ひでさんの気まぐれ日記

旅の様子や趣味を書いていきます

中仙道13 2日目

2023-10-08 22:05:29 | 街道歩き

中仙道13 2日目

今日は昨日の続き、ホテルで朝食後出発と思っていたのですが午後から雨予報という今日の天気を考え早めのスタートを切りたいので、食事抜きで朝六時にホテルを出発し御嵩駅に6時半過ぎに到着、2日目のスタートです。
御嵩駅から先は山道でなくほぼ平坦な道、人が暮らすエリアなので今日は熊の心配は殆ど要りません。
 

30分ほど歩いたところでバス停のベンチを発見したので朝コンビニで調達したパンで朝食と行きます。

国道わきの歩道を進み、旧中山道通りに時々脇道にそれまた国道へ戻るという事を繰り返しながらの行程となります、わき道にそれたところに突然こんな碑かあったります、注意しないと見落とします。
 

伏見宿は普通の町といった感じですが、時々このような建物も残っています。左側の小さ目な建物には郵便局の看板が有るので昔の郵便局だったのでしょう。
張り紙には中山道休憩所と有りましたが10時~という事で未だ閉まっていました。
私が生まれ育った町も街道沿の宿場町でしたので子供のころはこのような建物が結構ありましたが、市町村(村はない)が保護、保全活動をして来なかったので今は一軒だけ朽ちかけた旧家があるのみです。
 

恵土一里塚跡碑は結構な大きな道路の脇、実際は30m離れたところに有ったらしいですが完全に道路に埋められたようで少し離れたところにポツンと有りました。
 

旧中山道はこの先太田宿に行くのに木曽川を渡ります、現在は太田橋っていくのですが橋の少し先に当時の渡し場跡があるので渡し場を目指します。渡し場までの道は折り返して川沿いを太田橋方面に戻る形となりますがこような竹林が待っていました。

このあと、先に見える太田橋を渡って太田宿となります、ここで事件?が。
 

参考にしていた地図ではこの橋のアーチを過ぎたあたりから左に折れて土手に上る様に書かれていましたが、実際河原に下りられる道はなく、かなり先まで行ってから交差点のところを斜め手前に曲がるような道となっていました、参考にした地図は古いものでこの近辺は再開発されていたようです。実際渡ってすぐの左に何かお休み処的な建物(赤四角)が有るのですがどう考えても行けない構造で、ガードレールでふさがれていました。おそらくしばらく前まではこの建物の脇に下りる道が有り、このような工程(赤線)で歩けたのではないかと推測。
 

左に折れると暫く土手の上を進みます、しばらく歩いて右側に下りると太田宿となります。
太田宿は街道の所々に旧家が点在している感じですが、結構長いので昔はさぞ賑わっていたのではないかと。中仙道会館という建物にはお食事処や、展示室なども有るらしくしかも9時開店なので寄りたいところですがすでに曇り空、泣く泣く先を急ぎます。時間ができたらこのようないい感じの宿場町だけ再訪したいです。
   

中仙道は太田宿を過ぎるとまたまた木曽川沿いを暫く歩いてから県道沿いを進みます、すると直ぐにローソンを発見、7時にパンを食べただけなので少々空腹という事でランチ。
結果的にまた惣菜パンを購入して飲食コーナーで頂いて再出発、今日の旅はいつも以上に先を急ぎます、雨が降り出す前に最低蘇原駅辺りまで行かないと次回の行程がきつくなるためです。
県道を暫く進むとこの旅最後の峠、うとう峠の入り口に差し掛かります。
ここで中山道の旅ではおなじみの風景、車道を横断するのに横断歩道でなく水路用のトンネルを利用した歩道へと入ります。
雨天通行禁止の看板が有ったので雨が降る前に峠越え出来てよかった。

 
   
うとう峠はそれほど険しくもない峠でこんな感じで進みますが、峠を登った先は住宅街となっていました。
   

住宅街を下りていくとそこは鵜沼の街が広がっています、少し進むと道の先には犬山城が見渡せます。
元々は、明日犬山城を観光して岐路に着く予定でしたが訳あって違う場所に行くことにしました。
そこで1人の男性から声をかけられました、今日はどこから来ました?「御嵩からです」と答えると、「私は岐阜から、御嵩まで行こうと」との事、御嵩って5時間も歩いて来たのにこれから御嵩?と思いましたが、その方は1日40km位歩くとの事で中山道も制覇済みとの事、来週100kmウォークのイベントを行うとの事でその下見とか。でも、今日は午後から雨予報なのでどこまで行ける?雨にも負けず歩いていきそうな勢いでしたが。
後で調べたら「第6回中山道・木曽路ウルトラウォーキング103km」岐阜から南木曽まで、私が4日間かかけて歩いた距離ですね。だいたい中山道歩きの行程は私の場合休憩入れて4km/hで計算するので26時間歩きっぱなしという事になります。。。凄!
   

