サイコロジスト101

旧J&PホットラインSIG101opMr.髭が運営。
健康心理学、生理心理学、ストマネを学びましょう!

幸せの象徴

2009-02-28 06:39:07 | Weblog
幸せそうな一羽の鳩。

噴水の端で毛繕い。

眺める人も遠目ですっきり。

近づき、触れようとする人などなし。

本当の幸せみる想い。



2009/02/28記

夜の大阪城

2009-02-25 22:07:06 | Weblog
森ノ宮に出向きまして、青少年会館で開催のユースワーカー講座でストマネをしてきました。
夜空に映える大阪城はライトアップもあり、くっきりと目に焼き付きます。
今日から花粉症のスイッチが入ったようで、苦しい一時でした。ふぅ
090225記

新しい世界観は虹の目から

2009-02-25 07:26:36 | Weblog
    昨年11月、名古屋からなんばまでの近鉄電車の中からみえた虹

虹は七色といいますが、けっして色は7つにきれいに分かれているものではありません。

連続したスペクトル。赤から青までの可視光は無限に分類されます。

カラーコーディネーターという、色合わせのプロもいるくらいですね。

可視光とは電磁波のうち、380ナノメートルから720ナノメートルの波長を指します。

赤色より波長が長いのは赤外線、青より短いのは紫外線といいますが、これらも含めるとそれこそ無限の色がこの世にはあるわけです。

ところが、人間の目には可視光しか見えません。

ビデオカメラで撮影すると、赤外線が見えますよね。これはビデオカメラの目=CCDが赤外線もカバーできるからです。

遠赤外線が出るこたつや囲炉裏は、あたたかです。

紫外線を皮膚に長時間あてると、皮膚に悪い影響が出ます。

こうした赤外や紫外の色が見分けられる目をもった生物がいます。

広範囲の色を見ることができるそんな生物になって世の中を歩き回ってみたい。

きっと、今まで見たことのない美しい世界でしょう。新しい世界観がうまれるはずです。

そんな目を「虹目」、そんな目をもつ生物目を「虹目目」。

人間の目も、突然変異でそうした虹目目化する可能性は0とはいえないでしょう。

そんなことをふと考え出してしまう、虹です。

今日は雨。雨があがるとき、陽がうまく差してくれれば、そこかしこでみえます。

昨日2月24日は私と家内の29回目の結婚記念の日。

人生の半分を家内と過ごしている勘定。

虹目で家内をみなおしてみようかとおもう今朝でした。

2009/02/25記



おもわず走り出したくなる壁

2009-02-23 09:03:43 | Weblog
不思議な壁でしょ。

さて、どこにあるものなのでしょうか?

去年の秋、とある用事で名古屋に行ったとき。

会場最寄りの地下鉄駅改札前のモニュメント・ウォールっていうんでしょうか。

おもわず走り出したくなる、壁ですよね。

さて、どこの駅でしょうか?


2009/02/23記


のぞみからみる富士山

2009-02-22 12:08:26 | Weblog
去年の11月2日。

のぞみで東京に向かう途中、静岡あたりで富士山が目に入ってきました。

なぜか、新幹線に乗ると、富士山を見たいとおもってしまいます。

この日は美しかった。

昨日、新大阪でのぞみに飛び込んだ人がいました。

Webで調べたら、このところ、のぞみから飛び降りる事件もありました。

新幹線は当初、夢の超特急と呼ばれました。

「ひかり」と「こだま」の時代。大阪から東京まで4時間半かかっていました。

その0系新幹線は完全退役したそうです。川崎重工兵庫工場に0系は永久保存されるとか。

その頃のわくわくしてシートに座り、窓からみえる富士山をみて手を合わせる人もみたことがあります。

そんな新幹線から飛び降りたり、通過するのぞみに飛び込む人がいるときくと、なぜか寂しいきがします。

2009/02/22記


関西心理学会100回大会

2009-02-22 02:23:27 | Weblog
関西心理学会という地方学会があります。

「関西心理学会は1927年に始まり、これまで80年にわたって心理学の発展と応 用・普及のために貢献してきました。2007年度には119回大会を迎える、会員数 約 900名の心理学関係ではわが国最大の地域学会です」(http://sanko4.hus.osaka-u.ac.jp/~sinohara/cgi-bin/kanshin/wiki.cgi?page=aisatu)

と、三浦学会長の言にもあるように歴史は古く、日本心理学会よりも前から、関西で心理学会を名乗ってきたのです。

この写真は、100回大会。1988年のもの。

京都大学で開催されたときの、記念写真です。

昨年の奈良女子大学で開催された120回大会のおりに、関口先生の回顧談で紹介されたもの。

調べてみたら、私もこのとき発表していました。

山田冨美雄
VDT作業と瞬目活動(1):文字検索課題での記憶セットサイズが瞬目数に及ぼす効果.
関西心理学会第100回大会学術大会, 1988年11月27日, 京都(京都大学).

