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忘れえぬ女-(その6 愛の芽生え)

2014-11-20 11:10:16 | 小説


 そんな付き合いの後、十一月三日文化の日に二人で宇奈月温泉からの黒部峡谷トロッコ電車で紅葉狩りに出掛けることになった。

達也は迎えのためゆみの家の近くで車を停めて待っていた。
 しばらくして乗り込んできたゆみはいつものスラックスではなく、スカート姿であった。

「弁当持ってきてくれた」
「持ってきていない」
「残念だな、貴女の手作り弁当が食べたかったのに」などと話しながら車を走らせていた。
 話の中で、ゆみが
「職場の同僚が『今日は結納じゃないの?』と言うのよ」と言うし、
スラッとした脚が見たく要求していたスカートも履いてきてくれたことから、達也は「嫌われてはいないんだな」とうれしくなった。

 途中の景勝地親不知で、達也がゆみの写真を撮りたいと言ったら、
「脚を撮るんでしょう」と
言って自慢の脚のポーズをとるのであった。
以前、達也が「綺麗な脚ですね」と褒めていたことが嬉しかったのであろうか、達也も嬉しい。

 現在この写真は存在していない。それはゆみに限らず、別れた女性の写真や手紙はすべて焼却処分し、後日迷惑が及ばないようにしているためである。


トロッコ電車宇奈月駅 昼前には宇奈月温泉に到着した。
いざ、トロッコ電車に乗ろうとしたら、午後三時以降の発車しか席が空いていなかった。
 当日は祝日の上、天候もよく行楽客が多いのは当然で事前の準備不足が悔やまれた。
 三時以降では帰りが遅くなってしまうが、折角の機会であり待つことにした。
 発車時刻までの時間を、途中で買ったサンドイッチを川原で食べたり、温泉街を散策したりして過ごした。
達也は手を繋いで歩きたかったが、まだ二人はそこまで打解け合えるような雰囲気ではなかった。


秋のトロッコ電車 いよいよ窓ガラスのないトロッコ電車に乗りゆみを窓際に二人ならんで席に着いた。
 峡谷に沿ったり、鉄橋を渡ったりするトロッコから見る連続した紅葉と峡谷美に、

「ほら、あそこ見て、綺麗だよ」
「本当ね、あそこもすごいわ」
などと二人は感嘆の声をあげるのであった。

 互いに感動を共有しているうちに一体感が醸成され相手の存在に違和感を感じなくなっていった。隣にゆみが居ることがごく自然で、二人の間のぎこちなさが取り払われたような気持ちになった。

 午後の遅い時間帯でこれほどの美しさなら、燦々と太陽の光を浴びる時間帯ならもっと素晴らしいい紅葉が見られたであろうに。
 時間が経ち夕方になると、寒さを感じ達也はコートを脱ぎスカートで寒そうなゆみの膝に掛けてやった。達也はコートにまぎれてゆみの手を握りたい誘惑に耐えなければならなかった。

 終点の欅平に着いたときには薄暗くなり帰りの時間が気になりだした。
そこで達也は冗談混じりに
「明日は仕事を休んで二人でここに泊まろうか」
と言ってみたが、軽く受け流されてしまった。
還りは夕闇となり宇奈月温泉に戻ったのは午後の七時を過ぎてしまい、駅近くの食堂で簡単な夕食を摂り、ゆみの家への土産を買って帰路に着いた。


 宇奈月へ来る途中、ゆみがセカンドバッグを落とし、警察に紛失届けを出していたが、途中の交番に届けられており受け取りに立ち寄った。
交番では一応本人確認の一環として
「ご主人ですか」と問われた達也は
「いえ友達です」と答えた。

 交番を後にし、車に乗り込んだら突然
「夫婦と言ってもよかったのに」
と言い出すゆみに、達也は愛おしさが湧いてくるのを覚えた。

 スピードを上げて車を走らせたが、彼女の家に着いたのが夜中の十二時頃になってしまった。
ゆみの気持ちが分かった達也はそのまま彼女を帰したくなく、車の中で抱き寄せたかったがきっかけが掴めなかった。
 車から降りて玄関まで送ることにしゆみの後について歩くうち愛おしさが頂点に達し、堪えきれず、後ろから  


「ゆみさん、僕のこと嫌い?」と問うたところ、後ろを振り向き
「好きです」と言う言葉が返ってきた。
 達也は咄嗟に彼女を抱きしめ唇にキスをしようとした。はじめ唇が彼女の鼻の辺りに触れた後、彼女の方から顔を上げて達也の唇に合わせてきた。

 ゆみの家の照明が点灯され、
「母が来るから止めて」というゆみの言葉で至福の時も瞬く間に終わってしまった。
達也はゆみのお母さんに遅くなったお詫びを言って彼女の家を後にした。

 達也は、その夜独身寮の床に入ってからも、二人の会話を反芻し、彼女の唇の感触を感じながら眠りに着くのであった。


 翌朝早く、独身寮の達也に電話が掛かってきた。
昨夜遅かったので眠い目を擦りながら
「こんなに朝早く、会社からの呼び出しかな」と電話にでると、ゆみの声で

「わたし。昨日はびっくりしたわ、突然なんだもの」
「ごめん」
「どうしたの、こんなに早く、どこから電話しているの?」
「学校から」
「こんなに朝早く何で学校へ行ったの」
「バイクで来たの」
「夕べ遅く余り眠っていないのに、危ないから気をつけてくれなければだめだよ(僕の大事な人なんだから)」
「公民館にいた青年会の人に見られたみたいよ。母も気付いたようだし」
「ごめん」
「今度の土曜日どう?会える?」
「大丈夫と思うけど、あなたこそ忙しいと言っていたのに大丈夫?」
「大丈夫よ」。

 こんな会話が交わされ、達也は胸一杯に幸せを感じるのであった。

忘れえぬ女-(その5 再会)

2014-11-18 17:26:37 | 小説
その後一ヵ月くらい経ったころ、ゆみから勤務中の達也に電話が入った。
「高津駅に居ます。出て来れませんか」
「五時半に行けると思います」と勤務中でもあり、事務的に応対した。

 残念ながら、約束の時間までに仕事のケリがつかず、ゆみには申し訳なかったがそれ以外の連絡手段がなく高津駅の電話に呼び出し遅れる旨を伝えた。
 遅れて待合室に入るとゆみは長椅子に掛けて新書本か文庫本を読んでいた。
丁度夕食時間になっていたので高津川沿いの開店して間もない古民家風のレストランで食事をとることにした。
 電話での気不味いやり取りの後だけに会話もスムーズにいかなかった。
ゆみは出始めの”みかん”を薦めるなど気遣ってくれた。
その日は打ち解けずに終わってしまったが次回の約束はできた。

 その後は、主に退社後ゆみの勤務地に近い地域で食事をしたり、ボーリングをしたりして互いの理解を深めていった。ボーリングはゲームとしての楽しさも加わり打ち解けやすく、高得点が出たときなど自然と握手が出来るまでになっていった。
 しかしながら、まだゆみに対する愛おしいという気持ちが芽生えなかったためか、どんな会話をしたのか思い出せない。多分お互いのこれまでの生い立ちや家庭環境、職場環境、人生観などを話題にしていたものと思われる。

 ゆみは達也と会うときも職業柄落ち着いた服装ばかりで、若い女性特有の華やかさがなかった。同じ職業でも破談になった前の彼女は東京の大学を出て未だ二年目だったので、都会の雰囲気と華やかさを持っていたのに。
 その頃の達也は自分のどちらかと言うと地味な性格と対照的な快活で活発な女性に魅力を感じていた。
 ゆみは職業柄からか、真面目で奥ゆかしく賢い女性で、口数も多くなく面白いといった感じはなかった。
 達也は自分が不細工の上猫背で格好が悪いのを自覚していて、男は外見で無く頭と心だと強がりを言って、さらには服装も地味なものを好んでいた。

 然るにゆみに好意を抱き始めると身勝手にもゆみには外見も要求してしまい、ゆみを自分好みの女に変身させたい誘惑に駆られた。
 達也はスタイルが良いゆみの服装を変え、外見上も素晴らしい女性にしたいと思った。
そこで、地元から離れたN市のデパートへ連れて行き、店員に頼んで服装と色をガラッと変てみたかった。そして、知った人と出会う虞のない街でミニスカートを履かせて二人で歩いてみたかったが、実行に移せなかった。

 ゆみもまた、達也の外見を気にしていたのかも知れない。
と言うのは、ゆみが達也の誕生日に赤系のネクタイをプレゼントしてくれた。
当時の達也は「ゆみさんにしては大胆なチョイスだな」と感じていたが、今思えばゆみは達也の外見に物足りなさを強く感じていたのかも知れない。

