サイコロジスト101

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健康心理学、生理心理学、ストマネを学びましょう!

第10回ストレスマネジメント学会開催

2011-07-30 10:48:50 | Weblog
昨夜から倉敷入り。

今朝10時から、川崎医療福祉大学で大会開催しています。

大会長の保野先生の挨拶のあと、冨永理事長の挨拶。

そして、講演。

広島大学の林先生による、ストレスマネジメントと睡眠との関係。

仮眠、昼寝が、健康にもよいとのこと。

震災後の避難所での最も大きな問題は眠れないという症状。

大学生は仮眠15分が、疲労感を低下させるのによろしいかと。

そういえば、授業中うたた寝する学生がいます。いっそ、強制的に15分間眠らせるという授業技法もあるとか。

台湾では小学生を対象としてそうした取り組みをしているんですって。

いやー、楽しいお話です。

2011/07/30・記


初日の打ち上げ

2011-07-29 03:11:42 | Weblog
ヒューマンケア心理学会初日は朝からずっとつまってました。

午前中は山野君、植村君、水原さん、加藤さん、それに中畑君の発表。

午後は、版大の平井先生の研修司会。

そして私の講演。

落語のあと懇親会。

いっぱいの仕事をしたあと、うちあげにまいりました。

私と教え子さんたち、兄、島井先生、宇津木先生、橋本先生もごいっしょ。

新鮮な魚とビールをたっぷりお腹に入れ、記念写真をとりました。

2011/07/29・記

笑太郎さんの落語はさすが

2011-07-29 03:06:22 | Weblog
グループいっせきによる、ヒューマンケア心理学会寄席。

夢うつつ(兄)の四方山話のあと、千里家笑太郎さんの落語。

ネタはヒューマンケアらしく「子は鎹(かすがい)」。

6代目松鶴の演出を真似たとおっしゃってましたが、余計な説明を抜いた導入部の母親と世話焼き女性との会話。

そのあと、こまんしゃくれた子どものモノローグ。

分かれた父母の鎹になるこの子の風情は、さすが笑太郎さん。

会場内から拍手とともに、すすり泣く声すら聞こえました。

2011/07/29・記

p.s.
ちなみに、司会は関大亭金角さんでした。

ヒューマンケア心理学会初日講演

2011-07-29 02:52:48 | Weblog
ヒューマンケア心理学会の初日。

午後4時15分から1時間半、私が講演を行いました。

約1時間、震災における活動と石巻の現状、それとこれから必要なヒューマンケアについてお話しました。

石巻の子どもたちが、阪神淡路の時と比べると相当強いストレス反応を示していることをお話しました。

また、愛他性も強く表れていることから、被災した子どもたちは、サポートしてくれた人々からの愛を受け止め、今度は周りの人たちに愛を向けるようになっていることをお伝えしました。

阪神淡路大震災のときの私たちの活動は、自分を知ろうチェックリストをつかった、ストレスの自覚からはじまりました。

こんども、そうした活動が必要だと考えています。

大阪教育大学池田小学校での事件のときも、同様の活動がなされました。

その他、台湾地震、中国四川省地震、アチェ津波などでもストレスマネジメント教育は役だったと聞いています。

ところが身内である兄嫁がJR尼崎脱線事故で亡くなったときには、兄や兄の家族に対して私は無力でした。

それでも兄は随分強く生き、元気に落語会などを開催しています。

そんな兄に、一言語ってもらいました。

20分くらい話してもらいましたが、会場のあちこちから涙をすする音が。

少ししんみりしたところで、本学会のテーマである「輪・和・笑」に結びつける話に結びました。

学会の講演で会場からの涙を受けたのは初めて。

笑ってもらおうとネタくりしたのですが、涙と笑いは紙一重といったところでしょうか。

予定していた時間内で話を終え、拍手喝采の中でお開きとなりました。

2011/07/29・記



ヒューマンケア心理学会初日

2011-07-29 02:48:51 | Weblog
第13回日本ヒューマンケア心理学会は先週土曜日の2011年7月23日から翌24日の日曜日にかけ二日間にわたり、大阪市立大学医学部看護学科棟(天王寺)において開催されました。

