ひでさんの気まぐれ日記

旅の様子や趣味を書いていきます

中仙道15 食

2024-11-07 22:34:54 | 街道歩き

中仙道15 食

今回の旅での食を中心に書いていきます。

先ずは旅の初日、彦根に宿を取ったので近江牛を頂きたいという事で駅からは少々離れていますが徒歩圏内の焼肉近江屋に行きました。

せんなり亭伽羅とも迷ったのですがかしこまった懐石よりも気分的に自由なこちらを選択しました。

この焼肉屋さんは近江牛の色々な部位が楽しめるお店、聞いたこともない部位などが多いので若い定員さんにお勧めを聞いたところ「タン」との事、とにかく普通のタンとは違う激ウマという事でお勧めされた「特上和牛タン(味わいが別格)」と、「ハラミ」、そして聞いたことのない「クリミ」を注文。
 

先ずは特上和牛タン、確かに今まで食べたことのあるタンとは別格でした。
 

そしてハラミも激うま

クリミはうで肉の赤身との事ですが確かに「甘くておいしい」に偽りなしの旨さでした。

〆めはこれまた初めての南高梅冷麺(ハーフ)、この南高梅が入ることにより冷麺がよりさっぱりとした味わいになり焼肉の締めとしては最高で、大満足の初近江牛となりました。

2日目の昼は結局彦根へ戻ってから駅前にある近江ちゃんぽん、これも食したかったので遅めの昼飯という事で彦根城に行く前にササっと頂きました。

昼が遅かったので彦根城から戻ってから少しばかし休憩してから夕食、目当ての「八千代 駅前店」に行くと何と20時半閉店との事で店じまいしていた所でした。しかたなく近くを探索していると鮨屋を見つけたので入ってみることにしましたが、ここが大正解!鮨割烹銀水はお手頃価格で極上寿司を提供してくれるお鮨屋さんでした。追加で頼んだ赤貝は、カウンター前のネタケースの目の前にあった赤貝を取り出してそのままさばいての提供、身とひもを一貫づつとしての一皿で極旨でした。

   

3日目の昼、この旅初めてのまともな昼食は有名店「逢坂山 かねよ」のきんし丼、始めて食す卵焼きと鰻の取り合わせと、関西の鰻(焼き方が違う)にわくわくドキドキ、鰻は近くに行きつけができて最近よく食べる機会が有るのですがなんか違う、これが関西の鰻なのか「かねよ」さんの鰻なのか、はっきり言って地元のお店の鰻の方が好きだなと思った次第です。
 

3日目夜は京都、京都の食を満喫したいという事でホテルそばの豆腐懐石「豆水楼」に予約を入れて入店、早い時間なのでカウンター席には私一人(後からもう一人ご来店)という贅沢な空間での夕食となりました。
高瀨川のコースを注文、先付からメイン、デザートまで特別な夕食となりました。

湯豆腐はおかわりOK、1回だけおかわりをして京都の絶品お豆腐を堪能しました。

 

そしてこちらは4日目の朝、ホテルの朝食。
宿泊した「ソラリア西鉄ホテル 京都プレミア 三条鴨川」ではゆっくりと良い時を過ごさせていただきました、
できることならここへ2~3泊したいところですが事情により今日までの旅程となります。
  

最終日は京都の列車と寺院観光の後に京都の老舗喫茶巡り。
1店目は「フランソア喫茶室」、1934 年開店のフランス風カフェは内外装とも落ち着いたクラシカルな洋風建築で多くのお客さんで賑わっていました。
頼んだのはシナモンシュガートーストと特性プリンに珈琲、どれも美味しかったです、ドライオレンジの刺さったプリンが映えます。
定員さんのコスチュームもクラシカルな感じで、インバウンドで人混みの京都の中にあって落ち着ける異次元な空間で良いひと時を過ごせました。

  
 

続いて2軒目「喫茶 ソワレ」、
ひっそりと佇む(最初通り過ぎた)喫茶店は階段を上って2階に行くと異次元の素敵な空間が広がっていました。
戦後ほどなく開店したというこの喫茶店、ここが京都四条大橋のそばとは思えないノスタルジックな空間で頂くゼリーポンチはこれまた格別でした。

 
(いい写真が撮れなかったので喫茶ソワレさんのwebより拝借)

