気分はガルパン、、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

龍と仁と天と5 仁和寺へ

2021年11月04日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 龍安寺を辞して、市道183号線「きぬかけ路」を西へ下り、上図の仁和寺東門をくぐった。仁和寺へは、平成10年の秋季寺宝展に行って本尊薬師三尊像以下を拝観して以来、24年ぶりの訪問であったが、寺のたたずまいは余り変わっていない気がした。

 

 今回は、まだ入ったことの無い本坊御殿エリアも見る予定であったので、まっすぐに本坊表門を目指し、途中で上図の勅使門の前を通った。古そうに見えるが、大正二年(1913)の建築である。

 

 本坊の表門に着いた。 慶長年間(1596~1615)の建立にて、国重要文化財に指定されている。もとは京都御所の女御御里御殿(にょうごおさとごでん)の西御台所門(みだいどころもん)であったもので、徳川家康の孫娘の徳川和子(とくがわまさこ)つまり東福門院の入内に際しての元和四年(1618)からの御殿新規造営により、旧の門が仁和寺に移されたとされる。

 

 本坊に入る前に一度表門のほうを振り返ったところ、二王門がその後ろに大きく見えた。なかなかの迫力であったので、つられて写真を撮った。

 

 本坊の御殿の東に白砂利を敷き詰めた石庭が広がるが、その北側の景色は伽藍の五重塔を借景として採り入れており、御殿の建築群とあわせて一枚の絵になるような景観が実現されている。

 

 ほぼ同じ位置から東側を見ると、左手前に勅使門、右奥に二王門が望まれる。

 

 本坊御殿は、宸殿、霊明殿、黒書院、白書院から成る建築群である。これらはもと寛永年間(1624~1645)の御所(現京都御所)建て替えに伴って旧の紫宸殿、清涼殿、常御殿などが仁和寺に下賜され移築されたものであるが、明治二十年(1887)に焼失し、明治末期から大正初期に再建されている。

 

 なので、再建とはいえ、現在の京都御所が造営される前の御所の建築群の様相を目の当たりに出来るわけである。5日前に京都御所の一般参観に行って安政二年(1855)の再興造営になる復古建築群を見てきたばかりなので、それ以前の御所の景観がある程度うかがえるというのは、興味深いことであった。

 

 白書院から北へ延びて左右に分かれる通廊。時代劇や映画のロケによく使われていたとかで、既視感があった。昔は時代劇ものが本当に好きで、「大岡越前」や「水戸黄門」や「暴れん坊将軍」をよく観ていたので、ここでの場面と思われるシーンも幾つか思い浮かぶのであった。

 

 通廊を左へ曲がると黒書院。いまにも徳田新之助が現れそう・・・。

 

 通廊を右へ曲がると宸殿であるが、個人的にはどうしても昔に観た時代劇ドラマのあの場面、とかを思い出してしまい、一人で笑ってしまった。  (続く)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする