馬鹿琴の独り言

独り言を綴ります。時にはお相手して下さい。

宇陀松山城に登ってきました

2024-09-27 22:36:28 | 城攻め

2024年9月27日宇陀松山城に登ってきました。

宇陀松山城は、続日本100名城166番目のお城です。前は車で来ました。今回で2回目。

福島正則の弟、福島高晴が城主だったんですって。

 

実は午前中に健康診断を受けて、お昼にあの資さんうどんのお店が近くにあるのが分かったので、いただいちゃうことにしたのです。

九州3大うどんの一角ですよ、初体験です。

2階はびっくりドンキーさん、1階が資さんうどん……12時前ですが既に長蛇の列、私は10番目待ちでした(´・ω・`)

とか何とか言ってるうちに、すぐに入店できました。回転早し、です。

迷わず、かしわうどん細めんとお稲荷さんを注文。トイレ行っている間に、店員さんが運んできてくれました。

ほうら、かしわうどんです!!

お箸で口に運ぶと……肉うどんではないこれがかしわうどん。

讃岐でもない大阪風でもない、少し甘い汁。うどんには腰はなく、口で溶けていくって感じです。

 

おっといけない、今日は宇陀松山城に行かねばならんのです、今12時10分、12時半の電車に乗らないといけないのです。

急ぎましょ、食べましょ、流し込みましょ。

 

12時53分鶴橋駅発近鉄大阪線急行に乗って、13時46分奈良県榛原駅に到着です。

ここからは奈良交通バスのお世話になります。

14時9分です。まだ暑いので水分取って、お手洗いに行って。

大宇陀道の駅バス停で降りる予定ですが、2つ手前の西山バス停で下車します。30分ほど500円でした。

さあ、ここから歩きましょう。

宇陀市立大宇陀小学校前を抜けて行きます。

宇陀川に架かる宇陀橋を渡ると、町並みがそれらしくなっていきます。

あ、いきなり松山西口関門が現れました。

ここで左に折れる訳ですが、門が黒いため黒門とも呼ばれています。

この地図に沿って登っていきましょう。

坂道を登っていくと左が天理教教会、右が登城口に分かれました。

おや、一般のお宅に近づいちゃいました。

屋根部分が台風か何かで被災されており、無人の様です。

しかし右の口が開いており、私のナビはここを通れと指示出ししてきました。

すいません、前を通りますよ。

あれ、また道が2つに分かれます。

左が、

こんな感じで、いかにも登山道。

右の降りる感じが春日神社方面です。

ナビが登山道を指し示すの行ってみたら……行き止まりで宇陀市水道局の設備しかありませんでした( ゚Д゚)

諦めて下り、春日神社方面を探索してみます。

春日神社です、探索の無事を祈願しましょう。

江戸時代元禄年間に寄進されたお手水だそうですよ。

恐ろしい事件が記されています。

例の三介殿、織田信雄が大阪の陣後、上野と大和に領地を与えられました。

信雄は上野に四男を与え、自分は大和の宇陀松山の主になったようです。亡くなった後は、五男に後を託しました。

ちなみに近くの室生寺に分骨された信雄の墓があるんですって。

三介殿はともかく、五男高長、その次男長頼、その長男信武が継いでいくのですが……この信武さんがやってしまったのです。

織田信雄旧来の家臣と父の長頼が連れて来た加賀国出身の家来が対立し、信武は織田家旧来の家臣の田中某、生駒某を上意討ちで殺害し、生駒に至っては一族を討ち果たしてしまったのです。

事件を知った幕府が事情聴取をしようとすると、信武さんは自害……織田家は丹波柏原に減俸の上国替えをされてしまう訳なのです。

これが宇陀崩れ。

この信武さんの癇癪っぽいところ、ご先祖信長の短気と少し似ている様な気がしますが、やっぱり三介殿の血なのでしょうか。

 

さあお城攻略に戻りたい、のですが、道が分からないです。

以前に登った道の駅ルートから改めて行きましょうかねえ。

神社を下って行くと、あ!!

わはは、これは罠です、孔明の罠です。

ですが孔明の罠に乗ってやりましょうぞ!

まるで獣道(笑)大丈夫かいな。

泥道を通った後、少し道が伐採されてます。

左が開けて石垣、いやこれは近世のものでしょうね。

石段が出てきました。手すりもあって安心かな?

南北朝のころの名前の秋山城という別名の表示です。

これも罠?

でも登るしかないのです。

あれ!!

視界が広がり、車が見えてきました(笑)

駐車場でした、ここは見覚えがあります。

道の駅から登って来るとここに出るのでした、孔明殿、疑ってすいませんでした。

説明版もあるのです。

上から見るとこんな感じです。山城ですね。

もう少し登らないといけません。

空堀ですね、ヒイヒイ。

石垣が見えてきましたよ。

雑草を伐採していただいてる方々が数人いました。先ほどの駐車場に停めている車は彼らの物なのでした。

彼らのお陰で探索できる訳です、感謝。

雑草が無くなってスッキリ!!

ヒィヒィ言いますが心は弾みます。

隠れていた崩れた石垣がゴロゴロ。

15時15分、早くしないと日が傾いてしまいますね。

この傾斜を右に曲がりますと……

もう少しの感じ。

キタ――(゚∀゚)――!!

本丸跡です、つきました。

西山のバス停から40分、迷った時間を含めて登れました。

また石がゴロゴロです。

振り返れば、遠く東吉野方面の山が見えます。

更に登れそうです。

天守閣があったそうですが、本当でしょうか。

一番上はこんな感じでした。

宇陀城山471メートルと書かれています。

何故か白髯神社、同じく471メートル。

下はきちんと伐採されております。

煙突の見える建物は何と火葬場でした。では降りましょうか。

こちらも虎口、高麗門があったそうです。

駐車場付近まで戻ってきました、いえ、正しくは管理者用駐車場付近ですかね。

こちらにも説明版。

ずーっと降りて行きます。

この道を歩くと両側が伝統的保存地区です。薬屋さんが多い感じ。

10分ほど歩くと……

あれ、行きの春日神社参道に当たりました。

宇陀松山城春日門跡の石垣。立派に積んであります。

ちょっと登ってみます。

なるほど鳥居が見えます。

春日門跡の説明です、詳しくは読んで下さい(笑)

この参道を行けば、先ほどの本殿に行ける訳です。ようやく納得しました。

私ったら遠回り(笑)

宇陀市立松山地区まちづくりセンターでGETした御城印、単に松山城ですので備中松山城、伊予松山城と間違えそう(笑)

道の駅に着きましたよ。

【しかのこしかのここしたんたん】でラスボスだったせんとくんがお迎えしてくれました。

バス停から見る宇陀松山城。全然分かりませんよね。

16時半です、16時33分のバスに乗って榛原駅に向かいます。

なかなかハードなお城探索でした、でわ。

コメント (4)
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