レンキン

外国の写真と
それとは関係ないぼそぼそ

長いトンネル(10)

2007年02月15日 | 昔の話
 二人は本当に仲が良かった。年上のOが
年下のK君を上手くあやして釣り合いを取っている感じがした。
どこに行くのも何をするのも一緒。
元々やんちゃなK君の言動に
「あの子は白か黒しかないんだよね」と言って
Oが溜息をつくこともあったけど
あまり大概の場合はOが怒り、K君が素早く謝って
丸く収まっていた。分かりやすくOの事が大好きなK君に
Oも長く怒っていられなかった。
だから二人が喧嘩をした所なんて見たことが無い。
二人で何処かへ遊びに行く時には
必ずファミリーレストランで朝食をとる。
K君の食べ方が子供のように周囲を汚すので
世話をするのが大変だとOがぼやいていた。
…Oの食べ方だって十分子供っぽいのになあ。
私はニヤニヤしながら頷く。
二人でドライブに行った時に、
車が高速道路で故障して大変だった。
新しく出来たあのショッピングモールに行って
こんなものを一緒に買ったよ。
K君の家に遊びに行ったら猫が沢山いてねえ。
そんな話をするOの横顔を見ていたら
ある時その顔がおばあさんの顔に見えた。

「…OはK君とずっとこうやって暮らして行くんだろうね」
何の気なしにそう言った。
Oもそうだろうねえと当たり前みたいに言った。
おばあさんみたいな横顔で頷いていた。
以前だったら、私が十代の若者だったら多分
こんな会話を嫌っていただろう。
Oは将来何をしたいとか、何になりたいとかいう
希望を前から持っていなかった。
将来のビジョンが明確に決まっていて、
夢に向かって努力するような
そんな生き方に憧れていたし、そうなろうと私は思っていた。
やりたい事が何も無いなんて!
保守的が過ぎて無色な彼女の生き方は若かった私にとって
…本当はすごく格好悪いと思っていたのだ。

だけどそうだろうねえと頷く彼女の横顔は
すごく安定した生活を築いてきたおばあさんの顔に見えた。
結婚して出産を機に退職し、子供が成長して孫が出来ても
結婚当初からずっと仲の良い老夫婦として
二人で幸せに生きているように見えた。
子供だった私は派手な成功をいつも妄想していたけど
そうやって「まっとうに」生きていく生き方を
初めてちょっと羨ましいなと思った。
「ねえ、今Oの顔がおばあさんに見えたよ」
笑いながらOにそう言ったら、
「そうかあ。今、おばあさんになった時のこと
 考えてたからかなあ」
Oはそう言って私の顔を見た。
このままこうしておばあさんになるのかもしれない。
でもそれも全然悪くないよね、と
おばあさんの目で笑っていた。

長いトンネル(9)

2007年02月14日 | 昔の話
そして三年が経った。
四年も経った。五年も経った。
予定通りに行かなかったものの、ある程度
まとまったお金も貯まった。
にも関らず何故私が会社を辞めなかったかというと
怖くなったからだ。辞められなくなったという言い方が正しい。
浮かれた祭りのような好景気から落ちていった、
半端ない不景気が怖くなったのもある。
大学へ進学した友人が、そんなに悪い人ではなかったのに
あまりに就職に苦労して嫌味を言ったことがある。
曰く「いいよね丁度いい時に高卒で就職して。
 大卒だと今じゃ採用してもらえないんだよね。
 …高卒なんかより余分に勉強してるのにさ」
私はかなり気分を害して電話を切ったけど
それほどの苦労だったのだなと思うと
友人を責める気持ちもすぐ失せた。
それについてどうこう言われる筋合いは無いとしても
確かにいい時に就職できたからね。

それともう一つ。私が過ごした三年間を失うのが怖かった。
自分が手につけた職(…って程でもなかったけど)が
他の機会に役立つとは思えなかったし、大学で役立つような
ものでもなかった。
私はここで大学に行ってしまったら
ただただお金を貯めただけの三年間を
無駄に過ごした事になるのではないか。
会社というのは浅くてぬるい風呂のような場所だ。
浸かっていても快適ではない。不自然な格好で浸っても
薄ら寒くてきちんと温まる事は出来ない。
しかし風呂から出てしまうと、ぬるま湯に慣れた身体に
世間が寒いであろう事を感じていた。
…寒い日のプールみたいな。うまく伝わるだろうか。

