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缶詰状態。    898

2009-10-26 11:26:58 | 日々の出来事 その1
10/26 月曜日  ~ から、始まりの・・・肌寒い・一雨事に秋から冬に萌葱のように、移り変わる・東京の空の下からです。

・・・やはり・先人の知恵はスゴイ。
昭和39年・1964年・10/10日・アジアで最初の東京オリンピックが開催した。
・・・何故・・10日なのかは、降雨量が一番少ない。
・・競技は夏期は、2週間だ。・・・昨日か一昨日に閉会式だ。
朝から・・を差した記憶があまりない・・・ここ2週間。
・・・今日は朝から雨だ。

昨日は・・・アンネ・フランクリン/まではいかないが・・・約5.5時間・図書館になんちゃって勉強をしてきた。
・・・なんちゃっては、謙遜だ。(^0^)

・・・つづきは ・・・後ほどです。


どんなに絶望的な状況になっていってもアンネは最後まで希望を捨てなかった。1944年7月15日のアンネの日記には次のような記述がある。

自分でも不思議なのは私がいまだに理想のすべてを捨て去ってはいないという事実です。だって、どれもあまりに現実離れしすぎていて到底実現しそうもない理想ですから。にもかかわらず私はそれを待ち続けています。なぜなら今でも信じているからです。たとえ嫌なことばかりだとしても人間の本性はやっぱり善なのだと。

– 1944年7月15日

・・・とある。

ここまでの屋根裏の本棚に囲まれては、いなかったが・・・希望を捨てずに勉強したのは事実だ。(^0^)
・・・最初の30分は・・頭の体操、好きのジャンルの本を徘徊し。
15時40分に菊花賞の・・・ワンセグを見に・・・ロビーに降りたぐらいだ。
真綿が、水を吸い込むように・・・入るわけない。
新聞紙でこぼした水を拭くように・・吸い込んで行くはずは・・・言うまでもなかった。

ジム後・・・・ロッテリア/ランチ。
ここから・・・5.5時間/缶詰状態の話でした。

さてこれから5.5時間以上放映するだろう・・・お昼のワイドショーは、拡大で覚醒剤タレントの初公判。
一日・終わりまで・・この話題で持ちきりだろう。
明日は・・スポーツ紙も含め各紙は・・・デスクも御大だ。
飛行機事故・要人の大惨事がなければ・・・一面だろう!!
デスクが悩むのは・・・どの写真を使うか位だろう。

写真を使うと言えば・・・今日の日刊スポーツの一面は・・・情けない・情けなかった。
工藤公康/47才・・・西武で現役最後。
こんな・・・屁のような・どうでもいい話題を載せているようでは、日本のプロスポーツは嘗められているのだろう。
日刊さん・・・もっとまともにスポーツを扱って欲しい。¥130-出している。

小生の〆のスポーツはスイムだ。
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民主組 初代組長 鳩山由紀夫 お坊ちゃまの奮闘気!!  41

2009-10-26 10:04:06 | お坊ちゃまの仁義なき戦い。
  おはようございます!! ご隠居!! 雨からの月曜日ですょ。台風の影響からでしょうか!??

  20号が・・・沖縄と言っとたのぉ!! 週刊誌で見たんじゃが気象庁と・・・何処かの大学で、瞬間最大風速80㍍級のスーパー台風が・・・来るとか?? 来てもおかしくないとか・・書いてあったのぉ!!

  これだけ温暖化になると・・・南方ですぐに低気圧に発生しと言うことですね!! 自然災害は避けられないですからね!!

  自然災害は、今始まった事じゃないが、江戸時代も冷害の凶作が数々あった。こんな話が・・・あるのじゃょ!!

1961年、第35代米国大統領に就任したジョン・F・ケネディは、日本人記者団からこんな質問を受けたのじゃ。「あなたが、日本で最も尊敬する政治家はだれですか」

 ケネディはのぉこう答えたんじゃ。「上杉鷹山(ようざん)です」

・ 自ら助ける、すなわち「自助」

・ 近隣社会が互いに助け合う、「互助」

・ 藩政府が手を伸ばす、「扶助」

 「自助」の実現のために、鷹山は米作以外の殖産興業を積極的に進めた。寒冷地に適した漆(うるし)や楮(こうぞ)、桑、紅花などの栽培を奨励した。漆の実からは塗料をとり、漆器を作る。楮からは紙を梳き出す。紅花の紅は染料として高く売れる。桑で蚕を飼い、生糸を紡いで絹織物に仕上げる。

  ヒヨ子・・・それでだなぁ!!

