嫁さんが「ちょっと待って」と言ったので振り返ると、上図の閉じられた中門のほうを指さしていました。
「あの門から入ってここの春日住吉の神様を拝んでいた、ってことですね」
「ん?ああ、そういうことやな・・・。ただし、この建物が現在地に移されたんは明治期なんで、それ以前の構えをそのまま踏襲しているかは分からんけどな」
「あ、そうでしたね、移築されてるんだっけ・・・」
「基本的には以前の位置、つまりは金堂と御廟の中間の、いま朱塗りの鎮守社があるやろ、あれは多分、この建物を移築した後で、神仏分離で外へ移した春日住吉の神様を祀るために、元の位置に建てたんと違うかな。確認はしてねえけど、たぶんそうやないかなと思う」
「なるほどー」
続いて嫁さんは、再び石水院西面のもと内陣だった空間を見て「これは神仏習合の時代の名残なんですね」と言いました。
「そういうこと。他にはあんまり無い遺構や。昔は他の寺でもこういうお堂が在ったかもしれんけど、いま現存してるのはこの石水院だけや」
「だから貴重な価値があって国宝になってるわけですねー」
「それもあるやろうけど、中興開山の明恵上人以来の唯一の残存建築遺構、というのも大きな理由やろな」
「なるほど、はい」
続いて「そういえば、もとここに祀ってた春日住吉の神様ってどんなんなんですか?いまも現存してるんですか?」と聞いてきました。
「うん、現存してるよ。いまも高山寺にある。以前に特別展で「高山寺の至宝」ってのをやったときに春日神と住吉神の影像も出品されとった。鎌倉期から南北朝期あたりの絵画作品や」
「あ、絵なんですか、彫刻かと思ってた」
「御影像、というんでこれは画像になる。彫刻やったら御像とか御正躰、と呼ぶ」
「ふーん、昔の人はちゃんと呼び分けてたんですねー」
かくして石水院の見学を終え、山門より退出しました。
それから嫁さんが「表参道のほうも歩いてみたい」と言うので、石水院の門前から横に進んで上図の表参道に行きました。表というだけあって幅も広くて立派な石段の参道です。私自身の過去の二度の参拝も、こちらから登ったのでしたが、以前はもっと鬱蒼とした森に覆われていましたから、今回の印象は全く違いました。
表参道筋から石水院の方角を振り返りました。
石水院の杮葺きの屋根と白い土塀が林間に望まれました。昔のままの景色であり、そのエリアに台風被害が及んでいないことが分かりました。
嫁さんも「いい雰囲気ですねえ、自然に囲まれた素朴な住庵って感じ」とスマホを向けていました。
表参道を一通り歩いて、また裏参道に戻って石水院の白い土塀の下を歩きました。
そして行きに登ってきた石水院南面の崖面の石垣の連なりの中を降りました。途中で上図の連絡路の石段を嫁さんが指さして「これ登ったら石水院の南側に行けるわけですよね」と言いました。つまりは裏口であり、非常時の避難路としても機能したのでしょう。
しかし、何度見ても立派な石垣です。中世期のものか、近世期以降のものかは分かりませんが、少なくとも石水院が現在地に移築された明治期の造成ではないようです。積み方が古式で、一見すると乱雑に見えますが、崩れないように要所要所で石をしっかりと組み合わせて石垣全体の強度を計算して積んでいることがうかがえます。
こうした石垣を盛んに造っていたのが戦国期ですから、おそらくこの石垣も似たような時期に整備されて現在の状態になったものかと推定しています。
なので、離れたところから見ると、石垣の重なりが見事なほどに決まっていて、崖面をしっかりと固定していることが分かります。高山寺の境内地でなかったら、これは戦国期の城郭かと思ってしまうような造りです。高山寺の隠れた見どころの一つだと思います。
かくして下に降りてバス停に向かい、思った以上に楽しく興味深かった三度目の高山寺詣りを終えました。嫁さんも、念願だった金堂の初公開を見られて上機嫌でした。
来週もどっかへ行きたい、と言うので、じゃあ南禅寺あたりはどうかな、と提案しました。即座に笑顔で頷いた嫁さんでした。どうもこの頃は、模型よりもなぜか古社寺巡りに熱中しているモケジョさんでした。 (了)