鵜沼宿です、そこには旧宿場町らしい歴史のある建物が並んでいます、そこでひときわ目に着くのが大きな酒蔵、「菊川」の文字が。
酒蔵といえば試飲!と思いましたがここは工場らしく店舗らしきものは見当たりませんでした、中にあるのか?門が閉まっていたので日曜は休みの可能性大ですね。
   

鵜沼宿を過ぎてしばらく行くと国道沿いとなります、この国道が何とも厄介で歩道が細くなって消えたり(遠近法でなくどんどん細くなって無くなります)、突然無くなったりでとても歩きづらい。

名鉄三柿野駅の辺りからぽつぽつ雨が降り出しました、今日の目的地を予定通り蘇原駅に定め携帯してきた傘をさして中山道を離れ蘇原駅方面へ曲がります。
この蘇原駅は南側が工場なので北口しかありません、ここでまたまた事件が!北口方面に渡る踏切が工事中!!自動車はおろか人も通れません。周りを見渡しても人用の小さな踏切なども見当たらない、目を凝らすと遥か先に踏切を通過する車が見えました、あそこまで行くのか?途中、町の人が渡る人用の小さな踏切が有ることを願いながら遠くにに見える踏切を目指します、結果途中には何もなく往復1.5kmの回り道をすることになり、駅に着くころにはしっかりと雨模様になっていました。
   

次回はここ蘇原駅出発の予定ですが、~3/末(予定)と書いてあるので工事が延びる可能性も踏まえ名鉄六軒辺りをスタート地にした方がよさそう、実際大回りした結果六件駅あたりまで来ていたので。
今回の中山道旅はこれにて終了、時刻は14時と少々早いですが岐阜駅前のホテルにチェックインしゆっくりと岐阜旅をエンジョイします。
 


中仙道13 1日目

2023-10-07 22:42:44 | 街道歩き

中仙道131日目


いよいよ本番、中山道の旅の始まりです。
ホテルを7:30くらいに出発して昨日の和菓子屋「ひつばたご」の近くにある中山道を目指しますが、その前にコンビニに寄って今日の食料を仕入れておきます。なぜなら、今日向かう道は十三峠を含む街道で恵那駅を過ぎて次の駅までは約30km、それまではずっと山の中を歩くこの街道旅の中でも一番ハードでは?と思われる区間。その30kmの間にコンビニも無し、大黒屋という宿が1件と売店が1件あるかないか?自販機も期待できないという事で1日分の飲み物と食料(小アンパン4個入)をローソンで購入しリュックに搭載し出発です。
相変わらず岐阜県内は中山道の印として道路に陶器のかけらのようなものが埋め込まれているのでわかりやすい、中井宿本陣は前回過ぎましたが昔の建物もちらほら見られます。    

しばらく進むといよいよ十三峠、入り口にはこのような看板があってこれからの旅の厳しさを感じさせます。

歩き始めると直ぐに公衆トイレが有ったのでとりあえず用を済ませます、この峠には所々にこのような公衆トイレがあるようですので見かけたときには使うようにしておいたほうが安全、今日は一日こんな感じで進みます。
 

気になって事前に調べたところ岐阜県内は結構熊の被害が多いので以前民宿で購入した鈴をつけての旅となります。この十三峠ではほとんど人とすれ違いません、昔の中山道はかなり人気の街道だったそうで峠には茶屋が有ったり途中にある大湫、細久手宿にも旅籠が何件もあったと思われますが、今はほぼ何もない山道をひたすら進みます。暫く行くと槙ヶ根一里塚、こんもりとした塚が残されていました。