ソーダの中に浮かぶゼリー、現代となっては非常にシンプルな味ではありますが、戦後間もなくから開業しているこの喫茶で味わうという事に意味が有ります。

今回の喫茶巡りは2店目で終了、本当は3~4店巡りたかったのですがこの後行きたいところも有るし、トースト、プリン、珈琲、ゼリーポンチと立て続けに食して少々おなかにたまっている事も有るのでこの辺にしておきます。この続きは次回また。


中仙道13 おまけ

2024-11-07 21:03:12 | 日記

中仙道15 おまけ

中仙道15では街道歩きのほか近隣の観光もしました。

2日目は早めに切り上げてホテルに戻り、レンタル自転車を借りて彦根城まで。
彦根城は小高い山を利用した城なのでそこそこ上りが続きます、今日は既に30km歩いているのできついと思いきやそうでもないです。
 

登りきるとひこにゃんがお出迎え、実物に見えますがパネルです。
1時間くらい前までいる時間帯だったようですが遅めの昼飯を頂いていたので間に合いませんでした。
 

彦根城には立派な天守が鎮座していました。
天守は殿様が住んでいた所と思っている人が結構多いようですが、こんな急階段の板の間で住みづらい所には住みません、天守は権力の象徴と攻め込まれたときの最後の砦的な役割をはたす建物で、彦根城の藩主の住居は表御殿だったそうです(彦根市webより)。
 

びっくりするほど急な階段を使って上へ登りました、62度あるそうです。

立派な梁を備えてます。
 

天守からは彦根の町並みと琵琶湖を望むことができます、見晴らし抜群です。

 

さて、3日目
この日も早めの京都入りを考え朝早くから歩きだしたので15時くらいにホテルにチェックイン。
昨日のビジネスホテルとは打って変わってちょっと贅沢なホテルにしました。
 

中山道旅としては諏訪温泉以来の大きなホテルでしばしゆっくり、旅の疲れを大浴場で癒して夜の散歩に備えます。本当は京都に2泊してゆっくりと京都を堪能したかったのですが、日程の都合で1泊になったので今日も30km歩いた後に更に京都観光に繰り出すつもりです。
夕方予約した豆腐懐石の豆水楼で夕食を頂いた後祇園方面へ、未だ紅葉には少し早いですが既にいくつかの寺院で秋のライトアップが始まっています、祇園の町を通り過ぎ八坂神社の脇を通って奥に進むと圓徳院。
 

今日は圓徳院と高台寺のライトアップ観光と行きます。
圓徳院は、「豊臣秀吉の妻、北政所ねねが晩年の19年間を過ごした地に建つ圓徳院。ねねが秀吉との思い出の多い伏見城の化粧御殿とその前庭を移築し、ここから秀吉の菩提寺として建立した高台寺に通いました。」(圓徳院webより)という場所だそうです。

ひっそりと佇む圓徳院の庭園は少し色づいた紅葉とともに美しい景観を醸し出していました。
後で知ったのですが今年は高台院(ねね)没後400年(1624/10/17)、ちょうど400年後の初秋に偶然ここを訪れた問うことに何かお導きのようなものを感じました。

 

圓徳院の次は高台寺、道を挟んだ反対側ですが少々長い階段を上って向かいます。
 

高台寺では庭を使ってのプロジェクションマッピングが行われていました、ここはプロジェクションマップを行うようになった最初の寺院との事です。最近地元の寺でもプロジェクションマッピングを始めましたが、高台寺のスケールと物語性と演出は圧巻のスケールでした。
「今シーズンのテーマは「祈り」北政所ねね様四百年遠忌を記念して、他者の幸せを祈ることで心の内面にある様々な執着から生まれる喜怒哀楽といった感情を超越し自らが救われることで「空」の世界に至るその過程を最新のプロジェクションマッピング技術でダイナミックかつ繊細に方丈前庭〝波心庭″で表現します」(PR TIMES webより)
 

池に映るうっすらと紅葉したもみじが美しい。
 

場所によってはかなり紅葉が進んでいる部分も。

  

