍋を忘れたりして
決してスムーズに進行した訳じゃないけど
それでも和気藹々のうちに終了し解散した。
K君はOを家に送っていくために車を走らせた。
助手席ではOがすっかり寝入っていたため
眠りの妨げにならないようにとカーステレオの音量を落とした。
二月とは思えないぽかぽか陽気に
K君は高速に上がってすぐ眠気を覚えた。
あともう少し走ればOの自宅近くのインターだったけど
K君は無理をせず、最寄のSAで休んで行こうと思ったのだ。

事故が起きたのはSAの僅か1km手前だった。

ブレーキ痕は無かった。見ていた人の話によると
K君の車は走行車線から吸い込まれるように路肩へ入り
ガードレールの継ぎ目に正面から突っ込んでいった。
ほんの二三秒目を瞑ったと思った、物凄い音で我に返ると
事故が起きてしまっていたとK君は病院で言ったそうだ。


ガードレールはフロントバンパーの真ん中から侵入して
後部座席まで突き抜けていた。
つまり車は縦半分に、運転席と助手席の間を
ガードレールで切断された形になる。
事故車両の写真を見た。のこぎりで切ったように
車体が切れている場所もあれば
引きちぎったように捩れている箇所もあった。
車とは思えない、まるで紙で出来ているみたいだった。
そうやって車内を通過したガードレールは
二三秒の間にOの頭の右側半分を持っていった。


長いトンネル(13)

2007年02月18日 | 昔の話
 
 翌日の日曜日には熱も大分下がった。
まだ少しゆらゆらする頭を抱え、パジャマのままで
足を投げ出してハウス食品劇場などを見ていた時だ。
彼から電話がかかってきた。


当時はまだ今ほど携帯が普及しておらず、
彼が電話嫌いだったこともあって
向こうから電話がかかってくることなどほとんど無かった。
彼はイベントに参加していたので
体調不良で休んだ私を心配してくれたのだろうか。
嬉しくてうきうきした声が出た。
彼が何か話し始める前から
「昨日はどうだった?」「わかさぎ沢山釣れた?」
と質問を重ねた。
しかし私は途中で口をつぐんだ。
私の質問に対する彼の口篭もるような返答に、
そして何かを切り出そうとして切り出せずにいる口調に
私は急激に胃の辺りがどしんと重くなるのを感じた。
どうしたの、と無理やり声を出したけど
本当はそんな事聞きたくなかった。
物凄く嫌な予感がした。恐かった。


落ち着いて聞いてほしい、と言われたのに
私はその時点でまんまと大パニックになってしまった。
何があったんだと聞きながら大泣きして
パジャマを片手で脱いでいた。
何処へでも出かけられる準備をしていたのだ。
受話器の向こうでわあわあ泣く私をなだめながら
彼は自分の持っている情報もあまり沢山は無いんだけど、
と前置いて、それから昨日あった事を話し出した。
昨日イベントが終わった帰り道に、K君の車が事故にあった。
Oを自宅まで送っていく途中だった。
居眠り運転だったらしい。
K君は鼻と指を折る怪我で、Oの方はもっと良くない状態らしい。
彼は私に、今病院に行ってもOは集中治療室にいて
会う事は出来ないから家にいなさいと言った。
後で分かったけど、事故の連絡を直後に受けていた彼は
すぐに病院に行って二人と家族に会っていた。
本当はもう少し詳しい情報を持っていたのだが
私が思ったより激しく動揺していたので
それ以上言うのを止めたそうだ。

Oはその時すでに危篤状態だったのだ。

長いトンネル(12)

2007年02月17日 | 昔の話
 椅子を作った日の終業後、
私は準備係のO君と一緒に食料の調達をした。
わかさぎ釣りをした後は岸辺でバーベキューをするのだ。
主だった材料は他の人が準備してくれるので、
一緒に調理できそうなものや調味料、
お菓子などが私たちの担当だった。
気を紛らすためになるべく調子に乗って
お菓子を好き放題にショッピングカートに放り込んでいたが
買い物が終わる頃には自らの限界を悟り
がっくり項垂れることになる。


