♪シンガーソングライター★近井智沙子のブログ☆彡

シンガーソングライターは趣味と言い切る近井智沙子のちょっとした日常を書き留めます。

億男-原作と映画の違い-

2019-11-15 | アート・映画・演劇
先週、KHBライブの前の時間潰しに執筆していた記事がこれです^^;

この億男のプロモで一生さんは九十九と一男は鏡映しのような、
1つ間違ったら九十九は一男の立場になっていたかもしれないと
コメントしてたことがあったけど原作と映画を対比して見ると
それがよく分かる。

原作では床に敷き詰めた三億円に一男が座っているのだ。
これに対し映画では九十九が乗っている。

それと原作では三億円と九十九が消えて気分が悪くなり嘔吐したのは
一男の方であり、新歓コンパらしい描写は原作にはないのだ。でも
映画ではあのシーンで2人が親友となったのがよく表れている。
九十九は一男が落研に入部したのが嬉しかったんだよね。

また映画では九十九は自身のことを変わらないと言っているけど
原作では大金持ちになることで変わってしまったと言っている。
お金で何でも解決できてしまうことが分かってしまってからは
何も楽しめなくなってしまったと。だからこそ細かいお金にも
執着しようとした。
旅も本来格安航空券をとったり予算と希望に合うホテルを探したり
少しでも安く欲しいものを手に入れたりするのが楽しかったり
するのだから。

大きな違いはあきらは映画だけの登場人物であるということ。

原作では自力で調べて最初に十和子を訪れている。十和子の話も
浅くはなっているが旦那と結婚した理由はまぁまぁ同じ。だけど
原作では一男はその旦那さんに駅まで送ってもらうときに
話してるんだよね。

次に百瀬を訪ねてあの賭けする件は同じだが、百瀬が落ちてる
1円玉を拾うシーンはなかったな。それに映画では百瀬は一男の
三億円は戻ってこないだろうと言っていたけど、原作では
「九十九見つかるといいな」「親友なら見つけるべきや」、
そして一男が九十九を見つけることに「賭けたい」と言っていた。

そして千住。百瀬は千住のことあまり好かんかったみたいだけど
九十九と千住は親友やったと聞かされる。映画では触れていない。
それもバイカムを売却した経緯が簡単になっているからだ。
この経緯が原作では泣かせるな。

万佐子との馴れ初めも原作には詳しく書かれている。映画では
クライマックスに向かう回想シーンでほんの一瞬だけどそれが
織り込まれている。

前にちらっと書いたけど物語後半で娘のまどかと話すシーン。
映画では自分のこととして親友がお金とともにいなくなったことを
打ち明けるが、原作では友達の話としてまどかに話してみる。
すると、まどかは「お父さんのお友達もいなくなったお友達も
どっちも悪い人じゃないと思う。」と言うんだよね。友達のこと
じゃなくてお父さんのことだと気がついてなのかどうなのかは
分からないがこの娘の言葉には勇気づけられる。

そうそう、九十九が飲食で悩みたくなくていつも同じカップ
ラーメンとコーラを愛飲しているのは説明こそされていないが
いつもコーラを手にしているし九十九の部屋にカップラーメンが
箱買いされているのが見受けられた。まぁ要するに原作を先に
読んで映画を見たいのはそういうところを見てニヤニヤしたい
からだ(^_^;)

最後再会するシーンが微妙に違う。原作では三億円の存在より
九十九だけが一男の前にふいに現れる。そして九十九に誘導されて
一男は九十九が消えたのは「芝浜」だと気づく。映画では先に
三億円が返されて九十九と話し、「『芝浜』なんだろ?」と
一男から言い出す。

前にも書いたけど映画でモロッコで何かあるといけないから
現金を靴に隠しておきその現金が思い出の写真とともに置いて
あるのは原作にはない演出なんだけど、これにも意味持たせて
あるんじゃないかと想像する。

モロッコ通貨のディルハムって国外持ち出し禁止なんだよね。
つまりモロッコ以外では流通してないの。てことは日本にある
あのディルハムは「こんなの紙切れー」(もちろん千住風に)
なのだ。

ところで、娘の“まどか”は平仮名なのだけど、漢字にしたら
“円”なのかな。英語タイトルはMILLION DOLLAR MANで“ドル”
なんだけど。


東京公演のチケット取れなかったー(;_:)

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