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今出川通の南北6 京都御所 上

2021年10月02日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 京都御所の一般参観に行きました。清所門での参観手続きに際して、コロナ対策の検温、体調申告、アルコール消毒を行ない、次いで手続きの本来の手順である身分証明確認と記帳を行ない、皇宮護衛官による手荷物の内容検査も受けました。それから参観順路に進みました。

 同行者は、同志社大学在学中から近隣の京都御所へはよく見学に行っていたそうですが、私は今回が初の参観でした。「京都には長く住んでいるのに、なんで今まで行ってなかったんです?」と聞かれましたが、行く機会に恵まれなかった、としか答えようがありませんでした。

 同行者は、大学時代に王朝文学と朝廷空間の関連性について研究していたそうです。その朝廷空間の現存部分がいまの京都御所であるわけです。研究論文執筆のために10回余り参観し、それ以外でも散歩ついでに20回以上参観しているそうですから、よっぽど京都御所がお気に入りなのでしょう。そして王朝文学の代表例として源氏物語を学んでいたそうなので、京都御所に入れば、源氏物語絵巻の世界に浸れて最高に幸せ、だそうです。
 なので、京都御所に関しては何でも知っています。今回も楽しそうに、あちこち指し示しながら色々と詳しく説明してくれました。

 参観路は御所の約南半分を反時計回りに回る形で、春秋の限定期間における内部への進入ルートが省かれているそうでした。上図は先に外から見た宜秋門(ぎしゅうもん)の内側です。

 

 これは御所の玄関口にあたる御車寄(おくるまよせ)です。貴族や朝廷の面々が参内した際に使用する玄関です。それとは別に、本来ならば天皇自身の専用の玄関口がありますが、いまの京都御所の現存建築のなかには残っていないそうです。
 同行者の説明によれば、いま妙法院の大玄関となっている車寄部分がもとの京都御所の建物なので、ああいう形で過去に移築されている可能性が高い、ただし過去に火災や老朽化解体などで失われた移築建物も少なくないので、いま残っているかは分からない、との事でした。

 なので、現在においては南側にある大正4年新設の新御車寄(しんみくるまよせ)が天皇専用の玄関口になっているそうです。

 

 御車寄(おくるまよせ)の南に廊下で繋がる諸大夫の間(しょだいぶのま)です。参内した公家や将軍家使者の控えの間にあたります。内部は三つの部屋から成り、身分に応じて部屋が決まっていました。上図の右へいくほど身分が高くなり、右より「虎の間」、「鶴の間」、「桜の間」と名付けられます。

 その三つの部屋を外から覗き見ることが出来ました。それぞれに内装や畳の色、障壁の画題などが身分差に応じて分けられているのが観て取れました。

 

 諸大夫の間(しょだいぶのま)から南へ回り込むと、大正4年新設の新御車寄(しんみくるまよせ)の前に出ました。大正天皇の即位の礼が紫宸殿にて行われたのに際し、その馬車による行幸に対応するべく建てられました。さきの御車寄(おくるまよせ)と建築型式はほぼ同じですが規模が大きくなっています。

 上図右奥にみえるのは、紫宸殿を囲む廻廊の門のひとつ、西の月華門です。朱柱に白壁の、古代の平安朝スタイルの建物です。紫宸殿を含むエリアは、老中松平越中守定信が奉行を務めた寛政二年(1790)再興造営の際に平安時代風の復古的な様式を採り、それが次の安政二年(1855)の再興造営でも踏襲され、現在に至っています。

 すると、寛政二年(1790)再興造営の前、天明八年(1788)の焼失までの紫宸殿エリアは中世戦国期または江戸期の建築様式で建てられていたことになるのかな、と気付いて同行者に質問すると、そうですよ、と頷きました。

「東福寺の月下門、知ってますか?」
「うん、知ってる。鎌倉期の文永年間の移築やろ、あれ京都御所からの移築としては一番古かったっけ?」
「そうでしょうね・・・。あの月下門が、かつてのここの月華門なんですよ」
「あっ・・・、なるほど!そうか!読みが同じ「げっかもん」やな。移築後も同名のままでは恐れ多いから、華の字を下に改めて読みはそのままにしてるわけか・・・」
「そういうことなんです」

 同行者は、大学時代に京都御所の建築群を研究した際に、京都市をはじめとする各地に現存する御所からの移築建物も出来る限り見て回ったそうですので、それらについても大変によく知っています。いずれ機会をみて移築建物のほうも案内してもらおうかな、と思いました。

 

 紫宸殿の南の正門にあたる承明門(しょうめいもん)です。安政二年(1855)の再興ですが、平安時代風の復古的な様式にて建てられており、ここだけを見ていると平安京か、またはいにしえの平城京か、と思ってしまいます。同行者もこのスポットがお気に入りで、「ここに居ると源氏物語絵巻の世界にひたれますよ」と笑顔になっていました。