  マスター・・ワシが続けよう!! こんな話も・・・!!

鷹山は藩士達にも、自宅の庭でこれらの作物を植え育てることを命じた。武士に百姓の真似をさせるのかと、強い反発もあったが、鷹山自ら率先して、城中で植樹を行ってみせた。この平和の世には、武士も農民の年貢に徒食しているのではなく、「自助」の精神で生産に加わるべきだ、と身をもって示したのである。

 やがて、鷹山の改革に共鳴して、下級武士たちの中からは、自ら荒れ地を開墾して、新田開発に取り組む人々も出てきた。家臣の妻子も、養蚕や機織りにたずさわり、働くことの喜びを覚えた。

 米沢城外の松川にかかっていた福田橋は、傷みがひどく、大修理が必要であったのに、財政逼迫した藩では修理費が出せずに、そのままになっていた。この福田橋を、ある日、突然二、三十人の侍たちが、肌脱ぎになって修理を始めた。

 もうすぐ鷹山が参勤交代で、江戸から帰ってくる頃であった。

  スゴイ!!・・・話だわ。

  ここから・・・ご隠居!! いいですか!!??

  ホイホイ!!

  橋がこのままでは、農民や町人がひどく不便をし、その事で藩主は心を痛めるであろう。それなら、自分たちの無料奉仕で橋を直そう、と下級武士たちが立ち上がったのであった。「侍のくせに、人夫のまねまでして」とせせら笑う声を無視して、武士たちは作業にうちこんだ。

 やがて江戸から帰ってきた鷹山は、修理なった橋と、そこに集まっていた武士たちを見て、馬から降りた。そして「おまえたちの汗とあぶらがしみこんでいる橋を、とうてい馬に乗っては渡れぬ。」と言って、橋を歩いて渡った。武士たちの感激は言うまでもない。鷹山は、武士たちが自助の精神から、さらに一歩進んで、「農民や町人のために」という互助の精神を実践しはじめたのを何よりも喜んだのである。

・・・てなことだょ。

 あなたも・・・凄いわね。・・・我欲を無くす。はがも・・・を捨てる。

  素晴らしい事じゃ・・・のぉ!! 首相が今日の所信表明でも触れるであろう・・・友愛のフラタニティーの英訳はじゃのぉ!! フランス革命・・・理念の・・。

  ご隠居!! 自由・平等・博愛・・・ですね。

  そうじゃ!! ヒヨ子さん言ったとおりじゃ!! 軍事・政治・気象・・・勉強してるのぉ!!

  マスターに連れられ・・・神田雑学大学に・・脚をのばし始めました・・・ご隠居!! ・・・相田みつをの・・・一生勉強。の精神です。

  ご隠居!! やさし過ぎるも・・・よくないんじゃないですかねぇ!! 過ぎたるは及ばざるがごとし。・・・財政を悪化させ・・・後生、孫の代まで負担を残す・・!! いまの若い奴らは・・・自助・自立・・の精神のかけらもあるんすかねぇ!!

  あなた・・・一概には言えないわよ。・・・鷹山先生を・・・若い人達に読ませて上げたいわ!!

  こんな話も・・・!! 聴かせてあげよう!!

貧しい農村では、働けない老人は厄介者として肩身の狭い思いをしていた。そこで鷹山は老人たちに、米沢の小さな川、池、沼の多い地形を利用した鯉の養殖を勧めた。やがて美しい錦鯉は江戸で飛ぶように売れ始め、老人たちも自ら稼ぎ手として生き甲斐をもつことができるようになった。これも「自助」の一つである。

 さらに鷹山は90歳以上の老人をしばしば城中に招いて、料理と金品を振る舞った。子や孫が付き添って世話をすることで、自然に老人を敬う気風が育っていった。父重定の古希(70歳)の祝いには、領内の70歳以上の者738名に酒樽を与えた。31年後、鷹山自身の古希では、その数が4560人に増えていたという。

・・・雨の月曜日・『ほのぼの珈琲』・・は ケネディが答えた。「上杉鷹山(ようざん)です」・・・から週が開けた。





コメント (1)
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