少し歩くと突然視界が開け山々の景色が見渡せます、紅葉にはまだ少し早いですが今日はこんな感じで進むのでしょう。
実りの秋という事で柿も色づいています。

山の中にはこのような看板が有りました、十三峠に入ってから未だ誰とも、何とも遭遇しませんが江戸時代には多くの人々が行きかっていたのでしょう、ここには9軒の茶屋が軒を連ねていたそうです。
 

ひたすらこんな道が続きます、
   

といっても人しか通れない道があったと思えば車が入って来られる山道、普通の市道に民家なども混在しながらの道になります。
 


 
途中石畳が現れたと思ったら、さにあらず、ここは「紅坂のぼたん岩」と言って岩の表面がボタンの花のようにごつごつしていて我々はその上を歩いているようです。
 

山を下りてきました、この十三峠には栗の木が多く街道の所々に毬栗が散乱しています、という事はそれ目当ての動物たちが集まってきそうなので用心が必要です。
 

深萱立場本陣跡の近くにトイレと休憩できる場所が有ったのでしばしの休憩、どこで付いたのか何かのかわいい種がトレッキングパンツに付いていました。
 


 
しばし休憩して歩き再開です、またまた山の中に入っていきます、しばらく歩くと一昨日?の雨でぬかるんだ道に動物が歩き回った真新しい足跡が数知れず、なんか普通と違うなと緊張しながら進むと明らかに鹿や猪、猿とも違う人の手のひらに近いサイズの足跡が、よく見ると3本以上の指の跡も確認、どう考えても熊にしか見えないので鈴を鳴らしながら足早に先に進みました。こんな人と会わない山中で熊とばったりは避けたいものです、この後は熊の気配にビビリながらの行程となりました。
 

一里塚も一瞬で撮影しその先へ、


 
ゴルフ場を横断する中山道を歩き峠を降りた所にこのような看板がありました、長い間トレッキングや街道歩きをしていて和田峠を歩くときも宿泊した民宿の方に熊に気を付けて鈴は必ず良く鳴る場所に身に着けて!と注意いただきましたが、こんな身近に感じたのは初めてです。
 

ここを下りるとようやく初めての大きな宿場町大湫宿です、
 

大井宿を過ぎて初めての宿場町大湫(大久手)に到着、十三峠初めての売店と自動販売機が有りました、というか十三峠とは大井宿から大湫宿までを指すので一個もなかったことになります。
十三峠は「おまけが七つ」といわれる難所でやっと峠を越えたと思いきやこの先も峠の連続です。
自販機で飲み物を補給し店前にあった駐車場のベンチで昼食とします、目の前のお店は開いている様子もなしですが閉業している店でもなさそう、今日は定休日?しばし休憩してから出発し道を左に折れると宿場町らしい町並みとなりました。すぐ左には大湫宿おやすみ処(旧森川訓行家住宅)という古い建物があり、そこの方が大湫宿の見どころなどを話してくれました、「今日はどこから来たの」というので恵那からと話すと「大黒屋さんに泊まるの?」と、御嵩駅まで行きますと言ったら「それはたいへん」と少々驚いていました。そうなんです結構大変なのです、時間が限りなくあって気持ちよく色々見て回りながら中山道を旅するのであれば次の宿場町細久手の大黒屋さんに宿をとるのが最善の方法と思われます。十三峠という名前の通り(実際御嵩宿までを考えるともっと多い)アップダウンをずっと繰り替えした街道を歩いていると足腰よりも体力の消耗が激しいです。

大湫宿おやすみ処を出てこの日最初のCafé(今日の行程で2か所ほどチェック済み)古民家カフェ橘を目指します、お店に着いて中を覗くと客は1人もいません、店員も見当たらないが奥から洗い物をしている?らしき物音が、とりあえず座敷に上がって「すみませ~ん」と何度も声をかけるが反応なし、さっきサイクリストが店の前で途方に暮れていたように見えたけどこういう事でしたか、という事で休憩を諦め先に進みます。このCaféを目指した結果、先ほどの休みどころの方に聞いた倒れた大木を見逃しました、Caféの目の前に見えるけど急階段を登った上、でも見とけばよかったか、衛星写真でもしっかりと見て取れ後のCaféで聞いたら奇跡的に本殿などに被害はなかったとの事、確かにこんな大きな木が建物に直撃したらただ済まない。
 

