サイコロジスト101

旧J&PホットラインSIG101opMr.髭が運営。
健康心理学、生理心理学、ストマネを学びましょう!

ストレスマネジメント研究の歴史-4

2008-01-07 20:06:55 | Weblog
PGS研究会

 震災ストレスケアの真っ最中の1996年、大学時代の同級生で当時大阪府立青年の家指導主事をしていた田嶌和久君からストレスマネジメント教育に関する研修企画お誘いをいただいきました。
 震災後の活動について、方々の保健所や学校主催の講演会に呼ばれてお話していたので、お引き受けすることに。早稲田でストレスマネジメントの国際会議をするというので、ボストン大学からザイコフスキー先生と、スウェーデン・オレブロ大学からソリン先生を招いて盛大に会議を準備していたので、もしやと大阪にお呼びして、ぜひといったらザイコフスキー先生も参加いただくこととに。私をはじめ、早稲田大学の竹中先生、大阪府立看護大学の服部先生とゴージャスな講師陣を率いて、2月に研修会開催です。
 大阪府教育委員会から70名ほどの現場教師が集まって、一泊二日の泊まり込み研修で勉強してくださいました。言うに及ばず、たいへん評判がよかったので、翌年の1998年2月に第二回ストレスマネジメント研修を開催することに。二回目のほうはOSMAの仲間を中心に、わきあいあいの開催でした。その中に当時高槻市茨木市立養成中学校の体育教諭坪田泉先生と、高元伊知郎の両先生が参加されていました。
 同時期、こころの健康総合センターでもストレスマネジメントをテーマとした研修を企画したところ、心理師やナース、保健師にまじって教員も参加。その中に、高槻市立第六中学校養護教諭に復帰寸前の香田順子先生も参加されていました。講師役の当時大阪少年鑑別所にいた大野太郎さんのもとに、香田先生がfaxを送り、学校でやってみたいのでよろしく指導をとのこと。私たちは大慌てで、高槻市内や大阪府立看護大学で毎月のように研修会を開催し、授業計画をねることになりました。
 その秋、大阪府教委主催で第三回めとなるストレスマネジメント研修を開催したところ、坪田、高元、香田の3先生が揃い踏みとなり、1998年の年末に梅田か茨木市内の喫茶店でお会いして、1999年から毎月定期的にストレスマネジメント教育の実践家を養成するための研究会を開催することを決定。PGS(Practical Group for Stress Management)研究会の発足につながりました。
 1999年1月以来、毎月のように大阪府立看護大学や大阪府立青少年会館の研修室、あるいは大阪府職員研修所を借りて研鑽の日々。コアメンバとして私、大野くん、高元先生、坪田先生、香田先生、当時山本病院にいた心理師の百々尚美さん、関学大学院生の廣川空美さんなどがとっかえひっかえ議論を重ねつつ、毎回新人の参加者を得てわいわい楽しんでおりました。忘れてはならないのは、大阪府こころの健康総合センター医師の野田哲朗先生、近畿福祉大学の堤敏彦先生のお二人も強固なメンバーとして参加してくれました。
 年があらたまって2000年になるころ、私も参加していた大阪府21世紀版青少年健全育成計画がほぼ完成となっていました。その過程でストレスマネジメント教育の推進事業を組み込むこととし、2001年度から3年間にわたるストレスチャレンジ教育事業を開始することに。2000年度はその準備をかねて、八尾、貝塚、松原の3地区で私と香田先生が中心となって地域の子どもたちを相手に、ストレスマネジメント教育を実践する試みをしました。
 ストレスマネジメント教育は、NHKをはじめ、毎日TVなど多くのメディアでとりあげられ、PGSの主要メンバーのほとんどが取材協力。活気有る一時期でした。
 そして2001年5月から開始したストレスチャレンジ教育事業は、毎年度大阪府下7地区で事業を開催。PGSメンバーが講師役を務めつつ、地域の大人たちにストレスマネジメント教育のなんたるかを講じ、実践技法を伝授すること3年。その間に、幾重もの新人会員を得つつ、PGS研究会の基本理念・基本技法が確立することになりました。
 この間に、私たちPGS流ストレスマネジメント教育のテキストを編纂することになりました。

 1 ストレスマネジメントテキスト(2002年)、これが定番テキスト。

 これがこのテキストに添付の本です。このほか、

 2 ストレスマネジメントワークブック(2002年)、子どもが記入しながら学ぶワークブック
 3 ストレスマネジメント・フォキッズ(2003年)、小学校低学年向けの教材集
 
 の2册も東山書房から出版されました。
 2004年3月に無事任を終えた後も、2004年から3年にわたって堺市教育委員会主催のストレスマネジメント教育研修もPGSメンバーが講師役となってストレスマネジメント教育を広げてきたという次第です。

2008/1/7 山田冨美雄記