そう言えば、ですけど。
by |2007-11-09 22:32:18|
加登ホームページのTOP画面って、じっくり見たことありますか?
大抵の方はイライラしてすぐに [ENTER] ボタンをクリックしているのでは?
確かにまどろっこしいかもしれませんが、絵画でも眺めるように、ぜひ一度ゆっくりと鑑賞してみてください。
夏、夏、秋、秋、海。
微妙に偏ってますが、ゆるやかに移ろう日本の季節がそこにはあります。
それはそうと最近関西にも、納骨堂というものが少しずつ増えてきたようです。
お墓に較べると掃除などの面倒がなくて便利、などの理由で購入する方が多いとのこと。
一方お墓と言えば、以前にも書いたように随分面倒臭い。お参りやら掃除やら法要やら、とかく大変。
大変なのですが、中に入る仏様からしたら、春夏秋冬の光と匂いをじかに感じることが出来て楽しいんじゃないかなあと、あるスタッフが言っていました。
なるほど、確かにそうだ。納骨堂には納骨堂の良さがあるのだろうけれど、個人的には大空の下、生まれ育った地球を感じていたい。
ヒマラヤ山脈に位置するチベットやブータン、タイやミャンマーをはじめとする東南アジアの仏教国同様、仏教の伝来以前から日本にはアニミズム=精霊信仰の伝統があった。草木にも山にも、川にも土にも火にも、すべて精霊が宿っている。
たとえばタイなんかに行くと、未だにどの家庭にも精霊(タイ語で「ピー」)を祀る廟がある。首都バンコクのサイアム・スクエアという一画は、日本で言うと新宿と渋谷を足して2で割ってナンプラーを思い切りかけたような繁華街(伊勢丹もそごうもあります)なのですが、そこにもピーを祀る巨大なスペースがあって、林立するデパートの群れの間で、畏怖すべきピーに対して線香を捧げる人が後を絶たない。
バンコクの若者は総じてお洒落で、男も女もみな細くてチャラチャラしているように見えるのですが、そんな若者たちが当たり前のように線香に火をつけて手を合わせている姿をみると、何とも言えない気分になります。
随分脱線してしまいましたが、農耕、特に稲作で発展してきたアジア諸国にとって、自然とは崇拝の対象だったわけですね。身のまわりの自然を怒らせると、それこそ生きてはいけなかった。現在でも神道の行事として地鎮祭などありますが、基本的に自然を敬い、自然のなかで生きるということが、我々にとって至極ナチュラルなことなんですよね。
そういう意味でも、やっぱし、お墓って、ええで!
お参りだとか掃除だとか確かに面倒臭いかもしれないけど、僕達が親やその親たちにかけた苦労を思えば、そのくらいしてあげないと、供養とは呼べないのかもしれませんしね。
株式会社加登ホームページへ
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確かにまどろっこしいかもしれませんが、絵画でも眺めるように、ぜひ一度ゆっくりと鑑賞してみてください。
夏、夏、秋、秋、海。
微妙に偏ってますが、ゆるやかに移ろう日本の季節がそこにはあります。
それはそうと最近関西にも、納骨堂というものが少しずつ増えてきたようです。
お墓に較べると掃除などの面倒がなくて便利、などの理由で購入する方が多いとのこと。
一方お墓と言えば、以前にも書いたように随分面倒臭い。お参りやら掃除やら法要やら、とかく大変。
大変なのですが、中に入る仏様からしたら、春夏秋冬の光と匂いをじかに感じることが出来て楽しいんじゃないかなあと、あるスタッフが言っていました。
なるほど、確かにそうだ。納骨堂には納骨堂の良さがあるのだろうけれど、個人的には大空の下、生まれ育った地球を感じていたい。
ヒマラヤ山脈に位置するチベットやブータン、タイやミャンマーをはじめとする東南アジアの仏教国同様、仏教の伝来以前から日本にはアニミズム=精霊信仰の伝統があった。草木にも山にも、川にも土にも火にも、すべて精霊が宿っている。
たとえばタイなんかに行くと、未だにどの家庭にも精霊(タイ語で「ピー」)を祀る廟がある。首都バンコクのサイアム・スクエアという一画は、日本で言うと新宿と渋谷を足して2で割ってナンプラーを思い切りかけたような繁華街(伊勢丹もそごうもあります)なのですが、そこにもピーを祀る巨大なスペースがあって、林立するデパートの群れの間で、畏怖すべきピーに対して線香を捧げる人が後を絶たない。
バンコクの若者は総じてお洒落で、男も女もみな細くてチャラチャラしているように見えるのですが、そんな若者たちが当たり前のように線香に火をつけて手を合わせている姿をみると、何とも言えない気分になります。
随分脱線してしまいましたが、農耕、特に稲作で発展してきたアジア諸国にとって、自然とは崇拝の対象だったわけですね。身のまわりの自然を怒らせると、それこそ生きてはいけなかった。現在でも神道の行事として地鎮祭などありますが、基本的に自然を敬い、自然のなかで生きるということが、我々にとって至極ナチュラルなことなんですよね。
そういう意味でも、やっぱし、お墓って、ええで!
お参りだとか掃除だとか確かに面倒臭いかもしれないけど、僕達が親やその親たちにかけた苦労を思えば、そのくらいしてあげないと、供養とは呼べないのかもしれませんしね。
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