仁和寺二王門から南に下って、門前町の風情が残る旧境内南端に至った。この辺り一帯の地名には「御室」が冠されるが、それが御室仁和寺の旧境内地の名残である。その南端は双ヶ丘の丘陵も含むので、創建当時の寺地がいかに広かったが伺える。
通りの突き当りの辻には、嵐電の御室仁和寺駅がある。15年ぐらい前に利用した時は、上図の古い駅名標のとおり「御室駅」であったが、平成19年に現在の駅名に改称されたという。
が、上図の古い駅名標はそのまま残されている。大正十四年(1925)開業以来の歴史ある駅名を顕彰する意味もあるのだろう。
御室といえば仁和寺、仁和寺といえば普通に御室仁和寺の通称が浮かぶので、御室と聞けば京都の人はだいたい位置も由緒も知っている。それだけならば御室駅のままでも良かったのだろうが、日本人以外の人々からすると、御室って何、どういう所なのか、仁和寺と関係あるのか、となるだろう。
しかも、インバウンドの波が高まっていた時期のことなので、海外からの観光客にも分かり易いように駅名を改称して、国際的な人気観光地の一つでもある仁和寺への玄関である事をアピールしたのだろうな、と思う。観光施策としては決して悪くないのだが、それよりはもっと重要であるはずの歴史的意義が薄らいでしまうのは否めない。
上図左端に見える駅舎部分が開業以来のままであるそうだが、ホームの屋根は建て替えられていて新しくなっている。平成に入って海外からの観光客が激増していた時期、元の小さな古い屋根は雨天時に役にたたなかったからであろう。
京都では相変わらず「鬼滅の刃」とのコラボが続いているようであった。二年前に太秦映画村へ行った時にもコラボイベントをやっていて、壬生寺であの羽織を売っていたりしたが、今回は京都鉄道博物館も加わったようである。人気アニメとのコラボは、観光施設にとっては儲かるイベントの一つになっているから軽視出来ないのだろう。
電車待ちの間、反対側の四条大宮行きホームに入ってきた電車。2010年の開業100周年を機に採用された新車体カラーの「京紫色」をまとっていた。
嵐電といえば、上半分が薄茶色、下半分が緑色のツートンカラーで長く親しまれてきたが、現在はこの「京紫色」である。個人的には、慣れるのにちょっと時間がかかりそうである。
嵐山駅に着いた。嵐山へは月に一度ぐらいの頻度で行くが、いつもはバイクで行っているので、嵐電利用で入ったのは数年ぶりであった。駅舎もいつしか改札が無くなり、ホームも延長され、足湯が出来、キモノフォレストとかいう電飾棒の列が林立し、構内に売店が並び、以前の落ち着いた風情は消えてしまっている。
一時はインバウンド需要をあてこんで駅舎の上階にカプセルホテルのファーストキャビンが入ったが、コロナ流行後の観光客激減のためにあえなく閉館に追い込まれている。いまの京都では何でもかんでも長期的展望にもとづく取り組みが無くなってしまっているから、いかなる新規の事業でも簡単に挫折してしまいやすいのであろう。
しかし、海外からの観光客が殆ど居なくなった京都の景色というのは、どこでも子供の頃に眺めたそれと大して変わらないので、個人的にはなんとなくホッとする。嵐山駅から北の清凉寺に続く通りも、国際観光地らしからぬ御覧の有様であったが、この程度でええんやないか、とも思った。
さて、今回の古刹巡礼のラスト、天龍寺の山門に着いた。龍は龍安寺、仁は仁和寺、そして天がこの天龍寺だったから、今回の巡礼記のタイトルを「龍と仁と天と」と安直に題した次第であった。 (続く)