光雲神社(てるもじんじゃ)より見る櫻並木
当社は戦国時代きっての知将として知られる黒田官兵衛孝高(如水)公と、その息子で初代福岡藩主の黒田長政公の御魂をお祀りしております。
両公は、全国的に有名な民謡「黒田武士」の育ての親であり、福岡の名付け親でもあります。社名は両公の法名から一字ずつを取って「光雲神社(てるもじんじゃ)」と命名されました。
母里太兵衛像
母里太兵衛は黒田二十五騎の一人であり、知勇兼備の武将で主君長政公の命を受けて福島正則公に遣わされた時、禁酒の太兵衛が、なみなみと注がれた大杯の酒を自若として飲み干し、太閤秀吉より拝領の福島家、家宝「名槍日本号」を持ち帰った話は有名であります。
なお、像の下部には全国で親しまれている「黒田節」の歌詞が刻まれています。
大水牛兜の手水舎
慶長5年(1600年)関ヶ原戦に徳川方の先陣を承った黒田勢は、旧岐阜市の東、合渡川に進軍します。連日の雨で増水していたが家臣後藤又兵衛の進言で、夜中、強行渡河を決行。ところが、長政公の乗馬が先頭で足を滑らせ、危うく河中に転落の刹那、川辺に立つ柳の枝に水牛の兜の緒がかかり幸運にも難を避けることを得ました。この勢いに黒田勢の士気があがり関ヶ原天下分け目の戦いの勝利に大いなる役割を果たすことができました。
光雲神社境内入口右側の水牛の兜像は、この長政公の幸運にあやかり篤志により制作、奉献されたものです。