建春門(けんしゅんもん)から参観順路を北へ進み、上図の小御所(こごしょ)の横を通りました。この建物はけっこう新しい感じがするなあ、と思っていたら、同行者が「昭和33年の再建です。前の建物が昭和29年に鴨川の花火が燃え移って焼失したので・・・」と、察したかのように説明しました。それを聞いて少しガッカリしました。
「すると、あの慶応三年だったか、明治の王政復古後の最初の会議・・・、ええと、確か大政奉還後の徳川慶喜の処置と徳川家領の辞官納地が決定された「小御所会議」が開かれた建物はもう無いわけか・・・」
「はい、残念ですよね。歴史的な会議の場所でしたのにね」
小御所(こごしょ)は上図の庭園、御庭池(おにわいけ)に面して東面します。池を中心とした回遊式庭園の体裁をとっていますが、仏教の浄土系庭園の姿と大して変わりはなく、御所の東に位置し、東方薬師瑠璃光浄土の清浄空間を意識して造成されているものと思われます。
御庭池(おにわいけ)の西辺は洲浜となっています。その中央あたりから東へ突き出て並ぶ列石は、船着への飛び石です。左奥に見える大きな建物は御常御殿(おつねごてん)です。
この御庭池(おにわいけ)の造りは、さきに見てきた閑院宮邸跡の庭園と同じで、つまりは皇室系の庭園の特徴を示しています。
小御所(こごしょ)の北に廊下で繋がる御学問所(おがくもんじょ)です。江戸期の建築ですが、平安復古調の建物ではなく、当時の御殿建築の一般的な形式にて建てられています。城郭の御殿建築に通じる要素が随所に見られますが、それよりもこの建物が、慶応三年(1867)に明治新政府が発した「王政復古の大号令」 の宣告の場所であったことが、歴史的には興味深いです。
ですが、「王政復古の大号令」 という大変に重要な宣言は、明治天皇も出御なさってのことでしたが、なんで紫宸殿でやらなかったんだろう、と感じました。それを話すと、同行者は「皇室における最重要の公的儀式には該当しなかったからでしょう」と答えました。
では最重要の公的儀式とはどういうものか、と聞き返したら、「天皇の即位とか、元服や立太子とか、大嘗会とか節会とか、そういう皇室特有の儀式ですよね」と説明してくれました。なるほど、政治的な事柄とは区別しているのか、と気付きました。
北への参観順路は、上図の御常御殿(おつねごてん)の西側を通り、御庭池(おにわいけ)の北に繋がる御内庭(ごないてい)の所で折り返します。御常御殿(おつねごてん)は普段の天皇の住居空間にあたりますが、儀式や対面の場としても使われるため、表向きの紫宸殿や清涼殿と大して変わらない構造、格式にて建てられています。
外見だけ見ていると、江戸期には一般的だった御殿建築の様相を示していて、特徴はあまり目立ちません。ですが、同行者の説明によれば、この御常御殿(おつねごてん)のみが、内部空間の全ての部屋が畳敷きであるそうです。
御常御殿(おつねごてん)には幾つかの小殿舎が付属しています。上図右の建物もその一つで、迎春(こうしゅん)と呼ばれます。
私は最初「げいしゅん」と読んでしまい、同行者に「こうしゅん、です」と訂正されました。孝明天皇が書見(勉強)の場として建てさせたと聞き、要するに天皇の書斎だな、と納得しました。
迎春(こうしゅん)の北に並ぶ御涼所(おすずみしょ)の屋根が、御内庭(ごないてい)への通用門の奥に見えました。御涼所(おすずみしょ)は、その名前通り、京都の暑い夏を快適に過ごすための建物です。他と比べて風通しが良くなるような構造になっているそうです。
ここまでが、今回の一般参観路の北限でしたので、折り返して御常御殿(おつねごてん)の西側まで戻り、それから南側に回って、清所門までの帰路に入りました。
御常御殿(おつねごてん)の南側にて私の先を進む同行者。昨年秋にどういうわけか、嫁に来てくれたモケジョさんです。模型のほかに歴史や伝統文化がとても大好きな、いわゆる歴女です。特に京都御所が大好きなファンで、今回も色々詳しく説明しながら案内してくれましたが、特に御常御殿(おつねごてん)がお気に入りだそうです。
御常御殿(おつねごてん)の南側で立ち止まって、建物を眺め続けていた同行者。大学時代に王朝文学と朝廷空間の関連性について研究していたそうですが、朝廷空間の現存例として特に参考資料に選んだのがこの御常御殿(おつねごてん)だったそうです。
なぜかというと、建物の外も内も天皇家の私的空間としての装いで統一されている御常御殿(おつねごてん)こそが、天皇家の私的空間を舞台とした王朝文学たとえば源氏物語などに描かれる場所のイメージに最も近いから、だそうです。
なので、私よりも源氏物語に親しんでいて詳しくもある同行者にとっては、この御常御殿(おつねごてん)が光源氏の六条院(ろくじょうのいん)とかに見えたりしてとても楽しいのだそうです。彼女の学生時代の楽しかった思い出が、いまも鮮やかに生きている、のだそうです。
それで、立ち止まったままの同行者を、少し離れたところで見守りつつ、のんびりと待ちました。
御常御殿(おつねごてん)の西に隣接する御三間(おみま)も、時間をかけて眺めている同行者でした。どういう建物かと尋ねると、なにか楽しそうに、「天皇家の四季の行事の場となったところ。例えば涅槃会とか、茅の輪くぐり、七夕、盂蘭盆とか・・・」と答えてきました。
それらの四季の行事は、一般市民は寺社などへ行ってやっていますが、皇室は行事専用の建物を持っているのか、と感心しました。身分のこともあって社寺へ気軽にお出ましになれないから、御所のなかにこういった催事の場を設けたんだろうな、と思いました。
御三間(おみま)を見終えたところで参観路は終わりとなりました。上図の清所門より退出して、御所の築地塀の外に出ました。同行者の詳しい解説案内のおかげで、学ぶことも多くて大変に楽しかった、初めての京都御所参観でした。 (続く)