次の峠に差し掛かる前に巨大な2つの岩が現れました、中山道二つ岩というこれも名所らしいです。

ここからは石畳の道が続きます、この山中にある一里塚はどれも当時の面影を残していて道の左右にしっかりと2つ共形を残しているものも有ります。
ここは美濃十六宿の中で一番高い峠で日本一長いとされる石畳の道だそうです、対でしっかり当時のまま残っている一里塚は八瀬沢一里塚。

峠の中を歩いているとどこからか爆音が!普通の車の音ではなく明らかにレースの時の轟音とスキール音、地図を見るとこの森の先に「YZサーキット 東コース」があるという事で、練習か大会かわからないけど何台もの車が走っているのが聞こえます、ちょっと覗きたい気もしますが先を急ぎます。峠を越えると細久手宿、噂の大黒屋さんがありました、この後すれ違う人が増えるので時間的にみな大黒屋さん目当てかと思います。細久手宿は大湫よりもこじんまりしている感じで、大湫には街道らしい町並みが残っているのに反し細久手には大黒屋さん以外それらしき建物は見られず「細久手宿本陣跡」も手書きの何ともほっこりする看板のみでした。

十三峠のあともここ細久手まで山の中、本日ここまで22kmをほぼ峠路で歩いてきたので流石にバテました。大黒屋さん前の公民館の軒先をお借りしてしばらくの休憩、少し休んだくらいでは回復しないので、今度来るときはスマートウォッチを買って体のチェックをしながら歩いてみたいと思います。

細久手宿を過ぎてあと一山超えれば平坦な所に出られるそうです。。。(また峠)
少し行くと鴨之巣一里塚、いったい何個目の一里塚か!4キロごとなので5~6個?道はまだ続きます。
  

この山道の先にCaféがあることを調査済みなのでそれを楽しみに体に鞭を打って進みます。
やっと「ラ・プロヴァンス」に到着、さあ入店と思ったら街道から入る道はCloseされている、進むと駐車場がありそこから上げっていくような構造になっているらしい、しかし!
駐車場には5~6台の車、若いカップルがお店から出てきて若い女性達が車で入店、どうも汗だくの街道旅人が寄る雰囲気の店ではなさそうという事で何事もなかったようにスルーしました。
峠を下り、田んぼの脇を進み、またひと峠こえるとその先に休めるところが有ったので一人Café Timeといきます。
   

さてあとは御嵩と思い歩き出すと間もなく予定外のCafé発見、「いろは茶屋」というお店は新しいお店のようですが臨時休業の文字が、ここもダメかと思いきや中からマスターが現れ「休んでいきます?」と、やってます?と聞くとお客さん来ないから閉めようと思っていたところとの事だったので外のスペースでコーヒーを一杯ごちそうになりました。山の中で味わう珈琲はいいものです。
暫くまったりと過ごしたいところですが、もう午後三時半近く。まだ先があるので日が暮れないうちに歩き切りたいという事でCaféを後にします。
 

Caféの先に進むとまた石畳ですがパッと目に入って来たこれ、偶然と思われますが「上」はお見事です。
   

空の感じも夕暮れ時を思わせます。
 

やっと峠ともおさらば、この先にこれもチェックしておいた場所が有ります。
全く目立たないところにあるそれは、「和泉式部の廟所」、平安時代を代表する歌人が晩年この地方で過ごされここで没したといわれているところだそうで、中山道脇にこの看板だけで納屋の奥のような所にひっそりと祀られています。
 

ここを過ぎるといよいよ街中、御嵩宿に突入です。
もうあまりゆっくりと見て回る気力もないので駅を目指します、ここ御嵩宿にも所々古い建物が残されておりました。
  

いよいよ今日の目的地である御嵩駅に到着、本日の歩行距離33km
 

足腰はまだ行けそうですが、峠の連続と熊への警戒と相まって体力気力はかなり限界に近いです、後は電車で可児駅に行ってホテルに宿泊、明日への備えをします。


中山道13 前1日目

2023-10-06 22:19:21 | 街道歩き

中仙道13 1日目(明智鉄道編)
今回の中山道の旅は欲張って3本立てとしました。
1日目は前回の着地大井宿(恵那)から出ている明智鉄道を旅して鉄印を頂きます。
2,3日の2日間をかけて大井宿から、できれば加納宿(岐阜)まで行きたいところですが2日目午後は雨の予報なのでどこまで行けるか?最低でも60km位は稼がないと次がきつくなるので挑戦です。
4日目は神戸まで足を延ばして兵庫県立美術館でPerfume COSTUME MUSEUM!と、てんこ盛りの4日間。