京都の夜は帰り道も美しいです。
インバウンドで祇園界隈はこの時間でも大混雑ですが、この界隈はひっそりとしていてとても心地よい夜歩きができました。
 

最終日はゆっくりとチェックアウトをして叡山電車の[ひえい]に乗って八瀬比叡口駅へ。
 

ここから歩いて向かうのは瑠璃光院、
今は寺院ですがここはもともと個人の別荘として建てられた建物で山のふもとにひっそりと佇んでいます。

この瑠璃光院は春夏秋の期間限定で公開される寺院で今は秋の公開が始まったところ、しかも明日からは完全事前予約制になるのでギリギリのタイミングとなりました。
山の木々の中に佇むその寺院の姿自体も美しいのですが、ここの有名なスポットは漆塗りの机に写る紅葉の美しさ、もう少し紅葉が進むと真っ赤なもみじが机に写りこみ見事な姿を見せてくれるそうですが、少し色づいたもみじと緑のコントラストもそれは美しい姿でした。
 

 

窓から見るもみじも美しいですが、苔で覆われた庭もそれは美しい姿です。
 

 

この寺院の落ち着いた雰囲気の中、みなさま思い思いの時間を過ごされていました。
このくらいの人数がちょうどいい、明日からの人数制限を設けた完全予約制にする理由が納得できます。
 

写経を体験中に人数限定、特別な茶室でのお菓子付きの抹茶を頂けるコースの紹介を近くでされていたので、すかさず申し込み。丸い窓のある茶室でとてもいい時を過ごすことができました。

 

机に写る紅葉だけがクローズアップされますが、木々と苔の中にある石段、錦鯉の泳ぐ小さな池など山にひっそりと佇むこの寺院はとても心を落ち着かせてくれる場所でした。

  

叡山電車で京都市内に戻るとおもいきや、
 

宝ヶ池駅で下車し
 

観光列車「きらら」へ乗り換え。
あと二週間くらいすると真っ赤な紅葉のトンネルをこの窓の大きい電車で駆け抜けられるようですが今は緑。
でもこの電車に乗ってみたかった、指定席ではないので紅葉の時期になると人だらけでこのような写真は撮れないのでしょうね。
 

目的は「きらら」だったので鞍馬駅で一旦降りて駅前の天狗を見たのち再度乗車、乗るのは今乗って来た「きらら」ほんとうにとんぼ返りです。時間が有れば貴船口で降りて貴船神社も行きたかったのですが、今日一日では回り切れないので真っすぐ市内へ戻ります。
 

京都に戻ってからは老舗喫茶店巡りといきます、1日しかない京都観光を満喫。

 


中仙道15 3日目

2024-11-06 20:05:00 | 日記

中仙道15 3日目 最終日

昨日の続き草津からスタートです。
 

ここ草津宿は日本橋、三条大橋に次いで重要なポイント、駅から少し進んだところにこのような碑が有ります。
「左中山道、右東海道」つまり東海道と中山道はここで合流し京都へと進みます。東海道が先にできたので中山道はここが終点とも言えますが、中山道六十九次はこの後も含まれるので中山道はここで東海道と合流して先へ進むと解釈し旅は続行です。

  

草津を過ぎると東海道(ここから一応道案内が東海道になるのでそう呼びます)は琵琶湖の南側を迂回するような形で京都へと向かいます。

琵琶湖から流れ出す瀬田川にかかる瀬田の唐橋のたもとでしばし休憩。
実はここに来る前、街道沿いで見つけた朝早くから開いているパン屋さんKOPPEであんバターコッペパン(注文してから作っていただける)を買ってバッグに忍ばせていたので休憩がてらエネルギー補給。


瀬田の唐橋はとても趣のある橋です。

この橋をはさんだ草津と大津はかなり賑やかでホテルや飲食店もたくさんあります。

ホテルもビジネスホテルからリゾートホテルまで盛りだくさん、彦根で美味しい夕食に有りつけたので結果オーライではありましたが、草津、大津あたりを宿にするのも有りだったかもしれません。

 

通りには立派な瓦屋さんが有りました、どうやら鬼瓦などの装飾瓦屋さんのようです。
 

京阪の踏切で電車を待っていたらこんなかわいらしい電車が通り過ぎていきました。
 

JR東海道線を潜るのに車はぐっと潜りますが歩道は少し高い所で潜るのであまリアップダウン無くて済むのはありがたい。
 

街中のただの路地っぽい道を通って東海道は右に折れます。
 

ちょっとバージョン違いの飛び出し坊や。
東海道は真っすぐ、東海道に入ってから道幅が狭いと思うのは気のせいでしょうか?
 