私も学会運営委員会の副委員長として参加しました。
とくに、初日は大忙し。

この光景は、会場受付にて、開会前の準備を終えた大阪市立大の院生たち。

合計100名ほどのかたが、全国から参加してくださいました。

2011/07/29・記



当日は大潮でした

2011-07-19 08:43:42 | Weblog
2011年7月17日の夕方、石巻の湊小学校避難所を出て、川沿いを南に出ようとしました。

ところがこの日は大潮。

15夜のお月さんがきれいでしたよね。

月の引力はさすがすごい。既に水かさが増し、川縁は堤防のないところ水浸し。

夜にかけてさらに水かさが増すという杉山先生のメール通り。

少しだけ南に下って、被災地の様子を目で確かめることにしました。

石ノ森漫画館の対岸、湊小学校側からの風景を、橋袂の半壊陸橋に登ってレンズを向けました。

ドーム型の建て屋が石ノ森漫画館。

その手前すべてががれき撤去の後で何もないのがわかります。

橋も半壊。大きなトラックが通ると、大きく揺れます。

欄干は危険そのもので、寄りかかることはできません。

台風6号が接近しています。今大阪は強い雨。明日上陸の可能性とか。

そういえば昨日のANA、揺れました。

避難所にこの大雨が行ったらどうなるんでしょう。台風が近づかないよう祈るほかありません。


2011/07/19・記





時計の針は止まっているが、時は動いています

2011-07-19 01:47:08 | Weblog
これは湊小学校の校舎の外観。

柱時計の針はいつも3時50分。

見慣れたせいか、風景に溶け込んでしまう止まった時計です。

子どもたちが再びこの校舎で勉強をすることはないかもしれません。

建物の修復には、想像もつかない時間と費用がかかるでしょう。

それでも、この、針が動かなくなった時計は、ずっとこの校舎の壁の一部としてあり続けるのでしょうか。

私の胸には、3時50分を指す針が、湊小学校の思い出と重なっています。

それにしても、すさまじい暑さの中、飛び交う蝿が健康を損ねることのないよう、避難者の方々におかれては十分ご注意ください。

日赤主導の医療班は昨日7月17日で撤退されました。

健康維持は地元の医療機関が担うことになるとか。

地元の医療機関といっても、心の健康を支える機関は乏しい現状です。

子どもたちの心の健康にも配慮が必要です。

夏休みです。この間に先生方は十分なる準備をしていただきたいです。

休み明けもやはり住吉中学校の校舎を借りての授業ということで、たいへんだとおもいます。

ぜひ、私たちが薦めるストレスマネジメント教育を、導入していただけたらとおもいます。

夏の祭りや秋の体育祭は、体を動かしてストレスを解消するアクティベーションの実践の場です。

文化祭は、音楽や絵画などでリラクセーション指導、あるいは心の整理のための文集作りなどの効果があります。

8月に予定されているお盆では、亡き人の初盆供養となります。

8月20日過ぎの2学期開始から2週間もすれば、震災半年のメモリアル。

ストレスマネジメントにぴったりの時期です。

教育委員会の先生方、夏休み中に研修を受け、ストレスマネジメント教育を開始してください。

お手伝いします。

2011/07/19・記



石ノ森漫画館:章太郎さんと握手

2011-07-19 01:43:18 | Weblog
2011年07月18日

石ノ森漫画館入り口には、看板があり、そのあといろんな漫画家の手形が。

そしてなにより、この石ノ森章太郎さんの右手像。

握手してきました。

なかなか大きな手でした。

この大きな手に、何名のファンが握手をしにきていたのでしょう。

朝早い時間帯だったのにもかかわらず、数名のファンとみうけられる人が訪れていました。

川の対岸風景も相当ひどい状況です。

はてさて、この地に再び記念館が建つ日がくるのでしょうか?

