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阿部先生に、避難所となっている校舎内を案内してもらいました。
1F廊下の壁には、津波の跡形がくっきりと出ていました。
津波のあと、1400名ほどの避難者が身を寄せ合っていたこの校舎。今は140名ほど。
当初は水がなく、自衛隊のヘリコプターから投下される救援物資に入っているボトル水が唯一の水。
弱っている人、粉ミルクが必要な子どもをもつ母親のためだけにこの貴重な水をつかったとか。
「水があってはじめて避難所は成立するんです」と強調する阿部先生。
水道が復旧してからは、お風呂ボランティアさんが来て、避難者も体を洗うことができるようになったとか。
私たちが持参したポカリスウェットの粉末も、水で溶かして機能性飲料になり、自由に飲めるタンクに入れられました。
2011/07/18・記
1F廊下の壁には、津波の跡形がくっきりと出ていました。
津波のあと、1400名ほどの避難者が身を寄せ合っていたこの校舎。今は140名ほど。
当初は水がなく、自衛隊のヘリコプターから投下される救援物資に入っているボトル水が唯一の水。
弱っている人、粉ミルクが必要な子どもをもつ母親のためだけにこの貴重な水をつかったとか。
「水があってはじめて避難所は成立するんです」と強調する阿部先生。
水道が復旧してからは、お風呂ボランティアさんが来て、避難者も体を洗うことができるようになったとか。
私たちが持参したポカリスウェットの粉末も、水で溶かして機能性飲料になり、自由に飲めるタンクに入れられました。
2011/07/18・記
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