そんなこんなで5年が経った。
その時私は23歳、好きな事は山登りと水泳。
通勤バスの中でいつも「今私が30歳だったら」という
空想をしていた。現在30歳であるという前提のもとに
散々色々なシチュエーションを空想した挙句
「まだ私23歳じゃない。ああ良かった!」と思うのだ。
何と憎たらしい空想癖だろう、殴ってやりたい。
(鼻息)

閑話休題。
その当時私はもう現在の彼と付き合っていたが
Oも同じ職場内に彼がいた。
一つ年下の男の子で名前はK君。
新入社員歓迎会の食事の席でOに好意を持った彼が
熱心に口説いて付き合うことになったのだ。
Oは…こう言っては何だけど、もてるタイプではなかった。
外見は「温かみがある」「素朴な」「真面目そうな」と
評されるような子で、
女の子が男の子に「いい子だよ」と紹介して
男にその魅力がさっぱり伝わらないタイプだ。
だからK君がOに好意を持っていると知ったとき、
何だか嬉しくて、影から日向から応援した。
お姉ちゃんキャラのOと弟キャラのK君は
すぐにしっくりしたカップルとなり
最初は戸惑っていたOの口から
休憩時間のたびにK君の話ばかり聞くようになる。
私は仲の良い二人が大好きだったので
その話をいつも面白がって聞いていたのだ。

(続)

長いトンネル(8)

2007年02月13日 | 昔の話
 Sが抜けてしまい、私は必然的にOと一緒に
行動することが多くなった。
仕事の合間や休憩時間に、仕事の話や趣味の話を
ぼそぼそとしていたが
最初は何とも気が合わない人だなあと思った。
読む本、聴く音楽、好きな事、それらの感想
どれをとってもさっぱりかみ合わない。
それどころか彼女の好きなものは
ことごとく好感が持てないものであった。
とはいえどんな人でも長く付き合っていくうちに
付き合い方が分かってくる。
趣味の面ではまるで合わないが、辛抱強くて意外と気が強く
話し慣れてくるとなかなか頭の回転の早い人だった。
仕事の面ではフォローすることが多かったけど
体調を崩しやすかった私は精神面でOによく助けられた。
一年も経つうちにお互い上手く摺り合って
大変良い友達になれたのだ。


昼の休憩時間に私達は職場の隅の資材置き場に入り込み、
缶コーヒーを飲みながらだらだらしていた。
高校時代の話や仕事の愚痴、最近何を買ったか
休日には何をしたか。女の子の話はとりとめがなくきりがない。
将来の話になると二人ともぼんやりした。
私は大学に行くつもりであったが、さて
大学へ行ってその先どうしようと思うと
途端に分からなくなってしまう。
その頃には世の中の好景気も大分熱が冷めてきて
一旦会社を辞めたらまずいんじゃないかな、という
空気も見えてきていた。
Oの方には会社を辞める、という選択肢は無く
このまま何時まで仕事を続けていけるかなあという不安だった。
女性の労働時間は男性社員と比べて格段に少なく
残業できる時間もわずかだ。
一つのプロジェクトは何ヶ月も、下手すると一年がかりになるため
最初から最後まで入れる人が中心となっていく。
定時で帰ってしまう女性を入れるのは難しいのだ。

「やっぱり何年かして、結婚して辞める事になるのかなあ」
Oがぼそっと言う。
「会社とか国の目論見通りで悔しいけど、そうしないと
 必要以上に自分が気張ってるみたいになるんだよね。
 期待されないのは別に構わないんだけどさ…」
結婚かあ、とOはもう一度呟いた。その後で
なんか、人生って何だろうね。と言った。

長いトンネル(7)

2007年02月09日 | 昔の話
 三年でお金を貯めて大学へ行く、というのが
私の当初の目標だった。勿論公にはせず内緒である。
ところがお金というのは全然思い通りに貯まらない。

