毎日同じ景色ですが沈む夕日で劇的に変化する様に見えて、飽きずに同じ様な写真を撮ってしまいます。
映画「あんのこと」監督・脚本:入江悠
事実に基づく映画との事で、アル中の毒母親と足の不自由なおばあちゃんと、娘(杏)の生活が杏の犠牲(万引きや売春、覚せい剤使用等)の上で成り立っている凄惨な状況が公的な補助や支援を得られずに有る事事態にショックを受けます。
杏の河合優実の好演と毒母の河井青葉の怪演が見どころです。
救いの無い絶望的な映画です、人には二面性が有る事を見せつけられます。
心身が健康な時に見て下さい。
映画「関心領域」監督:ジョナサン・グレイザー
第96回アカデミー賞(2024年)受賞:国際長編映画賞・音響賞
ホロコーストを題材にした映画として画期的なのは、強制収容所内の出来事を一切映像で描写しない点。ただし銃声や叫び声などの音と、高い煙突から上がる煙などの背景映像によって、すぐ隣でユダヤ人収容者の虐殺が延々と続けられていることを示唆する。そして、そんな煙や音を見聞きしながら意に介さず楽しげに暮らすヘス一家と来訪者らの姿が、観客を戦慄させもする。
そして、映画の眼差しは、単に80年以上前のドイツ人家族に向けられるだけでなく、ロシア・ウクライナ戦争とイスラエル・ガザ戦争で大勢の兵士と市民が日々戦死し犠牲になっている世界に生きる現代の私たちをも射抜く。そうした世界の悲惨な状況をニュースやSNSで見聞きしても、すぐに意識が日々の衣食住や身近な人間関係などに移っているのなら、ヘス一家に恐怖したり批判の目を向けたりする資格はないのかも。あなたの関心の領域はどこまでか、関心の壁は今のままでいいのかと、映画が問いかけてくるようだ。
映画。Comレビュー、高森 郁哉さん のレビューが秀逸でコピーさせて頂きました。
影絵なので一つ一つ細かく切って作られているのですが、作品の大きさに圧倒されます。
作品の構想や色使いはメルヘンに溢れますが製作段階の手数の大変さや根気強さなど
100才を迎えた方の作品とは思えないエネルギーを感じました。
福岡市博物館で、影絵作家・藤城清治さんの展覧会 最新作の初展示も
GWの前に海の中道海浜公園へネモフィラを見に行きました。
フラワーガーデン
良いお天気に恵まれ気持ち良い一万歩を超える散歩になりました。
映画「異人たち」監督:アンドリュー・ヘイ
日本を代表する名脚本家・山田太一の長編小説「異人たちとの夏」を、アンドリュー・ヘイ監督が映画化。1988年に日本でも大林宣彦監督で映画化された喪失と癒やしの物語を、現代イギリスに舞台を移してヘイ監督ならではの感性あふれる脚色と演出で描き出す。
12歳の時に交通事故で両親を亡くし、孤独な人生を歩んできた40歳の脚本家アダム。ロンドンのタワーマンションに住む彼は、両親の思い出をもとにした脚本の執筆に取り組んでいる。ある日、幼少期を過ごした郊外の家を訪れると、そこには30年前に他界した父と母が当時のままの姿で暮らしていた。それ以来、アダムは足しげく実家に通っては両親のもとで安らぎの時を過ごし、心が解きほぐされていく。その一方で、彼は同じマンションの住人である謎めいた青年ハリーと恋に落ちるが……。
アダムの固まった心の原因は、親を早くに亡くしたのだけが理由なわけではない。彼は「それ以前から孤独だった」のであり、自分が他人と馴染めなかったこと、ゲイであることを含めさまざまな恐れが自暴自棄をもたらし、人生に希望を持つのをやめていた。果たしてそんな人間に、転機は現れるだろうか。だがハリーもまた、彼と似た者同士だったからこそ、その痛みを共有することができる。
もっとも、本作が観客をそのセクシュアリティによって選ぶような作品だとは思って欲しくない。孤独と、誰かを必要とする気持ちは普遍的なものだから。
映画。Comより 抜粋 : 映画評論・批評(佐藤久理子)
映画「オッペンハイマー」
監督:クリストファー・ノーラン、
第96回アカデミー賞では同年度最多となる13部門にノミネートされ、作品賞、監督賞、主演男優賞(キリアン・マーフィ)、助演男優賞(ロバート・ダウニー・Jr.)、編集賞、撮影賞、作曲賞の7部門で受賞を果たした。
原子爆弾の開発に成功したことで「原爆の父」と呼ばれたアメリカの物理学者ロバート・オッペンハイマーを題材に描いた歴史映画。2006年ピュリッツァー賞を受賞した、カイ・バードとマーティン・J・シャーウィンによるノンフィクション「『原爆の父』と呼ばれた男の栄光と悲劇」を下敷きに、オッペンハイマーの栄光と挫折、苦悩と葛藤を描く。
