甲府駅北口の「よっちゃばれ広場」の北東寄りに、上図の建物があります。何度か横を通っていますが、殆ど見ていなかったので、今回初めてまともに見ました。にもかかわらず、ものすごく既視感がありました。
劇場版キービジュアルの1枚、大垣千明のシーンの背景に建物の半分が出ているからです。
この建物は、現在は藤村記念館(ふじむらきねんかん)と呼ばれています。明治時代初期に旧睦沢村(現甲斐市亀沢)に建てられた旧睦沢学校の校舎を移築し現地にて保存利用しています。
ほぼ正方形の平面規模を持ち、一階二階ともに三室に分かれて計六室から成ります。明治五年(1872)九月の学制発布によって全国各地で建設が始まった小学校の建物のひとつで、現存する数少ない明治期の校舎建築として国の重要文化財に指定されています。
いまこの建物を藤村記念館と呼ぶのは、当時の山梨県令だった藤村紫朗が推進していた「藤村式建築」と呼ばれる擬洋風建築の姿に仕上げられたからです。当時の山梨県では洋風建築の建設が大規模に行われており、とくに藤村紫朗の県令時代に建てられた洋風建築は100件以上にのぼると推測されています。県内のどこの村にも一つはあるほど広まっていたようで、昭和に入ってから親しみを込めて「藤村式」と呼ばれるようになったそうです。現存している建物は県内各地に幾つかあり、全てが文化財指定を受けています。
建物は木造2階建、屋根は宝形造、桟瓦葺きです。外壁は漆喰塗の大壁(柱を塗り込めて外部に見せない方式)とし、窓回りのアーチ形や建物四隅の隅石形、各面の腰壁は黒漆喰で形成しています。
東側より斜めに見上げました。御覧のようにポーチおよびベランダ部分は洋式の列柱廊を擬しており、軒周りには軒蛇腹を設けています。洋式建築でいうコーニスにあたります。
さらにポーチおよびベランダ部分の天井は菱板透打ち(ひしいたすかしうち)としています。透打ちは古来は透垣(すきがき)の造作など細板または割竹を交互に打ち並べたものを指しましたが、ここでは菱板を 打ち並べています。
見上げると、なかなか目立つ意匠です。板をクロスさせる手法は和式建築には窓や扉などに多用されますが、天井はあまり聞いたことがありません。おそらくこれも洋式建築の天井のクロス模様や交差ヴォールトなどの影響を受けて成立したものでしょうか。
デジカメの望遠モードで観察しました。透かし打ちは方形の隙間をきれいに碁盤目状に並べてみせるだけでなく、内側にも空間を作りますので、通気性および換気性が向上して建物が長持ちします。
日本の古代からの公共建物は、高温多湿の気候条件に合わせ、天井板を貼らずに屋根裏まで吹き抜けに造った事例が多いです。天井板を貼ってもこのように透かし打ちにして屋根裏まで空気が通るようにするあたりは、日本の伝統的な建築技術が反映されています。
なので、この建物のように擬洋風建築といっても擬しているのは外観や意匠であることが多く、構造や技法などは江戸期までの従来の要素を受け継いでいます。そうでないと、気候に合わなくて建物がもたず、短命に終わってしまうからです。 (続く)