愛の輝きとつぶやき

写真、アート(絵画、書、詩)日記

言霊と文字の関係

2015-06-24 22:06:25 | 言霊・音霊・数霊・型霊・色霊

言霊と文字の関係

言霊と文字にはどんな関わりがあるのでしょうか?

安藤姸雪先生は書家であり、永年に亘り神代文字の研究をされております。

先生は、言葉には言霊の霊動が内在し、文字とは、その言霊を息吹かせる神霊的

形象であり、文字に神の波動のエネルギーありと述べられております。

著書の「世界の言語は元ひとつ」の中に分かり易く述べておりますので、

ここに抜粋してご紹介させて頂きます。

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言語というものは、言霊の働きから出ています。

それが言葉になるわけで、言葉には言霊の霊動れいどう(言葉になる前のエネルギー)

が投影されているということになります。

したがって、言霊とは想念が物質化されたものでもあるのです。

文字とは、その言霊を「吹き上げる」、あるいは「息吹かせる(エネルギーの発動)」

ということなのです。

本来「言霊」には、「物を創造する力」があります。

まず、このことを十分に心得ておかなくてはなりません。

言霊の使い方一つで、人生の幸不幸が決定してまいるわけでございます。

 

***

 

明治天皇は、言霊の働きを次のように詠ぜられました。

あめつちも動かすばかり言の葉の

        まことの道をきはめてしがな

 


日本は世界のひな型である。

2015-06-23 22:52:25 | 言霊・音霊・数霊・型霊・色霊

日本は世界のひな型である。

岡本天明氏が受けた啓示の「日月神示」には次のような日本は世界の

ひな型であるということが書かれています。

 

「日本の国は世界のひな型であるぞ、ひな型でないところは真の神の国でないから、

よほど気をつけて居りて呉れよ

 

今の世はひらけたひらけたと申しているが、それは半面だけのこと、半面がひらけると

半面がとざされる世の中、開け放しの明るい世が目の前に来てゐるぞ。

用意はよいか、真中うごいてはならんと申してあろう、動くのは外ぢゃ、

忙しい急しいと申すは外側にゐる証拠であるぞ、気をつけて早う中心に飛び込めよ、

真中結構、日本は真中の国であるぞ、日本精神は真中精神、末代動かぬ精神で

あるぞ、三千世界の大掃除であるから、掃除するには、掃除する道具もゐるぞ、

人民もゐるぞ、今の有様ではいつ迄たっても掃除は出来ん、益々けがれるばかぢゃ、

一刻も早く日本から、日本を足場として最後の大掃除を始めて下されよ

* 

「最後の大掃除」というのは、現在起きている太陽系の大変化だと考えられます。

太陽(日)と、月(時)の生命磁場が大変化によって地球規模での

大変革が起こるでしょう。

今、その真最中に突入しているといってもよいでしょう。

地球上の自然環境の異常の数々、気象、天象、人象の異常な状況は、

誰でも感じていることでしょう。

これから益々これまでの穢れを浄化するために激しさが増して来るようです。

この地球に人類が誕生した雛形としての日本人から、新しい世の中に移行する

ひな型として明治維新の次は地球維新と成ります。

日本と日本人にはその役割があります。

 