忘れえぬ女 -(その4 出会い)

2014-11-17 10:37:10 | 小説
達也とゆみとの出会いは三十数年前の見合いであった。この見合も三回目にして漸く実現したのであった。

 最初は元校長先生からの話で、達也は会うことを承諾したが、ゆみの方からは他の方との見合いが予定されているとの理由で会うことなく断られてしまった。地元の高校から現役で国立大学に合格できる女性は少なく、ゆみは地域では稀に見る才女であったから、沢山の縁談があったと思われる。

 その後二ヶ月位して、地方政治家から達也に由美との二回目の見合いを持ちかけられた。
一度断られているのに、また同じ女と見合いするのは見っともないという思いから、今度は達也の方から断ってしまった。
 達也もまた国立大学を出て、大手企業に勤務しており、将来を嘱望されるとみられていたのか、これまで数多くの縁談があった。
 職場でも複数のOLからアプローチを受けていたこともあり、会わずに断られたのは初めてでもありプライドが許さなかった。

 最初の見合いの話があって四、五ヶ月経った八月の下旬、卒業直後を除いて殆ど会うことのなかった高校の恩師から突然職場に電話があった。
 なかなか本題の話がないので
「生徒さんの就職の件ですか」と達也が尋ねたら、
「実はゆみさんの件です」とのことであった。
 達也は
「その件でしたら先方から既に断られております」と言ったところ、
「その方とはお付き合いしないことになりました。また、二回目のお見合いの話も承知している」        とのことであったので、お受けすることにし恩師のお宅で二人は会うこととなった。  


 二人は同じ高校の同窓生であり、達也が大学1年の夏休みに進学希望者との懇談会に出席していたはずであるが、お互い記憶に残っていなかった。
 ゆみに同級生である和郎の名前は知っているのに達也の印象がないと言われ、模試などは達也がトップだったのにマスクの差かと達也はちょっと悔しい思いがした。
 達也の感じたゆみは正に教職者そのものとの第一印象であった。


 お互いの自己紹介、歓談後恩師の家を辞し二人きりで話すことになった。
二人は打ち解けられず、向かい合っていても話が弾まないような気がし、喫茶店ではなく戸隠までドライブすることにした。


戸隠 戸隠と言えば、達也は高校2年の夏休みに一泊二日の戸隠岳登山行事に参加した。
 その日は、生憎の悪天候で登山出来きなかったが、社会人になってから、職場の同僚と再挑戦した。
 正面からの戸隠岳は威容を誇る屏風岩が美しい山である。
 しかし、登ってみると途中“蟻ノ戸渡”“蟻ノ刃渡”などの難所もあるが、比較的低い山で稜線を歩いてもそれほどの感動はなかった。
 その後も登山ではなく、そばを食べに何回か訪れている。




 達也はゆみと中社、奥社など高原を散策しながら、戸隠に関する自己の経験などをゆみに話した。その後長野市街へ下りて食事をすることにした。
 達也は長野へは車でバレエ公演などのイベントに何回か訪れており、街の道路や駐車場探しに苦労はなかった。
 駅近くのビルのレストランで洋食を摂ったが、達也はゆみとの差し向かえの食事にいくらか緊張して、ナイフを落としてしまった。
 その日は長野まで遠出したので時間も無く、帰りはゆみの家に直行し、着いたのは七時過ぎであった。達也は家の近くでゆみを降ろし、次回の約束をして別れた。

 達也はまだゆみに特別な感情を抱いていなかったためか、その日二人で交わした会話の内容は殆んど覚えていない。
 ただ一つ「○○レモンが好きなのね」と言う言葉を覚えているが何故だろう。
達也は同じ住菱グループのK製品を愛飲していたのでその日も何回か同じ飲料水を飲んだのが珍しかったのだろうか。


鯨波海岸 達也はお付き合いするに当たり、自分のことについて他人からゆみの耳に入ってはすまないと言う気持ちを持っていた。
 これまでもお付き合いしようと思った女性には、先に自分の欠点などを話してきた。
 二回目に達也の好きな鯨波海岸へゆみを誘い、率直に話をした。

 その一つとして、最近見合い後結婚を申し込んで断られた件についての話をした。
 特に相手は同じ市内の教職者であったためゆみの耳に入って気分を悪くしてはとの思いから、実名を明かしてその女性に抱いていた気持ちを含めて話した。
 結婚を申し込んで断られたのが初めての経験でもあり未練がましく語ったようだ。

 その後、達也の方からゆみに電話で会いたいと誘ったが、「まだ前の人のことが忘れられないんでしょ」とケンもホロロの応対であった。
 その後も二度ほど達也の方から電話をかけたがゆみの怒りが治まらなかった。
 達也も諦め、其のうち恩師のほうから断りの連絡があるだろうと、それ以上のアクションはとらなかった。


忘れえぬ女-(その3 告白)

2014-11-14 11:42:46 | 日記
達也が駅ホームでゆみと運命的な遭遇をした日より数ヶ月前のある小春日和の土曜日であった。達也は朝の三時頃に目が覚めてから寝付けず、図書館から借りた本を読んで夜が明けた。
 その為か頭がスッキリしないまま、招かれた旧勤務先の記念行事に出席し昼食を戴いた。午後の講演会への参加は見合わせ、帰宅後横になりウトウトまどろんだ。


 夕方、同窓会に参加するため会場である割烹へと出掛けた。
達也以外の参加予定者は既に到着しており、受付後直ぐに記念撮影となった。
 総勢数百人の学年であったが、このところ参加者は二十人強と少なく、さらに、半分以上が常連である。
達也は地元に戻ってからは、仕事の都合での一、二回を除いて毎回参加し、懐かしい人との再会に心を躍らせている。

 特に中学から高校にかけて淡い恋心を抱いた昭子との再会、さらにはゆみのお姉さんに会えないかと期待を持って会場に入るのであった。

 ゆみのお姉さんに会いたいのは、別れてからのゆみに対する想いを彼女に伝えて欲しいためであった。それは、
 
 達也はゆみと別れた直後から彼女を失ったことを後悔していて、出会った女性の中ではゆみとは一番価値観を共有出来たのではないかという思いが増してきている為である。
さらには、ゆみが現在のご主人と結婚するに当たり、「“○○の方と結婚したかった”と漏らしていた」と彼女の友達が達也の母に話したそうである。


 何故、ゆみのことがこれほど気になるのだろうか?
達也がこれまで出会い、その気になれば一緒になれたと思われる女性の中には一面だけ見れば、美人ということではミス○○もいたし、頭脳の良さでは兄が東大出の女性もいたのに。
 好き嫌いは理性と感情とが複雑に絡んだ結果だし、全人格としてのゆみを好きになってしまったのだからどうしようもない。
韓国ドラマ「冬のソナタ」で「人を好きになるのに理由はない」と言うセリフがあったが、当にそのとおりだと思う。
 別れる時点でもゆみを好きなことに変わりはないのに、自分のネガテイブな想像や周囲の意見に自分を見失い、ちゃんと心で納得しなかったためだろうか。

 ゆみと別れてから、達也は自然と耳に入ってくる以外に積極的に彼女の情報を得ようとはしなかった。
 ゆみが結婚した当初は幾度か姿を見掛けたこともあったが。
その後は転勤で十年近く地元から離れていたこともあり、現在まで一度も見掛けることはなかった。 そのため、ゆみがどんな家庭を築いているのか全く知らない。

 達也の心の中には当時のままのゆみがおり、達也にとって都合の良い理想像を育てあげてしまったのかも知れない。

 当然のことながら、達也はゆみの生活を乱すつもりは毛頭ないが、「自分が抱いている気持ちをゆみには誤解することなく、受け止めて欲しい」との思いを強く持つようになっていた。


 会場に入ると到着を今か今かと待っていた同窓生から迎えられた。特に孝一から
「達ちゃん、久しぶり」と呼ばれ握手されたが、思い出せなかった。
出席者名簿に孝一の名を見つけ和郎に
「彼はどこにいるか」と問えば、
「たった今握手していたではないか」と言われたが、高校卒業以来の再会で当時の面影がなかった。面白いもので昔の面影を強く残している人とまるで当時の面影を留めていない人もいる。

 今のゆみはどうなんだろう、達也の心の中のゆみは当時のままであるが。
達也は眼鏡を掛けるようになったが誰に会っても当時と変わらないと言われている。
まだ老け込んでいないと喜んでよいのや、いまだ成長していないと言われているようでもあり複雑な気持ちだ。
 達也は昭子ら二人を探したところ見当たらなかったが、達也が強く参加を勧めていた章生が参加してくれていた。その他にも、数十年振りに見るゆみの夫の顔があった。


