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石踊達哉 展

2007-05-28 15:15:56 | アート・文化

Isiodori 昨日、高崎駅で途中下車し、高崎市タワー美術館で開催されている「石踊達哉展」を観て来た。画像は美術館のパンフレットをスキャンしたものである。

作品は全部で42点出展されおり、伝統的な日本画の他に抽象的な日本画も含まれており、独自の画風を持たれているようだ。

金箔、岩絵具を使った緻密で色彩豊かな日本画の花鳥風月に目の保養ができた。私などの門外漢にはとっては「石踊達哉」は「瀬戸内寂聴・源氏物語」の装丁画の作者としてしか知っていなかった。

本年は金閣寺方丈広縁杉戸絵と客殿の格天井画の製作を手がけているそうである。

時間も十分あり、入館者も比較的少なかったので、学芸員の方に屏風の表し方・日本画の画法など教えて頂いた。因みに、屏風の六曲一双とは六枚続きの屏風が二つ(一対)のことであり、半双とは屏風の数が一つのことだそうである。


5インチFD

2007-05-23 18:12:16 | デジタル・インターネット

書斎の西側2間全面に小生が設計した造り付けの本棚がある。何年来整理整頓しておらず、収納出来ずに本棚の前にまで本やら何やらが積み上げられた状態であった。

エアコン工事を契機に一念奮起整理することにした。過去の遺物の一つに大量の5インチFDがあった。5インチFDのパソコンは既に処分しており、無用の長物となっていたもので、情報の流失を懸念し、ハサミで2ヶ所切り込みをして廃棄した。

小生のコンピュータとの出会いは、1964年の新入社員研修であった。その後、コンピューターの造詣が深かった同期入社で同窓のT君の助言を得ながら、当時経理用のIBM1400を使って、一様でない梁の強度計算や騒音の合成などを手がけた。因みにT君のご子息は現在NHK本局のニュースアナウンサーとして活躍されておりTVで頻繁に登場されている。

当時は言語としてはFORTRANを使い、一行づつカードにパンチして読み込ませたものである。女性の方がタイプライターのようなカードパチングマシンを操作されており、キーパンチャーという職種が存在した。

使用したは経理計算用コンピューターIBM1400は大きく空調の効いた一つの部屋を占拠していた。私のプログラムは収束計算であったため、一つの解が出るまでに5分以上かかり、最初のころは経理の方にプログラムがループしていると言われたものである。

その後、プロセス制御用のIBM8800が導入されると同じプログラムでも瞬時に解が印字され、進歩の速さに驚嘆した。

1980年代後半には第一世代のパソコンがNECから発売され、コンピューターが身近になった。小生は1988年にNECの互換機であるEPSONのPC286VEを購入した。買値は35万円程と記憶している。このFDが5インチであった。

可なりPCに嵌まり込み、当時は未だ汎用ソフトは少なく、会社全体で使用する設備診断技術検索ソフトを作り上げた。プログラミング言語はBASICである。入力方法も当時としては斬新で、カーソルを入力箇所に移動すると選択肢が表示されるようにした自分として自慢できる物であった。

その後は、データーベースソフトなど多数の汎用ソフトが発売され自分でプログラミングすることが無くなった。

インターネットも未だダイヤルアップだけで、上越にはプロバイダーがなく上越教育大学が実験としてプロバイダーをやっていた1993年頃から加入してインターネットに親しみ今日に至っている。


鉢物の植替え

2007-05-16 18:17:23 | 園芸

Dvc00043 盆栽があまり勢いがないので、植替適期の芽吹き前を過ぎてしまったが、日曜日から思い切って植え替えをしている。

写真は、植替え後の雪割草である。何年も放っておいたため種が鉢に落ち新たな株が沢山できてしまっていた。昨年は沢山の花を付けたのに今年は2輪しか付けなかった。

その他に、真柏・ボケ・オモト・百日紅・その他名前の知らない盆栽2種類の植え替えをした。

洋ランはサボテンの花が終わった後に一緒に植え替えようと思っている。


ゴルフクラブ廃棄

2007-05-07 12:22:59 | スポーツ

今朝、長年愛用してきたゴルフクラブを廃棄した。
ゴルフを始めたのは、比較的遅く四十歳近くになってからである。それまでの上司はゴルフに興味がなく、何となくその職場ではやり難い雰囲気であった。

転勤した倉敷の職場はゴルフが盛んであり、一念発起レッスンプロについて練習を始めた。如何せん運動神経が良くない上に、身体も柔軟性を失いかけており余り上達しなかった。それでも何とか百そこそこで廻れるようになり、同じ組や他の組にそれほど迷惑をかけずにプレーが出来るようになった。

ゴルフは勝負事としての楽しさに加え、自然の中を歩き回って心地よい汗をかき、途中の茶屋やハーフ上がったときのビールはえもいわれぬ美味さであった。

倉敷時代は、平均月に二回はプレーしていた。コースも倉敷市、総社市、岡山市、津山市、高梁市、笠岡市、米子市、坂出市、高松市など。加えてそれほど多くはないが出張先での懇親コンペもあり、ゴルフ宅配便を利用したものである。

プロトーナメントも観戦し、杉原の優勝シーンや倉本らのスイングを見たが、ミドルショットなどは玉が地を這うような低い弾道で距離が伸びるのを目の当たりにし、素人との差を痛感した。

地元に帰ってからは数回コンペに参加したが、雰囲気に馴染めずにゴルフそのものを止めてしまって久しい。

長年愛用し、何回グリップを交換したであろうか?それも部品を買ってきて自分で交換したものである。自分なりにクラブを改造したりすることがグルフ仲間では楽しみの一つでもあった。

このように愛着のあるクラブであるが、この先クラブを振ることはなさそうだし、息子も古いクラブを使ってくれそうもないので思い切って処分した。
処分してしまってから、人生で一番充実してしていた時のものを手放してしまい、言うに言われぬ寂しさがこみ上げてきてしまった。


夏到来

2007-05-04 11:04:05 | 季節

二十四節季の立夏(5月6日)を待たずに、雑季の八十八夜を過ぎた昨日から、気候は寒い春から一気に初夏の様相を呈してきた。当に、「夏も近づく八十八夜」である。

昨日は、夏の陽気に尻を叩かれるように、ストーブ・炬燵・ホットカーペットなどの暖房器具を撤去格納し、冬季間取外していた網戸を設置した。

倉敷市に住んでいたころ、5月にはカークーラーを使用していたのに、ゴールデンウィークに帰省すると、新潟県上越市にある実家の居間にはまだ炬燵があって気温の差を感じていたものであった。

我家の花も、二月の水仙に始まり、椿・レンギョウ・雪割草・カニアシ・ジンチョウゲ・桜・チュウリップ・一人静香・牡丹と咲いてきて、今日現在は牡丹・都忘れ・すずらん・オダマキ・ツツジ・ななかまど・君子ランなどが花を咲かせている。

ななかまどは秋の鮮やかな赤みを帯びた紅葉に魅せられ、山から採取してきたものであるが、海岸に近い我が家では山にあったように綺麗な紅葉は見られない。

暖かくなり、愈々夏野菜の植え付時になってきた。既に耕し、元肥をし畝を作りマルチを被せて準備が整っている。一両日中にホームセンターから苗を購入し定植したい。