日本文化の再確認その④

2015-06-20 23:22:44 | 今に生きる

日本文化の再確認その④

『礼に始まり、礼に終わる』

「礼」は、日本の日常、非日常に拘わらず当たり前のことで、日本文化の特徴に

なっております。その礼の対象は、道場や教室、会社等の建築物に及びます。

道場に出入りするとき一礼することは珍しくもなく常識です。

これは道場の神棚にお祭りされている神様や師範、道場生に対する礼儀でも

ありますが、道場という場(=モノ)に対する礼儀でもあります。

他所の家を訪問して、礼をしない方はいらっしゃらないと思いますが、

最近は、挨拶もそこそこに礼を省略する方もおります。

それでも、結婚をしたい時、相手の家にご挨拶に伺う時は、緊張しながらも

しっかり礼をして挨拶をします。

オリンピック競技などの会場でよく見る光景ですが、

日本人はその場に入る時決まって一礼をして入ります。

柔道や剣道などは当たり前の光景ですが、以前は陸上競技では見なかった

ことで最近テレビで見たのが、陸上の100メートルでしたか、

ある男子が一礼してトラックに入ってスタートラインに立ったのです。

珍しかったのか解説者がコメントしていました。

またそのことで思い出すのが、1995年にプロテニスの松岡修三選手が

英国ウィンブルドンで準決勝まで勝ち上がり、王者サンプラス選手と対戦した

試合があります。試合途中まで松岡選手が優勢でしたが、観客のほとんどは

白人です。大多数が劣勢のサンプラス選手を応援し始めました。

熱烈な応援のせいか、サンプラス選手は徐々に調子を上げてきて、ついに

松岡選手を下しました。

しかし、負けた松岡選手はコートからの去り際に、コートに向かって

深く一礼しました。

その直後、大観衆が松岡選手の凛とした潔い後姿に大声援を送ったのです。

ウィンブルドンのセンターコートには大和魂のが垣間見られました。

その姿は、習慣のない外国の人々にも魂を揺さぶられたのでしょう。


最近は、小さい子供から大人まで礼儀が出来ていないのが目につきます。

公共の場こそ、その姿が試されています。

誰かが見ている、見ていないに関係なく礼儀が出来ていると、

その内面の精神が芯の通った美しいものであると感じます。


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今に生き切るー4

2015-06-18 22:17:35 | 言葉と言霊

「今に生きる」-4

続き…

たとえどんなに悪い現象を起こす ◎ であっても、その源は自分が可愛いから、

自分の為に  を作ったので、決して自分を悪くする為に作ったのではありません。

故に融かしてしまえば、幸せの肥しになるのです。

丁度柿の種を育てるのに、土中に埋めて種肉を融かせば柿の芽が出るように、

自分の  の粒を融かせば、自分の生命、使命が芽を吹くのです。

生命が芽を吹けば、どんな色でも見分ける眼や、どんな音でも聞き分ける

耳の働きをさせる生命ですから、不幸をもたらす筈はありません。

即ち不幸は全て  が芽を吹いた為に起こる結果なのです。

   

芽を吹くのは全て波動によるものです。正常で喜びの波動は、体全体を

渦のように回っています。

悲しみや不幸の波動は、渦を構成している五つの波動が渦と離れて別に

働くのです。渦から離れて働くようになるのは、怨み、憎しみ、悲しみ、

怒り、絶望等、喜びの反対の感情が強く固まった時に起こるのです。

世界の乱れも争いも全て離れて働く波動の影響で起こるので、この波動

は一人ひとりの中にあり、地球全体にも影響するのです。

従って一人ひとりが正しい波動になれば、地球の波動も正しくなり、

平和と喜びの世界になるのです。故に先ず一人ひとりが自分の波動を

正しくすることが先決であります。

 ******


感想

高次元からの啓示を受けておられる橘 浩堂氏の著書は独自の創見ですが、

生きる上での真理があります。 

今の自分が在るのは紛れもなくこの世に産んで頂いた両親です。

その後ろにはご先祖様が延々と繋がっています。自分と同じこの世で

喜びも、悲しみも数々の経験をして亡くなった人間の霊魂があります。

私達は,そのご先祖様への思いを受け止めながら今に生きること。

それは清く、明るく、素直に生き切ることだと思います。

 

 


今に生き切るー3

2015-06-17 21:41:29 | 言葉と言霊

 

「今に生きる」-3

続き…

例えば人の魂は次のように構成されています。(図は省略)

 

魂の構成

 穢れなき生命 ⇔ 生命の波動

     喜びの魂・嫌な魂 ⇔ 〇  の魂動

   3 判断智 ⇔ 外の波動と接触する波動

 

1 は何億年も生き通してきた生命に各自の使命の魂が融けて一体になっている

使命魂であります。そしてこの魂が私達の眼や耳を育て養い働かせている根本

ですから神そのものです。

私達は母の体内から離れてしまえば、誰も眼や耳を働かせてくれるものは

ありません。全ては自分の生命の働きなのです。


〇 が良い因子で  が悪い因子としましょう。

この 2 の魂が 1 の生命、使命を取り巻いているのです。

3 の魂はあまり固まっていないもので、心とか思いとかいう程度の、

その時その時の判断智です。

 

今日の我々を左右しているのは 2 の魂で、体の中での魂が最も厚く集まっている

所は胸です。

 の粒が芽を出せば不幸が現れるのです。

交通事故、病気、事業の失敗、争い、災難等すべて  が芽を出した時に

起こるのです。

〇 が芽を出した時は喜び、成功、健康、平和等になります。

2 の魂は自分が作っている場合が多いですから、嫌な事は出来るだけ

心に留めないで忘れてしまうことが大切です。

何回も繰り返して思い出していると、それが  の粒になります。

2 の魂の粒は他人から作らされことが多いのです。

従って人に対して悪い言葉を出したり悪い事をすると、相手に  の粒を作らせることになり、

それがお互いの間に反復して段々粒が堅くなって行きます。


自分で作った粒は思い様、考え様で、柔らかくすることも融かすことも

出来ますが、生きている自分が作らないで、過去の自分が作っていたものが

余りにも沢山あるのです。

過去の自分とは先祖であります。

人には父母があり、祖父母が四人、曾祖父母が八人あります。

このように加一倍法で過去に遡ってゆくと、五十代前の先祖は数え切れない数になります。

この先祖の思凝りが堅い魂の粒になって、自分の生命、使命を

取り巻いているのですから、生きている自分には判らないことです。

判らないといっても、今の自分は過去の自分の現れですから、

その因子で生まれて来たのですから、やはり今の自分の責任になります。


古い因子はほとんど融けて、生命に合体していますから余り心配は

要りません。大抵は七代前位までの先祖に現われてそれがまた思凝りになって、

災いを起こしているのです。

たとえ遠い過去の思凝りがあっても、七代前までの人に現われていますから、

七代前までの先祖を成仏させれば、  は融けてしまいます。

そして初めは小さな  が何回も子孫に現われて段々大きくなって、

今の私達に引き継がれているのです。

 は自分の中にも、墓にも、自分の血縁の人の中にも入っています。

然し自分の中の  を融かしてしまえば、それは本然の生命、使命を

育てる肥やしになりますから、先ず自分の中の  を融かすことが先決です。

    を融かせば、どんな難病も不幸も消えてゆきますから、

後は再び  を作らないことです。

 

次回に続く…