 前回、達也は午前様まで旧友と飲み続けたが、今回は寝不足もあり一次会で午後八時頃帰宅した。
居間のソファーに掛け、今回の集合写真と出席者名簿を見比べていると、ゆみの夫が宿泊予定になっており、今、ゆみが一人であると知るや、ゆみに電話を掛けたい衝動に駆られた。
 電話帳を調べ、ひょっとして後日彼女からの電話があるかもしれないとの淡い期待から固定電話ではなく携帯電話に番号を打ち込みかけた。
 まるで若い頃、女の子をデートに誘ったときのように心が動揺し、また自分はなんと非常識な行動をしようとしているのかと言うことに気付き、停止ボタンを押すという動作を何度か繰り返した。しかし、適度なアルコールの効果もあってか、躊躇しつつもついに先方に繋がってしまった。


「はい、佐久間です」声が少し若すぎる、もしや娘さんかお嫁さんではと思い
「もしもし、津山と申します。お母さんいらっしゃいますか」
「はい、どちらの津山さんですか」
「上町の津山です」

しばらくして
「はい」とゆみの声が入った。
何か昔の声より高音に感じたが、声質が似ており先に出られた女性は娘さんのようであった。
「津山達也です、切らないで下さい。・・・津山達也です・・・・・思い出して頂けましたか?」
「はい、分かります」達也の心臓が高鳴り、声がスムーズに出なく、少し沈黙後
「貴女を失ったことが、私の人生における最大の失敗でした」
「いま、ごく平凡な日々を送っており、いまで良かったと思っています。私の方から断っていたかも知れないし」
「ごめんなさい。どうしても貴女に言っておきたかったものですから」
「今さらそんなことを言って、嬉しくもなんでもない。わたしは貴方のことを勿体なかったとは思っていません。第一、失礼です」
「ごめんなさい」

 このような会話が交わされ、達也も言いたかったことが沢山あったのに声に出ず、しばらくの沈黙後、ゆみの方から電話が切れ、達也にとってはほろ苦い後味が残る電話であった。
達也はゆみのことを「もったいなかった」という損得で見た事はなく、ただ好きという気持ちから電話したのに、ゆみは達也のことを損得で見ていたのであろうか?だとしたら虚しくなってしまう。
 
 達也は想いを伝えたい一心でいきなり単刀直入になってしまったが、ゆみの言う通り先ず初めに突然の電話に対する非礼を詫びて置くべきであった。
とは言え、もし話す機会がなかったら死期を悟ったときに心の整理の一環として、誰かを介してでもゆみに伝えたかったことが曲がりなりにも伝えられた。
しかし、嫌いでなく好きなまま別れ、僅か数ヶ月間の交際で、ゆみがその後の達也の心を支配してしまっているのに。好きだと言われて嫌な人は居ないと思うのに。

「久しぶり」の一言もなく、
「あなたのことは何とも思っていない」の言葉で、
片思いだったことを知らされ、言いようのない淋しさを覚えるのであった。

 これが逆の立場だったらどうなんだろう。
ゆみと会う前に数ヶ月間交際し、彼女の方から去って行った幸子から達也に同じような電話があったとしたらどうだろう。
達也にとって特別な存在であるゆみを知った今、懐かしさはあっても、余り嬉しいという気持ちが湧かないようだ。
 さすれば、達也と別れて間もなく結婚したゆみにとって、今の夫は彼女の言葉通り、達也とよりも幸せを感じることが出来る存在なのであろうか。
 達也の本意はゆみが幸せであることである。でも、それが達也とでないことがやはり悔しい。


 この淋しさは、釈迦によれば「苦の本質は執着であり、苦を取り除くにはゆみへの執着を止めればいい。即ち滅諦という悟り」となるのであろうが、達也には出来そうにない。少なくとも心ではゆみと一緒に居られるのだから。

 そこで、誰かに聞いてもらえれば少しは安心が得られるのではないかと思い、ゆみを読者に特定されないように配慮した小説風創作文を公開することにした。


 別れた人を切なく思い焦がれる小説に、小池真理子の「冬の伽藍」、辻仁成の「サヨナライツカ」を読んだ記憶が蘇ってくる。
 両作品とも、女の死期が迫ったことを知らされた男が女に会いに行き、想いが同じであったことを確認できるのである。達也の場合は所詮一方的な想いなのであろうか。