大津の道路には線路が有りました、通った時に電車の通過は無かったのでわかりませんでしたが、普通の道路の上に有ったので路面電車だとおもったら京阪京津線で普通の電車だそうです、かなり大胆なつくりの一般道を走る電車は国内唯一らしいです。通過を見たかった。
 

この電車が先ほどの道路を走るのですね。

大津から先は峠越えになります、結構交通量多い道路わきの緩やかな歩道をひたすら進みます、ちょうど峠の頂点を過ぎたあたりで3日目にして初めてきちんとした昼食を頂くため歩道を渡って旧道に入ります。

きんし丼のお店「かねよ」、本店は改装中とのことで「かねよレストラン部」に入りました。
きんし丼とは卵焼きと鰻のコラボどんぶりで関東では見たことのない取り合わせです、きんし丼の感想はまた後程。
 

おなかも膨れたところで旅の再開です、峠を下りて少し進むと「髭茶屋追分」という分帰路に差し掛かります、数日前にブラタモリでやっていた所で実はここで東海道が2つに分かれるそうです。
一般的に有名な東海道はここを右に入って京都三条大橋までの道、もう一つの知られざる東海道はここを左に入って大阪まで行くそうです。
 

山科の町に入ると至る所にこのような茄子らしきバルーンが色々な所にぶら下がっています。
これは何なのか全くの謎のまま町を通り過ぎましたが後で調べたら「もてなすくん」という「京野菜の山科なすをモチーフにしたゆるキャラ」という事でした。
 

この洒落た建物は「スイス菓子 ローヌ本店」、「京都山科 地元では知らない人はいない!?チーズケーキが自慢の洋菓子店ローヌ」だそうです、なぜこんな店にふらっと立ち寄れないのか、毎度毎度ですが歩くことが楽しくて早く先へ進みたい衝動が強すぎます、気になったところにふらっと立ち寄る心の余裕を持ちたいです「前回も言ってた」。
 

東海道脇の小さな公園で猫たちがまったり。
 

れっきとした東海道です、昔はもっと広い道だったのだろうと想像します。
 

狭い道幅のまま上り坂、東海道最後の峠は本当に裏路地といった感じで車が来ると止まって避けなければならない道幅です。

  

峠を越えると広い道に、いよいよ京都市街に入ってきます、ゴールはもうすぐです。
 

少し進むと何やら道の向こうに見覚えのある風景が飛び込んできました、どうやら中山道は少しの間「蹴上インクライン」の横をすすむようです、
 
せっかくなのでインクラインの見学、京都には何度か来たことが有りますがここは初めてで、思いがけなく来ることができました。
 

インクラインを観光して後は三条大橋まで一本道、途中雰囲気の良い感じの古川町商店街横を通り過ぎ、
 

いよいよ中仙道ゴールの三条大橋に到着です。
12年前に日本橋をスタートした時は日光街道の次は中山道を歩こうという事で完歩するという事までは想像していなかったので感無量です。

 

これにて中山道の旅は完結。
ゴールした時はどんな気持ちになるのだろう、旅を終える寂しさがこみ上げるのかな等と想像していましたが清々しい気分です。
今までいろいろな場所を歩いてきました、歩いていると自動車、自転車では気づかないような風景や音、風などを感じることができます。人は歩く生き物なので人間の五感は歩くスピードでそれらを感じられるようにできているのだと思います。中山道沿いには沢山のいい所が有りました、歩くのに夢中でもっとゆっくりしたかったところも多かったので次はポイントを絞っての中山道旅をしたいです。さて東海道はどうする? 