 現在では古い時期の建築を再興または復原する場合はこのように当時の様式に戻して建てるのが当たり前になっています。しかし、建築史学がまだ無かった江戸期においては、基礎資料が文献のみに限られていて、それらの調査のみで平安期の建築様式をこのように再現したというのは凄い事だと思います。この点はもっと評価されてよいのでは、と感じます。

 再興造営の奉行、松平越中守定信はいまでは色々と評価が分かれる歴史人物です。が、当時の江戸幕府が財政難と凶作の連続に苦しんでいる時期に、本人も内心では大反対であったものの、莫大な手間と費用がかかる復古様式での再建を選択しました。本人の主義がいわゆる折衷学派の思想に近く古典も重んじ、根底には文化活動への擁護に熱心だった面があった点にもよりますが、しかし幕府の当時の政治理念を超えて、日本という国の伝統文化を永らく後世に継承せしめ、日本民族の文化と誇りを子孫にしっかりと伝える、という信念のもとに再興事業を進めた、という点は大きく評価されるべきではないか、と思います。
 個人的には、松平越中守定信に関してはそんなに悪い歴史的印象は無かったのですが、今回の見学を通して、やはりひとかどの政治家だったな、と改めて思いました。

 江戸期を通じて幕府は朝廷に政治的には相当の圧力をかけ続けて無力同然にしていましたが、伝統文化の担い手で歴史の語り部であるという朝廷の本質だけはきちんと尊重して支援を行っていました。その最大の功績が、京都御所の二度の再興事業でした。費用は全て幕府がまかなっており、朝廷の負担は全くのゼロでした。
 政治的な対等を狙って費用を朝廷と折半にしようとした鎌倉幕府や、折半すら渋った室町幕府のケチ臭さと比べたら、江戸幕府の太っ腹さは見事なものです。現在の日本の政治レベルは全ての面で江戸幕府に劣る、とか言われていますが、案外的を得ているかもしれません。

 

 承明門(しょうめいもん)の南に位置する建礼門(けんれいもん)です。京都御所の正門にあたり、四方諸門のなかで最も格式が高いです。即位の礼など紫宸殿で行われる重要な儀式の際に天皇のみが出入りした専用の門でした。現在でも、天皇陛下および国賓が入洛した際にのみ開かれます。

 なので、諸門のなかで一番立派で装いも豪華です。ですが、江戸幕府の緊縮財政下にて建てられた再興建築なので、それ以前の豪華な様式の門と比べれば、質素の度合いが高いです。
 ちなみに、かつての建礼門の遺構としては、慶長年間(1596-1614)の建立とされる大徳寺勅使門が知られます。寛永十七年(1640)に大徳寺が後水尾天皇より拝領して移築したものと伝わります。安土桃山期の豪華な意匠と美麗なデザインが目をひきます。

 

 建礼門(けんれいもん)から承明門(しょうめいもん)の前に戻り、扉口の向こうに紫宸殿を望みました。

 

 古代の平城京では大極殿と呼ばれた建物に相当する、平安京の紫宸殿以来の伝統と名称を受け継ぐ現在の紫宸殿です。

 

 紫宸殿は、御覧のように外観上は近世建築の雰囲気が強いです。寝殿造の建物として、いちおう平安期の復古様式に倣うべく、当時の公家で故実家の左大弁裏松光世の考証「大内裏図考證」を参考にしており、平面構成、建具、円柱、板敷床などは平安期の形式が再現されていますが、屋根構造までは資料不足のために再現できませんでした。

 なので、屋根の形や構造は江戸期の技法による近世風のものにまとまっています。屋根は大きく、勾配が急であり、上部の切妻部分と、下部の寄棟部分との間に段差を設けて葺いた錣葺(しころぶき)になっていますが、平安期の寝殿造にはこのような急勾配の屋根はありませんでした。
 また、紫宸殿の軒を支える複雑な組物は寺院建築に使われる要素で、これも本来の寝殿造には有り得ません。柱の基部に用いられている礎盤も禅宗様建築の要素です。このように仏教建築のパーツも入り混じっているので、外観が近世建築の雰囲気になってくるのも無理はありません。
 ですが、文献調査のみからここまで平安期様式の再現を目指したという点が、ここでは評価されるべきでしょう。

 

 今回は前庭からの参観にとどまりました。私はそれでもう十分に満足でしたが、根っからの京都御所マニアである同行者はやっぱり物足りないようで、「出来たら秋の特別参観にも行きましょう」と提案してきました。
 ですが、コロナの昨今の動向および緊急宣言、まん防対策などの流れを見ていますと、夏秋にはまた感染拡大に向かうような気がするので、秋の特別参観は普通に実施出来るのかな?と疑問に思いました。

 この記事が公開される10月2日時点でも、まだ秋の特別参観に関する正式な発表はありませんでした。

 

 続いて建春門(けんしゅんもん)を見ました。御所の六門のうち、東辺に位置する唯一の門で、正門の建礼門(けんれいもん)に次ぐ格式を持つ門です。  (続く)

 

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