先ずは前1日目
11:30頃に恵那駅へ到着、明智鉄道の改札で予約しておいた列車の乗車券を頂いた後、まだ50分ほど時間があるので駅前にある和菓子屋「ひとつばたご」で栗きんとんを2個購入、どこかで食して美味しかったら土産にということで。


 
まだ時間があるので連絡しておいた「和」へ、前回の旅の時に駅前で見つけたマッサージサロンで前回は野尻宿から馬籠宿まで歩いた後に施術していただきましたが、今回は時間がないので明日からの長旅に備え足裏マッサージのみをして頂きました。短い時間内で色々お話をして、もう一軒の栗きんとん屋を紹介していただいたので鉄旅の後にそちらも食して美味しいと思ったほうをお土産とします。
そろそろ時間なので明智鉄道の恵那駅に行くと一緒に乗る方々たちがすでに集合していました、予約しておいた列車は「きのこ列車」秋の味覚を味わいながら明智駅までの旅をする食堂車です。

列車に乗り込むとテーブルの上にはすでに料理がお箱の中に、期待が膨らみます。
この列車は普通のロングシートの前に折り畳み?机を並べるという何とも手作り感満載の食堂車、聞けば今盛んにある豪華食堂列車などに先駆け食を楽しむ観光列車としては全国でも先駆者的な存在とか。以前「ろくもん」に乗りましたが水戸岡鋭治さんデザインの豪華個室食堂列車も良いけど、このような列車も楽しそうです。
列車が走り出す前に食事開始、お箱に入った様々なきのこ料理には珍しいきのこや鮎の甘露煮などもはいっていて、加えきのこご飯と松茸の土瓶蒸しと豪華お食事を堪能しました、椎茸が無いのもナイス!です。


   
食事中に沿線の見どころをガイドさんが説明しながらの旅、沿線には日本一勾配のきつい駅(駅舎の土台が斜めってる)や極楽というなんともご利益のあるような... ?駅などを説明してくれました。

極楽駅は鉄印集めを始めたきっかけとなったBS11の「私たち鉄印帳はじめます。」で水沢エレナさんが訪れていました、明智鉄道の回をみて沿線の見どころは予習済みです。

ガイドさんと料理を配膳するおじさんとのやりとりはボケツッコミ漫才みたいで面白かったです。

この上に見えているつり革、何の変哲もないつり革に見えますが何と5500円/年で1個自由にメッセージを発信できるそうです、webから申し込めるらしいので興味のある方は。

終点は明智駅、ここで鉄印を頂いたあと岩村にも行きたいので40分程度ちょい急ぎでき大正村という街中を少し探索しました。
  

ここには明治時代を思わせる歴史のある建物が所々点在しています、が電車の関係もありここで時間をとるか岩村駅で時間をとるかを天秤にかけたとき、やっぱり城下町の岩村を堪能したいという事で次の電車で岩村へ向かいます。明智駅から岩村駅までは普通列車で、と、乗り込む電車には何ともど派手なラッピングが施されていました、ここ恵那では今年Rally Japanが開催されるようで恵那の様々なところにポスターが貼ってありました。

岩村駅は岩村城の城下町だったところで岩村城はその昔女城主がいたというとても珍しい城だったとのことです、駅を出て少し歩くともう城下町の雰囲気漂う道となります、すぐに五平餅の看板を見つけたので早速入ります。帰ってから恵那のあまからやで五平餅食べようかな、でも夕食前だしなと考えていたので丁度良いタイミングです。
客は誰も居ませんでしたが、焼き置きしているのでなく注文してから五平餅を焼いて頂き、暫く待って美味しいそうな五平餅が出てきました。五平餅は一般的に小判型の物が多いですがここの五平餅はお団子のような丸いものを串に刺した五平餅、奈良井で食べたのは串に刺さっていない丸く少し平べったい五平餅でしたのでお店によって様々なのが面白いです。
この店の名前は「あまからや」どうやら恵那駅前にあるお店と同系列みたいですが、酒屋の一角にちょこんと店がある姿が何ともほほえましい。
   