今日はこのまま三条大橋そばのホテルにチェックインしてゆっくりした後、京都の街を堪能します。

 

 

 


中仙道15 2日目

2024-11-05 22:09:45 | 街道歩き

中仙道15 2日目

2日目早朝に彦根駅から近江鉄道に乗って五箇荘へ戻ります。
 

五箇荘駅到着後、昨日は中山道を折れて近道で駅へ向かったので少し戻ってのスタート、中澤酒造は駅そばですが朝7時半から開いているはずもなくちょっと中を覗き込んで本日の中山道歩きスタートです。中仙道沿いには今でも結構酒蔵があります、寄ることのできた酒蔵は佐久市の大澤酒造、木曽の西尾酒造、街道沿いではありませんが恵那の岩村醸造など、ふらっと寄って試飲なんか出来るのが歩き旅のいい所でもあります。
 

少し進むとお堀のような水路が、水路の向こうは五個荘中央公園というところだそうですが、昔何かが有ったところなのか?それとも公園としてこんな立派な堀的なものを作ったのかは謎です。

道の反対側には名残松という立派な松が鎮座していました。
「名残松」の名前の由来は不明ですが、昔中山道のこの場所には松並木が有ったそうですが河川改修工事などで数が減った中で残った貴重な松という事です。
 

五箇荘の旧地図
見づらいですが「てんびんの里」と書いてあります。「天秤棒を肩に全国を回り、一介の行商人から豪商へと発展した近江商人。その多くは近江八幡、日野、五個荘の出身。」との事で、てんびんの里という事のようです。今回の旅では近江八幡の八幡堀にも寄ってみたかったのですが中山道から折れること5km弱は往復で2時間程度、そこから1km位先にあるラ コリーナ近江八幡のも興味あったので観光も入れると3~4時間かかる為今回は泣く泣くスルーしました、いつかこの辺も旅したいです。
 

少し行くと立派な建物が、これは「旧五箇荘郵便局局舎」だそうで、石造りの立派な局舎に見えますが木造だそうです。
 

新堂町の常夜燈は昔の旅人の道標。
夕暮れにも見えますが未だ朝です。
このあたりを歩いていると左右に小高い山が見えます、この右側の山の向こうに安土城跡が有るようです。天守は有りませんが山城の城壁などは残っているそうなのでこちらも興味がりますが、思いだけ城に寄せて先を急ぎます。
 

木曽路には至る所に湧き水が有りましたが滋賀にも名水がありました。
「清水鼻の水」は湖東三名水の一つ、昨日のスタート地点醒井の「居醒の清水」もその中の1つだそうでもう一つの「十王村の水」は中山道からは離れています。
 

国道から左に折れて奥石神社方面へ、愛知川から一里半なので五箇荘駅からは1里程度、本日の街道歩きは始まったばかり。

西生来一里塚跡は住宅の駐車場の脇にひっそりと有りました。
 

中山道武佐宿脇本陣跡は町の会館
 

郵便局も趣のある建物となっています

脇本陣の先には旧八幡警察署武佐分署庁舎、こちらも立派な建物です。
 

そして武佐宿本陣跡
 

武佐宿を進むと武佐駅となりますが、こちらもいい雰囲気を醸し出しています。
武佐宿は古い建物が点在するとてもいい雰囲気の町ですが、あまり観光地化はされていない感じで宿場町の名残を大切に守っているという感じがしました。

武佐宿を抜けると中山道はまた国道になり、交通量の多い道沿いを暫く進みます。
馬淵町辺りで国道から旧道に入りますが暫く行くと中山道は行き止まり、昔はここから「日野川の渡し」で対岸まで行ったそうですが今は日野川にかかる横関橋を渡らなければ対岸に行けないため、ぐるりと大回りをして、竹林沿いの土手を進みます。

横関橋を渡り
 

土手を戻って
 

渡しの対岸へ到着、約1kmの大回りをして横関川渡し跡。
なぜ対岸に来ると川の名前が変わるのかは謎でしたが、どうやら横関川は昔の川の名前で今は日野川となっているという事のようです。

という事は正式には横関川の渡し?
 

またまた国道に合流して進むと道の駅が有りました。
 

「道の駅 竜王かがみの里」、あと10分ほどで11時なのでここで昼食にしたいと思い休憩スペースでしばし休憩。11時になったのでレストランへ行くとお休み、通常月曜日休みのところ月曜が祭日だったので振替で火曜休みのようです、この旅はことごとく昼食にありつけません。
同じように張り紙を見て途方に暮れているご夫婦が居ました。
結構魅力的なメニューが張り出されていたのですが。
  

気を取り直して先へ進みます、今日も昼飯抜きっぽい雰囲気になってきました。
大篠原一里塚の痕跡はどこか不明。守山宿に行くまではひたすら県道を進みます、こういう道標の乏しい時は中山道アプリが大活躍します、道を逸れないように注意しながら進み守山宿に到着です。今日は草津までの予定なのでもう一息。
 

