若人よ。
by |2009-08-25 18:22:11|
昨日のミーティングで、こんな話題が。
僕もそうなんですが40代より下の人は、自分が死んだらお墓をどうしようなんてあまり意識してませんよね。
では、ご両親がお墓をお持ちでない方は、ご両親のいずれかがお亡くなりになったらどうしますか?
普通の感覚であれば、何らかのカタチで供養はしてあげたいと思いますよね。
問題は、その「カタチ」です。
この仕事に携わっているからこんなこと言うわけではないのですが、やっぱりお墓を建ててあげないと、さすがに申し訳なくないですか?
お参りをする「場」っていうのはすごく大事な気がするんですけどね。
「場」がなければ供養ができないってこともないのかも知れませんが、それじゃあたとえば「ひめゆりの塔」の存在意義は?
みたいな話になってくるわけで、後世へと思いを伝える特別な「場」というのはどうしても必要だし、それは僕らにとってお墓以外にありえない気がします。
沖縄や熊野なんかに行くと、山や森、海、川のなかに神聖な「場」が点在しています。
神の世界―非・日常と現世―日常とのあわいにある聖域。
それらはやはり息をのむような、独特の空気感を持っています。
都会に住んでると、そういう特別な「場」というのを意識しづらい。
お墓を持つということは、この世に残された我々が、ご先祖であったり死者のタマシイであったりと交感する「場」、非日常とのあわいを手にすることだと思うのです。
読経の声を聞きながら目を閉じ、亡き人々の思い出と触れあう。
日常に戻った折は、その体験が生活に感謝を与える。
子供が出来たら、お墓参りに連れて行く。
残念ながら我々が暮らす都会は、神々やタマシイが当たり前のように棲んでいる世界ではありません。
だからこそ、お墓という「場」が必要なのではないでしょうか。
僕はそう思います。
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