…まぁ あかん。(※「もうだめだ」の意。名古屋弁)


私は「この食料をどうかよろしく」とO君に頼み
這いずるように帰宅した。
自分の声が頭の中でうわんうわん響いていた。
帰宅してからもユンケルを飲んで最後の抵抗を試みたが
やがて静かに力尽き、主催者に欠席の電話連絡を入れた。


***


イベント当日はとても良い天気だった。
寝室に差し込む二月の日差しを顔に受け
みんなは沢山わかさぎを釣れたかなと考えていた。
額に冷えピタ、脇の下にアイスノン。
結局熱は40度まで上がり、どう頑張っても
早朝のわかさぎ釣りなど無理だった。
昼過ぎに一度起きて水を飲んだが
それ以外は一日中眠っていた。
ボートに乗って釣りをする夢を見たりした。
薄明るく揺れる水面の下に銀色の群れが見え

しかし魚は一匹も釣れない。


***

長いトンネル(11)

2007年02月15日 | 昔の話
 それから暫く経ったある日、職場の皆で
早朝のわかさぎ釣りに行くことになった。
一部の人の間で冬の恒例行事になっていたのだが、
色んな人に話をしているうち、ある年
職場の人がほとんど参加するような
大規模なイベントになってしまった。
私は前の年に参加していたけど、二月の寒い日
まだ真っ暗なうちからボートを漕ぎ出して
分厚い手袋に苦労しながら餌をつけ
寝ぼけ眼で釣竿を上げ下げするのは
―――これが意外と楽しい。
陽が登ると真っ白いもやが水面を滑っていくのが見える。
魚がかかる感触がプルプルと面白くて
夢中になって釣りをしていたら
水面の照り返しに顔を炙られ、昼ごろボートから
降りる頃には顔がパンパンにはれていた。
釣れたわかさぎはその場でてんぷらにして食べるのだが
さっきまで付けてた赤虫がお腹の中に見えても
見ないふりしてパクパク食べた。
たとえ顔がアンパンマンそっくりになっても
とても楽しい冬のイベントなのだ。


イベント前日の金曜日、私は休み時間を利用して
釣りで使う椅子を自作していた。
前年に普通の座布団をボートに敷いていたんだけど
お尻がじんじん冷えてしまい、腰が痛くなって
ずっと中腰でボートに乗っていたのだ。
その痛い経験を生かし、今年は快適なボート生活を送ろうと
職場に余っていたクッション材を利用して
暖かい箱椅子を作っていた。中に赤虫もしまえるよ!

中に赤虫もしまえるよ!凍らなくて便利だね!
とか独り言を言いながら上機嫌で布を切っていたら、
明日一緒に参加するOが側にやって来た。
「あ、いいもの作ってるなあ。材料余ったら
 私の分も作っといてよ」
私はいいよと軽く答えて新しくクッション材を切った。
その位から私の頭がぼんやりしていて
はさみを持つ手もぶるぶる震え、どうしようもなく
ヤバイ状態だったのだが
イベントを楽しみにする心で浮き立っているのだと
自分を納得させようとしていた。
実は自分でも分かっていた。…風邪をひいたのだ。
よりによってイベント前日に、そしてものすごい勢いで
熱が上がっているのが分かった。
でも何とか(自分を)誤魔化せないかな、
治っちゃわないかな~と思いながら椅子を作っていたのだ。
残念ながら治っちゃわないのだが。

「Oは明日K君と来るんだっけ」
参加する気満々(休む気0)で私は聞いた。
「そうだよ。K君が3時半に迎えに来るんだ」
Oの自宅はわかさぎ釣りの池から最も遠く、
朝の5時集合となると
その位の時間にOの家を出発しなければならない。
寮に住んでいるK君が2時半に出発してOを拾い、
現地に集合するという寸法だ。
その後何か、大変だねとか喋った気がするが覚えていない。
多分私の喋りはうわごとみたいになっていたろうと思う。
ともかく何やら喋りながら作った箱椅子を
私はOに手渡した。
それはもしかしたら私の分の箱椅子であったかもしれない。
その位意識が朦朧としていたのだ。