今宿一里塚、
説明パネルには県内に現存する唯一の一里塚と書かれていました。
今まで中山道を旅して数は少ないですが当時のまま現存する一里塚は幾つも有りましたが、滋賀県内にはほかの街道も含めここだけのようです。
 

今日の目的地草津宿も近づいてきました、中山道は人と自転車位しか通れないトンネルを使ってJR東海道線を潜ります。
 

草津駅は目の前。
今日朝早くから歩き始めたのには理由が有ります、せっかく彦根に泊まるのなら彦根城も行ってみたいという欲張りな気持から最終入場時間の16:30までに彦根城へ行くためです。
前回の旅では犬山城を臨みながらわけあって結局行かずじまいでした。
時間はまだ早いですが駅前にある匠壽庵でお土産を買い14:21のJR琶湖線で彦根へ戻ります。

 

本日の歩行距離
 

 


中仙道15 1日目

2024-11-04 22:42:51 | 街道歩き

中仙道15 1日目

中山道歩きもいよいよ今回でFinal、今日から3日間かけて中山道の終着点京都三条大橋を目指します。

前回、前々回は初日鉄旅で英気を養った後2日目からの歩き旅でしたが、今回残りの距離を考えると3日間必要なため初日からの歩き旅となります。順調に出発点である醒ヶ井駅に行けるかと思いきや、東海道新幹線のLED掲示版に東海道線が橋梁に車両が衝突した影響で運転見合わせと!場所を確認すると岐阜と名古屋の間だったので大丈夫かな?と米原駅で新幹線を降り駅のアナウンスを聞くと乗るはずだった在来線が運休、醒ヶ井行は30分後の列車の電車という事なので駅周辺で時間をつぶしましたが結局それも遅れて予定から40分遅れで醒ヶ井駅へ到着しました。

半年ぶりの醒井、前回の旅で地蔵川沿いの道がとても趣が有ったので予定ではこの醒井宿の町並みを少し散策してからの出発と思いましたが時間が無い、暗くなってからの歩き旅は危険なので早速中山道を進みます。
ところでJR駅の名前は「醒ヶ井」ですが宿場町としては「醒井宿」、なぜ駅名には「ケ」がついているのかは不明です。某webサイトによると「サメガイ」と読む際わかりやすいように表記したという事が真相らしいと書かれていました。確かにケが無いと「サメイ」「サトイ」とかいろいろ読めてしまいそうです。
醒井宿を抜けてすぐ廃屋?といった佇まいの(失礼!)建物が、ここは地元では有名な近江牛のお肉屋さんらしくしっかり営業中です、中のショーケースにはお肉が並んでいました。歩き旅で生肉を買うわけにもいかないのでこのまま進みます、もしいつか車旅でこの辺に来ることが有ればこのお店でお肉を買ってBBQも有りかもしれません。この旅は歩き旅なので4日分の荷物を背負っての旅です、このような時に備えての小型ストーブやコッヘルを仕込んで置く余裕は有りません、出発前に計ったらリュックの重さは7.8kg有りました。

先に進むとここもチェック済みの「虹鱒料理おたべ」が、ここは虹鱒料理で有名なお店で虹鱒のお刺身が頂けます、ちょうどいい時間帯ですが本日定休日、わかってはいましたが残念。


北陸自動車道の下を潜ると「久禮の一里塚跡」が現れました、塚というよりも跡という事で石造りの碑が鎮座しておりました。
  

ここを過ぎると番場宿に入っていきます。
 

番場宿本陣跡の碑は住宅の花壇の中にひっそりと置かれていました。
 

番場宿を過ぎると危惧していた峠越え、最近熊の出没もよくニュースになっているので人里を離れるのが少し不安ですが、ここはその山を抜けると直ぐに彦根ですし左は高速なので大丈夫でしょうと進みますが、右側に広がる田園の先の山のふもとにはずっとバリケードが設置されています、熊とは言わないまでも猪とかは出没しそうです。この旅最後の?ちょいきつめの上りが続きます、11月というのに気温も高めで汗をかきながら磨針峠を進みます、峠越えは舗装されていない山道よりもこのような道路化された舗装路の峠が地味にきついです、ちょうど下りに差し掛かった辺りで5~6人の歩き人とすれ違いました。旅人?といった様子で無い人も2人くらい、どこ行く?散歩?寄合?
 