いよいよ、岩村町ぶら。
城下町の風情が残された町並みはなんといい雰囲気ですが、明日何かお祭りが有るようで何だか町の人が慌ただしく動き回っていました。
   

暫く行くと造り酒屋を発見!(知ってた)、ここは岩村城下町の岩村醸造で「女城主」という名前のお酒も。
何種類か試飲をしましたが(歩き旅ならではの特権)、これ!という味に出会わなかったのとこれから丸2日間日本酒を背負って60キロの旅は少々きついので購入せずに店を見学だけしました。
木曽路で出会った造り酒屋はその日の目的の駅までもう少しだったのと、自宅から車でBase基地の上諏訪温泉まで行ったので購入してバッグに押し込みましたが、今回は旅の荷物と共に歩く行程なので。
でもあの木曽の酒は忘れられないです、また買いたいけど行くのは大変。
 

駅前のQRコードでGetしたガイドマップ(アプリ)を見ると驚きの事実が、ここ岩村町は永野芽郁主演の朝ドラ「半分、青い、」のロケ地となった商店街だそうで恵那市岩村振興事務所には撮影に使われたセット(レプリカ?本物?)が展示されていました。
  

岩村を十分堪能した後は恵那に戻ってホテルにチェックインといきたいところですが例のもう一軒の栗きんとん屋さんへ、東西南北ではホテル方面ではあるが駅からみて南西と南東という事で結構距離ある、何とかお店にたどり着き栗きんとんをバラで2個購入しホテルに戻る途中で食しましたが「ひとつばたご」の方が好みでした、未だ閉店までに時間があるのでホテルにチェックインしてひとっ風呂浴びてからお店に行って発送の手続きをしてきました、何故かというと栗きんとんは生菓子なので賞味期限が短い、帰宅するのは3日後なので次の週末に美味しくいただけるように日付指定予約発送の手続きとなりました。
その足で夕食へ、昼も豪華でしたが夜はこれも調べておいた有りそうでない珍しいものを食しにホテル近くのご飯やへ。
向かったのは「素材蔵福吉」、ここの名物は飛騨牛ならぬ「飛騨旨豚」しかも炭火焼の「とんテキひつまぶし」が一押しらしいので注文、豚をひつまぶしにするのは初めてですがこれが美味!
鰻のひつまぶしに負けず劣らずどころか、こっちのほうが好きかもといった感想です。大満足でしたがもう恵那に来ることはないと思われ。。。
  

後はホテルに帰って大浴場でまったりして明日に備えます。

 


中仙道12 3日目

2023-04-09 22:55:45 | 街道歩き

中仙道12 3日目

今日のスタートは馬籠宿。
中津川駅9:55発のバスで馬籠宿へ向かいます、車内はいっぱいで立ちの人たちも居るくらい大人気です。
朝の馬籠宿をしばし散歩し昨晩ホテルで貰った「岐阜の旅クーポン」1000円分で昨日望買い物をした新清水屋に向かい百草丸を買い足しました、おなかの薬は重宝するので少し多めでも問題なし。
長野製薬の百草丸は近くのドラッグストアでも買えますが分包はあまり見かけない、さらに日野製薬の百草丸は木曽周辺でしか見かけないので今のうちです、これからだんだん木曽から離れていくので。

馬籠宿を過ぎると視界が広がり田園地帯を歩きます、途中にあった神社の参道もいい雰囲気じです。

 

中仙道を落合宿方面に歩いていると旅人の宿といった趣の新茶屋という旅館がぽつんとあります、妻籠から落合にかけては道も整備されていて、このような旅館に泊まりながらの歩き旅は特に外国人にとっては日本の風景としてとても魅力的なのだと思います。新茶屋旅館のすぐ隣には一里塚が有りました、新茶屋というくらいなので昔ここに茶屋があったという事のようです。
  

一里塚のすぐ先から落合の石畳という道へ入ります。
街道を歩いていると時々整備された石畳の道があり、当時の人は草鞋での旅を行っていたと思われ石畳は大変ありがたい道だったと思いますが、我々現代人の靴は結構滑りやすいのです。特にウォーキング用の靴はトレッキングシューズのように底が凸凹しておらず比較的フラット、車で言うとサマータイヤなので雨上がりの石畳は滑らないよう気を付けなければなりません、石畳の出口(落合宿方面からは入り口)にはこんな看板も有りました。