2011/07/19・記

石ノ森漫画館のある中州:樹に寄り添うボート

2011-07-19 01:38:28 | Weblog
2011年07月18日朝

石ノ森漫画館は中州に建っています、というか建っていました。

今はもう、廃墟のようで、ずたずたです。

やたらボートが打ち上げられて壊れ、放置されているのが目に入ります。

樹木に寄り添うボートをみたことがあまりないのに、なぜか自然な風景のように見過ごしてしまいます。

自然の風景にはけっしてない組み合わせですよね。そういえば。

被災地をみつづけていると、景色の中の日常性が失われます。

やはりこれは異常な風景なんだと、自らの感性に往復ビンタをしてシャッターを押しました。

2011/07/19・記

石ノ森漫画館のある中州

2011-07-19 01:34:27 | Weblog
2011年7月18日朝。

石ノ森章太郎さんの漫画記念館はどうなっているんだろうというので、訪ねてみました。

いやはや、すごい惨状です。

中州なので、津波の直撃をうけたのはもちろん、いろんなものが流れてきたようで、とんでもない景色です。

記念館を背景に、木が無残に傷ついてもなおたち続けているのが印象的でした。

2011/07/19・記


湊小学校避難所(4)チーム神戸の若者

2011-07-18 06:30:14 | Weblog
チーム神戸は、金田さんの指揮の下、全国から若者がボランティアとして活動しています。

この日は、東京から活動に参加する男性が動き回っていました。

また、滋賀県の若い女性がいろいろ切り盛りされていました。

蝿がとびかう被災地で、暑い日差しの下、こうした若者の元気こそが避難生活を余儀なくされているお年寄りには何よりなのかもしれません。

2011/07/18・記

湊小学校避難所(3)チーム神戸

2011-07-18 06:26:09 | Weblog
湊小学校の避難所入り口前に白いテントが。

何だろうと思っていたのですが、これがチーム神戸のテント。

チームのリーダーである金田さんからお話を伺うことができました。

震災後1週間めに湊小学校に入り、活動をはじめられたとか。

阪神淡路大震災では被災者として過ごしたあと、いくつかの災害時の支援活動を行ってこられたとか。

この日、神戸からもどってきたところとか。

日焼けした元気な関西弁にこちらが戸惑う始末。

いっしょに写真をとってご満悦です。

2011/07/18・記



湊小学校避難所(2)水の話~1F廊下の跡形

2011-07-18 06:19:34 | Weblog
阿部先生に、避難所となっている校舎内を案内してもらいました。

1F廊下の壁には、津波の跡形がくっきりと出ていました。

津波のあと、1400名ほどの避難者が身を寄せ合っていたこの校舎。今は140名ほど。

当初は水がなく、自衛隊のヘリコプターから投下される救援物資に入っているボトル水が唯一の水。

弱っている人、粉ミルクが必要な子どもをもつ母親のためだけにこの貴重な水をつかったとか。

「水があってはじめて避難所は成立するんです」と強調する阿部先生。

水道が復旧してからは、お風呂ボランティアさんが来て、避難者も体を洗うことができるようになったとか。

私たちが持参したポカリスウェットの粉末も、水で溶かして機能性飲料になり、自由に飲めるタンクに入れられました。

2011/07/18・記

阿部先生と私

2011-07-18 06:13:01 | Weblog
阿部先生と並んで写真を撮りました。

ここは湊小学校2階の図書室。

今でも避難生活をしている人が140名ほどいるこの校舎。教室が家のようになっていました。

そしてそのなかには、湊小の生徒の家族も10所帯くらいいらっしゃるとか。

そうした子どもたちを対象として、ご父兄がストレスマネジメント教育のようなセッションをなさっているのがこの図書室。

案内されたときには既にご担当の星さんはいらっしゃらず、お会いできませんでした。

音楽や遊びを通じて、子どもたちの心の癒しをと、星さんたちが活動されている姿がみれなかったのが残念でした。

小澤先生たちもこの活動に参加されているとかで、先日写真をみせてもらいました。

この教室で阿部先生とお話を伺ったのです。

大阪府池田市のかたたちが、こうした子どもたちへの遊び活動などを支援されているとか。

大学近くの池田市の人たちとの交流があったことは初めて知りました。

阿部先生は、8月20日辺りに池田市の招待で大阪においでになるとか。

ぜひお会いする機会を作りたいとおもいました。

2011/07/18・記