峠を下るといよいよ本格的に滋賀といった感じで、有名なフジテックのエレベーターテスト棟が見えてきました、ここは米原駅からも見えますし新幹線に乗っていれば目につくあれです、手前には東海道新幹線700系が小さく写っていますが写真では小さすぎて判別不能。

磨針峠を下りると鳥居本宿、何やら歴史のある建物があり「赤玉神教丸」と書かれています、赤玉と言えば昔よくお世話になっていた富山の「廣貫堂赤玉はら薬」ですがこちらは滋賀の老舗有川薬局、ちょっと寄っていきたいところですが閉まっています、今日は祭日なのでお休みのようです残念。
 

少し進むと鳥居本宿本陣跡、

と横道の向こうになんやら趣のある建物が、鳥居本駅の駅舎はとても歴史のある佇まいのいい駅舎でどうやら登録有形文化財にも指定されている建物だそうです。こういう建物は大事に残したいものです。
 


中に入ってもドームのような作りがとても立派なモダンな駅舎でした。
 

鳥居本駅を過ぎると江戸へ118里、京都へ18里の看板が、旅もいよいよ終盤です。
 


午後1時を過ぎたところで丁度いいところにお蕎麦さんが、と思ったら準備中の看板が、よく見ると「本日分のお蕎麦は完売となりました」の看板が、残念。
 

当初の予定ではランチは本宮宿のCafeでと思っていましたが、電車遅れもあり40分近い遅れが出ているためここでランチを取ると目的地に行く前に日が暮れそうなので泣く泣くスルーして先を急ぎます。本宮宿入り口の少し脇にあるビリオン珈琲店でこんなものとか、
 (ビリオン珈琲webサイトより)

こんな素敵なランチをと考えていましたが、暗くなってからの歩き旅は危険なので。
 (ビリオン珈琲webサイトより)

結果、前々日に買ったものの食べきれずリュックに入れて持ってきたクロワッサンが昼食になりました。
この旅はこんな感じで昼食を飛ばすことが多い旅でした。


滋賀に入ってこのような看板が増えた気がします、「子供が走る看板」これはおそらく飛び出し注意の喚起看板かと思いますがほぼこのデザインです。
 

調べてみると「飛び出し坊や」というキャラクター?だそうで「誕生したのは今から50年前の1973年。
車の普及により全国で事故が増え続けたため、「こどもの交通安全」の願いを込めた「飛び出し坊や」が東近江市で生まれました」という事らしいです。
滋賀に入ってから感じるのは狭い道でも車がとてもスピード出す事、これは前回の旅で岐阜から滋賀へ入るとき感じましたが岐阜は安全運転、滋賀では熱い運転と感じました。でも道も狭いので車同士のすれ違いや、人が歩いていたりすると十分距離を取ってスピードダウンしてくれます。後に、南下するとまた様子が違ってきます。

 石畑一里塚の里
とは?

石畑一里塚を過ぎると愛知川宿へ入っていきます。

すでに17時前で日も随分と傾いてきましたが今日の目的地はこの先の五箇荘、五箇荘駅のそばには中澤酒造が有りちょっと試飲していきたいところですが営業は17時まで、そしてそもそも今日は祭日なので開いていないと思います、今日はことごとくお店に恵まれませんが時間的に急げば予定より1本前の電車に乗れそう(1時間に1本)なので少しペースを速めます、昼間にお店に恵まれなかった分宿泊地の彦根でその埋め合わせをするつもりです。

愛知川を越えて渡る橋の隣の鉄橋をカラフルな車両が走っていました、このあとこの近江鉄道に乗って彦根へと向かいます。
 

愛知川を越え中山道から折れて駅を目指します、どうやら間に合いそうです。
 

かなり薄暗くなってきましたが発車時刻の5分前に五箇荘駅に到着、本日の歩行距離は27.11kmでした。
今日からの2日間は彦根のホテルをベースにしての歩き旅となります、よって明日はホテルに荷物を置いて身軽に歩くことができるので今日よりも随分と楽できるはず。
昼が乏しかった分、彦根に行って豪華ディナー?を頂いて英気を養います。


  

 


本日の歩行距離