組織と個人の問題は、ミスマッチに尽きると思う。部活動で体罰が問題になっているけれど、体罰が無くなれば今度は手を出さないしごきが始まると思う。しごきと厳しい練習の境目はつきにくい。だから対処として嫌だと思ったら辞めればいいという流動性を確保するしか無い。
ブラック企業、厳しい部活。どちらもそれで成長した人が確かにいる。そしてそれがそうではない人にはわからない。わからない人が入るのは不幸な事だから、入り口のミスマッチを減らし、そして違ったと思えば辞められるようにする。組織は個人の為には変わらない、だから個人が組織を選ぶ。
努力は善と信じている組織がある。そうだと思えば入れば良いし、違うと思ったら入らなければいいし、辞めればいい。誰も強制はしていない。にも拘らず、僕はそうは思わないから押し付けないでほしいという。自分が選んで入り、毎朝辞めない選択をし続けている自分の姿が見えていない。
【終わり】部活と会社の違う点は、辞めにくさと、辞める事がステップアップになるかどうかという事。僕は企業も部活も組織の問題は法で語り後は個人の選択の自由に任せるべきだと思う。組織に”色”が無ければどう選んでいいかわからない。まず問題の原因に合わない場所を辞められないでいる個人がある
何とも豪華なチャリティ企画。レオナルド・ディカプリオが、ショーン・ペン主催のハイチ基金オークションで、ビル・クリントン元大統領との1日を20万ドル(約1600万円)で落札。 ow.ly/hfrHg
弁慶は大男ではなかった!?郷土史家の推定では、弁慶が151センチ、59キロで当時の平均身長に鑑みても大きい方ではないそう。ちなみに義経は144センチ、43キロ。ちょっと衝撃。<山梨日日新聞> ow.ly/hfrmC
ということは、短い期間でスポーツの指導も人間性の教育も何もかもを求めて、勝利という結果を至上のものと評価してしまう社会を変えない限り、根本は変わらない。そこの議論をせず、体罰を法律で禁止しようとしても、ほとんど無意味だと思う。
で、殴られて目が覚めるような人間関係だったら殴らなくても目は覚める可能性があるし、殴られても目が冷めないようなら、殴ることは無意味。こう考えると、殴る意味はいずれにしてもなくなる。ダメなのは、多分人間関係の構築が中途半端なままに自分の方を向かせようと焦って殴ること。
「体罰=体育科」だと思われたらそれはとんでもない話。体罰は体育がどうとかではなく、指導者の指導力や人間性の問題。さらには、家庭や親も含めた教育全般の問題でもあるだろう。教育や指導の場面であれば、いつでもどこでも誰にでも体罰というものは存在し得る。「絶対しない」とは誰も言えない。
アベノミクスは論理的に考えれば「富の偏在と階層二極化」を結果すると思います。でも、国民のみなさんが「それがいい」と思って選んだ政権ならしかたがありません。僕にできるのは、とりあえず市井のかたすみで「富の分配と階層の平準化」のために何ができるか工夫するだけです。
朝刊はどれも13年度予算の話。(1)借金をして(2)土木工事をすると(3)企業の収益を増えて(4)株価が上がって(5)賃金が上がって(6)消費が増えて(7)イノベーションが起きるというシナリオだが、(4)のところで「折れて」(5)につながらないような気がします。
現に、収益を上げても「国際競争に勝ち抜くためにはたえざる研究開発と市場開拓が必要で賃上げなんかしている余裕はない」と言って企業は労働者への「トリクルダウン」を拒んでいます。アメリカでも中国でも、経営者たちは個人資産を増やすことには熱心でしたが、分配には熱意を示しませんでした。
同じことが日本でだけは起こらないという保証は誰がどういう論拠でしてくれるんでしょう。「薄氷」の経済政策の隙間を縫って成功した人はリスク感度が高いがゆえに、大盤振る舞いするよりは「これから何が起きても自分だけは生き延びられるように」個人資産を退蔵することになると思いますけど。
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もっとオープンになるオバマのアメリカ | アメリカ | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト newsweekjapan.jp/stories/us/201… @Newsweek_JAPANさんから
スポーツ界に根強い「勝利至上主義」と、優勝実績と優勝候補になれば、「特別待遇と別世界の掟」が存在するという体質が、高校での体罰蔓延の問題として報道されてきた。とくに、個別の学校や指導者の問題であるよりは、さらに深い根が広がっていることにメスを入れるべき時期だと感じる。