という発表記録がありました。20年前のこと

写真には、最前列に浜先生など今は亡き雄姿が。

私は5列目の右端あたりに写っています。

ところで、この関西心理学会121回大会を、本学で開催することになっています。

4月にも学会事務局が大阪教育大に移ったころ、大会準備委員会を発足させることになっています。

このような記録に残るような記念写真撮影会を企画してみるのも手ですね。

2009/02/22記


眼下の雲に日輪と機影

2009-02-20 09:46:08 | Weblog
    2008/10/12四国上空を飛ぶJAL機からの映像(Lumix使用)


昨年10月12日、鹿児島への空路の旅。

窓脇のシートから見下ろすと四国上空に漂う雲。

そこに太陽の光が差して日輪を描いていました。

きれいだな~とデジカメを取り出し、撮影していたら、なんと日輪の中に私たちが乗っている飛行機の影。

このような映像が撮れるとは思いもよらず、しばし数枚スチールで。

movieでも数十秒。

以来飛行機に搭乗するたびに窓際に席を取り、頭上に太陽、眼下に雲という設定を待つのですが、なかなかありませんね。

曇天の本日でも、雲の上を通過する飛行機からは、このように眼下の雲に日輪と機影が映る偶然が訪れているかとおもうと、わくわくしてくるのは私だけでしょうか?

2009/02/20記




副大臣は何してるのか?

2009-02-19 12:42:04 | Weblog
政治について書くのは余り好きではないのですが、今回の中川蔵相退任騒動について一言。

財務大臣が辞任したなら、副大臣が大臣の代理をするはず。

本来、いちばん妥当な結論なんだけど、与謝野さんが兼任に。

ちょっとおかしいですね。

なにごとも、兼任はたいへんです。

2009/2/19記

昭和30年ころの交通状況

2009-02-19 10:07:46 | Weblog
   築地の市場を電動車が行き交う姿はさながら昭和30年頃の交通事情

 光明池安全運転学校で交通心理の講義をして20年が過ぎました。

 これまではOHPを使って、透明シートに印刷したりコピーしたものをプレゼン資料として使っていました。

 それが、この2月から、PCプレゼンに代わりました。

 パワポイントでプレゼンできるようになったのです。

 世の進歩に比べてなんとのんびりしているかとおもう方もいるとおもいます。

 で、私にとっては昨日が初回使用。

 電源がどこにあるのか探したり、持ち込みair-Macの画像確認などのため最初は躊躇したものの、あとはスムーズに話を進めることとなりました。

 大学でやるのと同じペースで話ができるのは楽ですね。

 で、戦後から20007年までの交通事故の経緯を示した図をつかった解説でいつもする話。

 1968年11月の国会で決まった道路交通法改正法案のこと。

 点数制度、違反切符制度導入の著効についてのくだり。

 あの法律が実際に施行された1970年が戦後事故ピークの70万件、負傷者100万人、死者が1万6千数百人。

 施行後5-6年たった1975-6年ではなんと事故数が50万件、負傷者が60万人、死者が8千何百人。

 法律一つで事故が3割減少、負傷者が4割減少、そして死者は半分になったという話。

 昭和30年代といえば、今、レトロブームの象徴で、みなよいことばかりいいます。

 私の小学校では、友だちが一人トラックに跳ねられ犠牲に。昭和35年ころでしたか。

 大阪市内の生まれ・育ちなので、外に出ると車があっちから、こっちから。

 小学校の通学路は2車線道路があり、事故多発帯。

 混雑すると、おまわりさんが黄色地に黒のストライプの入った台に立って、交通整理していました。

 緑のおばさんもいたようです。

 親からは、車には気をつけるようにと始終言われていました。

 昨年8月、東京はK大学の某教授に案内されて築地の市場を尋ねました。8時過ぎだったので、もう競りは終わっていたのですが、写真の車に乗った屈強な男性が私の前後左右を行き交うのです。

 なんて呼ぶのか知らないけれど、電気で動くんだそうです。

 そう早い乗り物ではないとはいえ、当たったら痛いし、けが人もでるようです。

 昭和30年代の交通事情とそっくりな眺めであったことがとても印象に残りました。 

2009/2/19記

Pavlovの墓

2009-02-18 09:08:27 | Weblog
    I.P.Pavlovの墓の前で(2008年9月10日)