  
このあたりの中山道を歩いていると気づくことがあります、道の舗装に陶器のかけらのようなものが混ぜられていてほかの道と区別されています。中山道を歩く人にとってはとてもありがたい、時々旧街道を外れてしまうことがあるのでこのように区別されているとわかりやすいです、事実この後立派な旧御屋敷に気を取られていたら旧中山道の曲がり角を見逃し、道の色が違うことに気づいて戻ったことも有りましたので。
しかし坂道が多い、馬籠を下りればフラットだと思ったのですが上ったり下ったりの繰り返しで結構きついです、岐阜はこんな感じの中山道が続くのでしょうか。

  
落合宿本陣は、「岐阜県内で唯一本陣建築が現存する重要な史跡地」でとても貴重な建物だそうです。
少しながら門の中を見させていただきました。

この後もまだ続く上り下り、上った先には一軒のオアシスが有りました。
越前屋さん、与坂立場跡に建つ古い建物のなかはお洒落なCafeになっていました。
昔、この辺にあった茶屋で出されていたという三文餅と暑いのでアイスコーヒーを注文、三文餅はちょっとしたおやつで、よく峠にある力餅のようなPowerを補充するといった食べ物ではなさそうです。

落合宿の次は中津川宿、こんな感じで道が続くことも。

 
中津川は大きな町ですが、中津川村庄屋屋敷辺りはこのような趣のある街道となっていました。
 

中津川宿を過ぎて少し進むと上宿の一里塚が現れました、こちらも立派な一里塚ですが「昭和9年に往時の約三分の一の大きさで復元されたもの」だそうです。

中仙道を歩いていて久しぶりに電車を見た気がします、街道歩きで電車を見ると街に近い個所を歩いている安心感があります。

 
大井宿に向かう最後の峠?の上から今来た方角を見渡せる休憩所がありました、絶景が広がります。

 
峠を降りると左奥に昨日宿泊したルートイン恵那が見えました、いよいよ今日の目的地大井宿です。

大井宿に入ると明智鉄道の陸橋を潜ります、といってもこの低さ、このすぐそばで列車が通るのを見てみたいものです。
明智鉄道は鉄印を頂ける鉄道、次回の旅は中山道にプラスして鉄印帳の旅も混ぜることにします。
 

本日の距離


 


中仙道12 2日目

2023-04-08 22:16:04 | 街道歩き

中仙道12 2日目

いよいよ今日から街道歩き再開、窓を開けると雨上がりの山々がとても綺麗でした。

温泉ホテルの朝はゆっくりと過ごしたいですがそうもいかず、7時半のバスに乗るため7時前にチェックアウトを済まして7時からの朝食会場に向かい朝食を頂き、そのままバスに乗るという強行軍で出発。
でも朝の山の中は気持ちいいです。
 

昨日はホテルの送迎バスにお世話になりましたが、今日は朝一のおんたけ交通バスで南木曽に行き、そこから野尻まで電車で向かいます、ここ野尻が今日のスタート地点です。

 
本来なら昨日の昼頃にここをスタートし、前回お茶をしたCafe刀に再訪してからスタートする予定でしたが未だ8:30、Cafeは11時からなので残念ですがお店の前を素通りです、もう来ることもないのだろうなとちょっと中を覗き込むと猫がこちらを見ていました、昨年来たときには猫は見かけなかったけどどこかに隠れていたのか?

 
さあ街道歩きの再開です、この時期は桜のシーズン、今年は異例なほど開花時期が早くてこの辺でももう桜は終わりかけですが花桃やしだれ桜は見ごろで街道沿いもたくさんの花で彩られていました。暫く進むと道端に一台の車が停まっていて外に子供と大人がいます、そう先ほど電車で通った時に見かけた電車に向かって手を振っていた親子?で電車の運転手さんが汽笛を鳴らしていたので常連さんでしょうか?

  
ルートチェックしていた時に地図上でもここはどう通ったらいいのかと思われる個所が野尻を過ぎて間もなくありました、国道に分断されていてどこをどう渡ればいいのか???