第2次世界大戦中、才能にあふれた物理学者のロバート・オッペンハイマーは、核開発を急ぐ米政府のマンハッタン計画において、原爆開発プロジェクトの委員長に任命される。しかし、実験で原爆の威力を目の当たりにし、さらにはそれが実戦で投下され、恐るべき大量破壊兵器を生み出したことに衝撃を受けたオッペンハイマーは、戦後、さらなる威力をもった水素爆弾の開発に反対するようになる。
冷戦下に吹き荒れた赤狩りを背景に、スパイ容疑をかけられたオッペンハイマーは、機密保持許可を問う「聴聞会」で“取り調べ”された。
(映画。Com. )
モノクロとカラーの場面が使い分けられるが良く意味が分からなかった、後半の聴聞会の場面も含めて3時間の大作だ。
光雲神社(てるもじんじゃ)より見る櫻並木
当社は戦国時代きっての知将として知られる黒田官兵衛孝高(如水)公と、その息子で初代福岡藩主の黒田長政公の御魂をお祀りしております。
両公は、全国的に有名な民謡「黒田武士」の育ての親であり、福岡の名付け親でもあります。社名は両公の法名から一字ずつを取って「光雲神社(てるもじんじゃ)」と命名されました。
母里太兵衛は黒田二十五騎の一人であり、知勇兼備の武将で主君長政公の命を受けて福島正則公に遣わされた時、禁酒の太兵衛が、なみなみと注がれた大杯の酒を自若として飲み干し、太閤秀吉より拝領の福島家、家宝「名槍日本号」を持ち帰った話は有名であります。
なお、像の下部には全国で親しまれている「黒田節」の歌詞が刻まれています。
慶長5年(1600年)関ヶ原戦に徳川方の先陣を承った黒田勢は、旧岐阜市の東、合渡川に進軍します。連日の雨で増水していたが家臣後藤又兵衛の進言で、夜中、強行渡河を決行。ところが、長政公の乗馬が先頭で足を滑らせ、危うく河中に転落の刹那、川辺に立つ柳の枝に水牛の兜の緒がかかり幸運にも難を避けることを得ました。この勢いに黒田勢の士気があがり関ヶ原天下分け目の戦いの勝利に大いなる役割を果たすことができました。
光雲神社境内入口右側の水牛の兜像は、この長政公の幸運にあやかり篤志により制作、奉献されたものです。
映画「ビニールハウス」脚本・監督・編集:イ・ソルヒ
貧困や孤独、介護など現代の韓国が抱える社会問題に根ざした物語が展開するサスペンス。
貧困のためビニールハウスに暮らすムンジョンは、少年院にいる息子と再び新居で暮らすことを夢見ていた。その資金を稼ぐため、盲目の老人テガンと、その妻で重い認知症を患うファオクの訪問介護士として働いている。
半地下はまだマシ、という宣伝文句の通り本人の必死の努力も貧困から始まる負の連鎖は止められず更に悪い方向へと転がり続ける救いの無い物語。
映画「12日の殺人」
2023年・第48回セザール賞で作品賞・監督賞・助演男優賞・有望若手男優賞・脚色賞・音響賞を受賞。
監督:ドミニク・モル、ヨアン:バスティアン・ブイヨン、マルソー:ブーリ・ランネール
10月12日の夜、女子大学生クララが焼死体となって発見された。捜査を担当するのは、昇進したばかりの刑事ヨアンとベテラン刑事マルソー。2人はクララの周囲の容疑者となり得る関係者に聞き込みをするが、男たちは全員クララと関係を持っていたことが判明する。殺害は明らかに計画的な犯行であるにも関わらず、容疑者を特定することができない。捜査が行き詰まるなか、ヨアンは事件の闇へと飲み込まれていく。
容疑者の男たちが、クララの奔放な交友関係を赤裸々に明かす一方で、彼女の友人であるナニーは、事情聴取に訪れたヨアンに対し「殺された理由知りたい?」と投げかけ、彼女のひと言は「奔放だったクララにも非があった」と言わんばかりの“男社会”に対する痛烈な問題提起である。
また、途中から男だらけの捜査チームに配属された女性捜査官が、「罪を犯すのも捜査するのも男性って変」と本音をもらす場面も。行き詰った捜査の再開を後押しする女性裁判官の存在も印象的だ。
「12日の殺人」が浮き彫りにするのは、未解決では済まされない男女の関係性。それは現代社会の縮図でもあり、本作を「今見るべき理由」にほかならない。
男が罪を犯し、
男が捜査し逮捕する。
殺された理由は女の子だから。
なんとも悲しい世界です。
犯罪に限らず、
政治や経済、紛争まで、
全て男達の戯れ事なのかもしれません