iPadだけでは資料作成やマルチタスク(Evernoteやブラウザ見ながらの資料作りやSkype会議、添付ファイルの扱い、長文の記録)は出来ない。毎朝、iPadなのか、MacBookAirなのか、はたまた長時間充電が持つレッツノートなのか、考えて鞄に入れる生活は変わらないよなぁ。
[!]本日最も読まれたBLOGOSの記事はBLOGOS編集部の「『発想が非常に面白い』田原総一朗( @namatahara )、孫正義( @masason )・橋下徹( @t_ishin )を語る」でした。buff.ly/RkvgTp
記者クラブメディアは、次期政権が「自民・民主・公明の連立」となることを望んでいるのである。談合できるからだ。 ―― 生活・小沢代表 「原発に依存してしまった」 自民党時代を反省 - 田中龍作 buff.ly/Q3qvTk
未だに明治の臭いをプンプンさせている石原氏や平沼氏らが声高に叫んでいるのは、最後のあがきともいうべきものでしょう。 ―― 石原慎太郎氏の保守の再結集って? 要は「反動」の再結集ということ。 - 猪野亨 buff.ly/RkUWPY
10月30日14時時点のPV数ランキング第1位 - > 米国で広まる中国企業排斥の動き―肥大化した徳なき「大国」の自業自得《姫田 小夏》― goo.gl/eluAB
10月30日14時時点のPV数ランキング第2位 - > トリウム核エネルギー発電が日本を救う―原爆への転用懸念がなく、小型で安全、効率も高い《倉田 英世》― goo.gl/FIkha
世の中には、周囲から見ればなんでそんな事が楽しいのかと思えるような事に、夢中になってわいわい集まっている人達がいる。例えばスポーツもそうだろうし、コスプレや、アニメや、電車にはまる人などもそうだろうと思う。周囲に理解されるかどうかなんて関係がない。
みんなが楽しそうにサッカーをやっている。そこに誰かがやってきて”サッカーなんて意味がないよ。楽しいと思っているのは勘違いだよ。サッカーに夢中になっているのは外から見て変だよ”と声をかけてくる。こういう事が世間には往々にして、ある。
そもそも夢中には立派も意味もない。ただ楽しいからやっているだけで、社会からの抑止はそれが社会に迷惑をかけていないかだけ。迷惑をかけられても、自分と関係ないにも関わらず、それをジャッジする人達がいる。世の中に、価値のあるなししか、ない世界。
夢中になりなさい、将来に繋がるものに。そう言ってしまう事の矛盾に時々大人達は気付かない。夢中になる事は選べない。なってしまうものになっただけで、それが何に繋がるかなんてわからない。そもそも計算しながら夢中になんてなれない。夢中は衝動
なぜそれに夢中になるかなんて、説明できなくてもいいと思う。楽しい事や、人を好きになる事に理由なんてない。世の中は意味を求めるから、時々誰かが楽しそうな人達にインタビューするけれど、たぶん答えはないと思う。なんで砂でお城を作るのと子供に聞くようなもの。
【終わり】何かに夢中になるのは素晴らしいと言うけれど、それは夢中になれば成長したり仕事になったりするわけではなくて、夢中そのものが大事だから。世間には根強い価値基準があるけれど、それから解放された所に幸せの鍵があると僕は思う。
昨日紹介しました「葉っぱアート」( bit.ly/RgPI9b )の動画を教えていただきました。小さな葉っぱじゃなかった!大きな大きな葉っぱにも感動。作者の笑顔もステキ→<YouTube> ow.ly/eS1ee
[注目記事]石原氏国政復帰で注目の“第3極”と2大政党制わが国の政党政治はどこへ向かおうとしているのか - 出口治明の提言:日本の優先順位 bit.ly/TqiCGC
群馬県の梅干しの生産者の湯浅さんは、工場の屋根に太陽光パネルを取り付け、すべての電気を自給している。農業用機材もなるべく自然エネルギーでやりたいと思い、蓄電してフォークリフトや草刈り機などを動かしている。2年前からは軽四輪、自家用車も太陽光発電で充電した電気自動車を使っている。
小水力発電の勉強会での星野恵美子さんの話。低落差発電システムで新発見。流れの落差2mで30kwの発電ができることが分かった。一週間もあれば工事ができて設置可能である。
小水力発電の勉強会。茨城大学の小林久教授が「自然エネルギーにおける小水力発電の可能性」という題で話し始めた。日本には全国各地に網の目のように農業用水路がある。この水の活用次第で、きめ細かな発電ができる。地域分散型の発電。
小水力発電の勉強会。日本は年間平均降雨量1700ミリと豊富な水に恵まれている。急峻な河川はその雨を一気に海に流す。一方、農業用水は狭い日本を網の目のように流れている。その長さは40万kmと、何と地球を10周もする。農業用水を水田稲作だけでなく、発電にも使うとなれば一石二鳥である。
まるで無限労働を課してくるような冷酷極まりない社会の秩序は、多くの人々を飽食のみを至福と感じるしかない立場へと追いやり、国家に楯突かないことこそが分別ある振る舞いと錯覚させ、おのれの心と向き合う機会を奪い去り、牢乎たる決心をたちまち挫折させ、自分自身を消滅させようと煽るのだ。