私は財形貯蓄の額を、最初から一月7万円に設定していた。
ボーナス時にはその3倍の額が給料から天引きされる。
新入社員としては欲張りすぎな作戦だった。
おかげで私はしょっちゅう金欠になり、
財形貯蓄が下ろせるようになるとすぐに
ちょろちょろと預金を切り崩して生活していた。
服や靴や鞄、冬にはコート、夏には帽子にサンダル。
会社生活って思った以上にものいりなのだ。

それから保険にも入った。
このくらいで十分だろう、と思った掛け金に対し
自分が死んだ時に貰える額の少なさにあっけにとられた。
ニュースやサスペンスで「○億円の保険が」とか
聞いていたけど、まさかそれだけ貰うのに
毎月あんなにお金を払わなければならないとは。
自分が死んだら本当は…三千万円くらい!欲しかったのだが
私が当時「えいや」の思いで入った保険は
死亡時の給付金が三百万円だった。
現実というのはかくも厳しい。

***

しばらくたって、Sは同じ職場内の事務仕事に移ることになった。
一緒に仕事をした期間は半年くらいだろうか。
Sはこの仕事に向いていないとは思わなかったけど、
向いているわけでもなかったみたいだ。
女の子の中で誰か一人事務仕事に行かないか、
という話をすぐ承諾し
作業着を脱いで事務服に着替え、仕事内容もがらりと変わった。
昼の休憩は同期の三人一緒にとっていたので
仕事が変わってもお喋りはよくした。
高校で勉強してきたことが一切役に立たないんだよなあと
最初は自分でもこの成り行きに迷っているようだったが
すぐに慣れて、まるで最初から事務員だったように
イキイキと働いていた。


(続)

長いトンネル(6)

2007年02月09日 | 昔の話
 Oは高校時代無遅刻無欠席、赤点も無く
課題提出に遅れたこともなく、成績は上位だったそうだ。
「真面目で可もなく不可もない」
これがOに抱いた私の印象だった。
確かに会社に推薦してもらう上で
大切な条件を全て兼ね備えているのは
こういう空気のような子なのだ。
遅れておらず秀でておらず、どっちの面でも目立たない。
今回はちょっと(悪い方向で)目立ってしまったが
私にはこういう空気のような知り合いが居なかったので
Oの存在が大変物珍しかった。
と同時に 大変やきもきさせられた。

Oは先回りをするという事がない。
10の仕事があれば説明を受けた順に
1から10までこなしていく。
まず10までの説明を聞き、3をやる上で
後の4の事を考えて手順を変えようとか
そういった事は一切考えない。
実際にあったことだが、床に敷く四角いシートを止めるのに
私は4箇所分の指示を出さなくてはならなかった。
つまり4つの隅、全てである。
「シート敷いてから作業するからさ」『うん』
「隅、とめといて」(一つの隅を指差す)
『わかった』(ペタ)
「…」
『…』
「…あっちの隅もさ」(もう一つの隅を指差す)
『わかった』(ペタ)
「…」
『…』 

以下繰り返しである。
決して大げさに言っているのではない、
Oは仕事の全てに関してこの調子だった。
学校の勉強や課題ならこれでも良かったのだろう。
人より時間が掛かるだけで、その分時間をきちんと掛ければ
皆と同じ成績が残せる。
ただ一緒に仕事をするには迷惑以外の何者でもなく
私は女の子女の子したSと組むのは億劫だったが
Oと組むよりは断然楽だった。



ともかく私達は三人とも
担任の勧め、という影響を受けてこの会社に集った事になる。
この仕事をやりかったの!という熱い情熱は誰にもなく
「…そこに会社があったから?」(語尾上げ)
くらいのいい加減さでみんな進路が決まっていた。
自分の進路決めが何だかいい加減だなあと思っていた私だが
案外そういうものかもしれないんだなと
帰りの電車でガラス窓に頭をくっつけて思った。
と同時に

本当にこれでいいのか?と思う気持ちも
ぼんやりした熱のように頭の隅に沈んでいた。