 
来てみるとこんな標識があり、

 
何と道路の下に道が走っていました、時々あるんですこんな感じの道が。

  
至る所で花がお出迎え、いい季節に来ました。
これは花桃でしょうか?花桃街道なる看板もあったので昨今桜に代えて花桃を植えるのがトレンドなのでしょうか?確かに花桃のほうが長い期間楽しめる感じはします。

  
南木曽を越えるといよいよ妻籠エリアに入ってきます。

  
上久保一里塚には立派な塚が有りました。

 
この日は朝から曇時々晴れといった感じで歩きやすい天候でしたがとうとう雨が降り出しました、運よく妻籠宿手前だったのでフードを被って雨をしのぎながら妻籠宿に滑り込みちょうど昼時なのでここで昼食とします。
入ったのは里久というお蕎麦屋さんですが五平餅も有る!けどメニューにある五平餅は2個入り、さあどうするかと悩んでいたら定員さんから五平餅付きのざるセットを勧められそれに決定、ざるそばと五平餅、最強です。野沢菜110円とメニューにあったので頼もうかどうか悩みましたが付いてました、これくらいでちょうどいい。

 
妻籠宿はちょっと小高い所にある宿場町で下に今朝バスで通ってきた道が走っています。
今朝経由したバス停もこの下と思われ駐車場なんかもあったので観光地ですが、しっとりとした宿場町の風情が感じられるいい感じのところでした。


  
  
途中栗きんとんいう看板を見つけました、どうやらここの名物らしいので澤田屋さんで2個ほど購入、バックパッカーにとってかさばる箱売りでなくばら売りしてくれるのがありがたい。
後で食べましたが100%栗で想像していた菓子以上の美味しさだったのでもう少し買っておくべきでした、栗きんとんはこのあたりの銘菓らしいので次回の街道歩き(たぶん秋)の時にまた堪能しましょう。

 
妻籠宿を後にして目指すは馬籠峠を越えて馬籠宿、猫たちがお見送りをしてくれました。

 
妻籠宿を越えて気が付くのは歩いている人がとても多い、しかも90%は欧米人。彼らにとって古き日本の姿を感じられる格好のハイキングコースなのかも?
途中の男滝女滝にもたくさんの欧米人が写真を撮ったり子供連れでハイキングを楽しんでいる人が多かった。

 
しばらく登ると建物が現れます、一石栃立場茶屋は無料の休憩場、無料でお茶などのサービスを行っている有名な茶屋らしく多くの外国人でにぎわっていました、私は静かに休憩したいのでその近くにあった枝垂桜?を見渡す休憩場所でしばしの休憩。

  
しばらく登ると馬籠峠の上に出ます、そこの峠の茶屋に魅力的な看板が、「甘酒」妻籠宿を出てから水補給だけで登ってきたのでここでエネルギーチャージという事で冷たい甘酒を頂きました、美味しい!
今まで中山道を長く歩いてくると「峠の茶屋」といっても昔の茶屋で影も形も無かったり、廃業したドライブインになっていたりと、なかなか茶屋というところには巡り合いませんでしたが正にここは峠の茶屋でした。こう考えるとこの妻籠~馬籠エリアは本当に魅力的な街道だと感じます、江戸時代はきっと街道を通って江戸~京都間を行き来する人も多かったと思われるのできっとこんな感じでにぎやかな街道だったのでしょうね。


  
馬籠峠を抜けると暫くしていよいよ馬籠宿へ突入です、馬籠宿は木曽路から続く山間からの出口というか碓氷峠でおさらばした都市への再入り口といった感じで感覚的には軽井沢に似た感じを感じました、軽井沢宿には昔の町並みはなく今や軽井沢銀座と呼ばれる観光地ですが都市部からアクセスしやすい馬籠宿も多くの人でにぎわう観光地でした。といっても、軽井沢とは似ても非なる所で馬籠宿は古い建物が続く魅力的な街並みにこれまた魅力的なお店が軒を連ねた非常に魅力的なところでした。
ここに来ると中国人観光客や日本人も増えます、欧米人は馬籠宿の周りを歩くことを+αの楽しみにして、日本人や中国人は馬籠宿だけを見て感じて食べて満足するといったところでしょうか?峠の欧米人率を見ると偏見?ではないと思います。茶屋のおばちゃんも前来たお客さんが馬籠峠は欧米人率90%と言っていたと仰ってましたので。
 


  
馬籠は既に岐阜県です、今まで長く歩いた木曽路は中央本線と平行に進んでいくので結構頻繁に遭遇する特急しなのに癒されたりしました、長かった長野路もここまででこれからまた長い岐阜路が始まります。
本日はここまで、恵那に宿をとっているのでバスで山を下りて中津川から恵那へ向かいます。
バスまで時間があるので先ほど目についたお店に逆戻りして栗ぜんざいを頂きました。

本日の距離