特急「草津・四万」に乗って上野駅を発車した直後、座席の快適さのために寝てしまい、気付いたら上図の車両基地か貨物列車基地のようなところを通過中でした。寝ぼけつつもタブレットの地図で現在地を検索し、籠原駅近くの旧籠原運輸区および高崎車両センター籠原派出所であることを知りました。
長い車輛基地の複数の側線上に沢山の電気およびディーゼルの機関車が停まっていて、おおっ、と目が覚めましてそれぞれの機関車を見ていきましたが、撮影を忘れていて、慌ててなんとか撮れたのは上図の青い車体のEH200形だけでした。現在では在籍する24輌の全機が高崎機関区に配置されているそうです。
なので、このEH200形電気機関車は、後で高崎駅や前橋駅などでも見かけました。
高崎駅へ着く直前に撮った、最後尾の運転室です。乗ったのが1号車でしたから、上野駅発の下り列車においては最後尾になるわけです。それで車掌さんが乗っているかなと思いましたが、検札なのか、姿が見当たりませんでした。
それで運転室をしばらく見ていましたが、御覧のように室内のデザインもシンプルで、運転席が一段高く設けられていて視界が良さそうな感じでした。
13時33分、目的地の高崎駅に着きました。下車して上図の1号車前面のアングルを撮り、続いて側面を撮ろうとしましたが、発車して走り去ってしまいましたので、うまく撮れないままに終わってしまいました。
高崎駅の駅名標です。また高崎にやって来たんだなあ、と実感がこみ上げてきました。ですが、いつまでも感慨にひたってはいられませんでした。この日の聖地巡礼は半日以下しかないため、とにかく時間が貴重でした。
駅構内の人の多さにびっくりし、中央改札口の内外の混雑ぶりに驚き、なんでこんなに人が多いんだ、前回とまるきり違うぞ、と思いつつ、改札口を出て西側の上図のコンビニの一区画を見まして、撮影しました。人通りが多すぎて、上図の一枚を撮るまでに5分ぐらいかかってしまいました。
この区画に、作中で各務原なでしこ達が駅弁を購入した「弁当屋」のモデル店舗である「駅弁屋」がテナントとして入っていたのですが、昨年秋に閉鎖撤去されてしまい、隣のコンビニがフロアを広げていまの状態に至っています。
作中では、かつての「弁当屋」が中央改札口の西側に描かれています。元モデル店の正式名称は「駅弁屋上州1号店」で、高崎駅構内にはさらに2号店と3号店があり、2号店は中央改札口内の東側、3号店は新幹線の改札口内にあります。同系列の店が駅内に三つもあったわけで、効率化のために1号店を閉鎖した、ということのようです。
ですが、駅弁の販売はそのコンビニで引き継いで行われていましたので、各務原なでしこ達と同じように駅弁を買うことは可能でした。上図は、瑞浪絵真が買っていた「峠の釜めし」で、御覧のように豊富に並べてありました。地元の名産物だけのことはあります。
作中では、各務原なでしこが買った「33品目バランス弁当」と斉藤恵那が買った「とりめし弁当」も出ています。おそらく両方とも実際のモデル弁当が存在するのでしょう。
駅弁コーナーは二つありまして、もう一つのコーナーに色々な駅弁が並んでいました。それらのPOPのなかに上図の「鶏めし弁当」1300円のPOPがありました。
これが斉藤恵那が買った「とりめし弁当」のモデル品でしょう。箱のサイズやパッケージのデザインがよく似ていますし、他に似たような弁当が見当たらなかったからです。
続いて上図のPOPを見つけました。「30品目バランス弁当」1000円、これは大変に分かりやすいです。各務原なでしこが買った「33品目バランス弁当」のモデル品は間違いなくこれですね。
パッケージデザインもほとんどそっくりでした。紐を隅に斜めにかける点も同じでした。よしコレにしよう、と1個を取り出してレジへ向かいました。昼飯がまだだったので、この30品目バランス弁当を、後で再訪する横川の碓氷峠鉄道文化むらでゆっくり食べよう、と考えました。
それから次の聖地スポットへ向かうべく、高崎駅の西口を出ました。時刻は13時48分でした。次に乗る予定の横川行き列車が14時28分なので、持ち時間は40分しかありませんでした。今回も忙しいなあ、と思いつつ、駅のペデストリアンデッキから階下のバスターミナルの横へ階段を急いで降りました。 (続く)