昨年の9月。条件反射を発見したイワン・ペテロビッチ・パブロフ先生の墓を訪問しました。

ロシアに入った日から、いや行く前から、どこにパブロフの墓があるのか探し続けました。

でもなかなかみつからない。

関西学院大学の松見淳子先生に別件でメールし、パブロフの墓のことを打診したら、すぐさま旦那様に連絡くださり、翌日にはメールで場所を教えてくださいました。

IOP2008の発表を終えた帰国前日、迷わず英語が話せる運転手つきハイヤーをチャーターして地図を渡し、探し当ててもらいました。

感動。

墓の入口には地図まであり、すぐそこ。

私の原点、パブロフの魂宿る場にて満足しています。

2009/02/18記



四万十の日の出

2009-02-17 19:09:18 | Weblog
      2006年夏四万十で

3年前のこと。

四国は高知県の四万十市で仕事がありました。

早朝、宿泊先の宿から抜け出して川に架かる橋を歩いていたときにみた日の出。

いやー、きれいでした。

朝霧をかき分けるような黄金色の太陽におもわずシャッター。

修論口頭試問を終え、ほっとしているところで見てみたい風景ですね。

修士論文口頭試問スタートです

2009-02-17 06:45:12 | Weblog
2009/02/17(火)

本日9時から、本学修士論文口頭試問がスタートします。

2年過程最後のつめ。

入学したときから、設定したゴールはこの修士論文完成。

ゴールの評価が今日の口頭試問。

この日のために、ゴールセッティングを1年、半年ごとに設定。

3ヶ月ごと、1月ごとに修正。

叱咤激励支援訓話に協力指導

指導教授ができることは、これまで。

さ、がんばれ!

というわけで今日の写真は1996年12月26日の青森港の朝の風景。

寒風がきりりと身に突き刺さるような図柄と色でしょ。院生諸君がんばれ!


p.s.
私のゼミでは、修論の内容は外部評価できるかどうかが評価ポイントの主要なものとなります。
したがって、学会発表は必須。
できれば論文として学会誌に投稿できるよう、今日からシェイプアップが始まります。




Joe Tecceと私

2009-02-16 03:05:14 | Weblog
ボストン・カレッジの心理学教授Joe Tecce先生。

ジョー・トエッチと発音を表記しましょう。

1989年にJ. A. Stern先生企画のシンポジウム「医学と精神生理学におけるまばたき研究」で同席したトエッチ先生。

今ではSPRやIOPで出会うたびに笑顔で近寄ってこられて、ハグされております。

昨年のサンクトペテルスブルクで開催のIOPにおいてもしかり。

私の発表しているポスターにやってきて、次回のIOPは日本でどうだとか、大統領選挙ではまたまばたき測ってみるよとかおっしゃってました。

きれいな奥様といつもごいっしょ。

ロマンの国柄イタリア出身の血がそうさせるのでしょうか、いつも前向き。

今年ベルリンで開催のSPRでまたごいっしょできるでしょうか。

2009/02/16記



1812年の凱旋門?

2009-02-16 02:35:19 | Weblog
私の大好きなクラシック音楽の1つはチャイコフスキーの「大序曲1812年」。

その曲との出会いはけっこう鮮烈でした。

大学生時代のことなので、1970年から1ー2年の間でしょうか。

その年、パイオニアの当時としてはけっこうリーゾナブルなステレオを購入。

自慢は、オープンリールのテープデッキ。

定番のレコードプレーヤーとFMチューナにパワーアンプ、木製ウーハーつきスピーカ。

川西市の自宅2Fの部屋に設置し、ベッドに横たわってFMを聴き流す毎日でした。

その日、何かがあったのでしょう、少し落ち込んでいました。

そのとき、壮大な音楽が。

寺院の鐘の音。

大砲の爆音。

大コーラス。

大地を揺るがす人の声。

響き渡る音量をカバーする我がハイファイ装置。

なんだか知らないが、心わくわく。元気がもりもりとわいてくるのです。

曲名が知りたい。すごい曲だ!たまたまエアチェック準備状態だったので途中から録音。

演奏が終わり、レオポルド・ストコフスキー指揮、フィラデルフィア管弦楽団演奏の序曲1812年との解説。

以来、カラヤン、バーンスタイン、ベーム、ドラチ、カンゼルなど手に入るものはだいたい入手しております。

もちろん西本智実のボリショイものや、Uチューブでゲットした軍楽隊演奏まで30種ほどになるでしょうか。

今でも元気が欲しくなるといつも、1812年を流すようになっています。

で、ロシアに旅するにあたって、ぜひ1812年ゆかりのものに出会いたいとことあるごとにガイドに話したのですが、どのガイドも1812年の存在すら知らない。なんと非文化的な人々か・・とはいいすぎか。

凱旋門はないかと尋ねたら、モスクワに1つ、サンクトペテルスブルクに2つあるとのこと。

たぶんこの写真の門こそが、ナポレオン軍が雪に負けて撤退した後、ロシア軍が胸を張ってくぐって帰った凱旋門だろうということになりました。

2009/02/16記