京都鉄道博物館本館の二階にあがりました。建物は中央が吹き抜けになっていて、上からメイン展示の特急電車車輌3種を見下ろせます。
嫁さんに続いて、ぐるりと回りました。鉄道車輌を上から見下ろす機会は滅多にありませんが、鉄道模型Nゲージではいつものことなので、ああこの車輌はNゲージでも見たなあ、天蓋の形状とかそのまんまだな、などと思い出したりしました。
二階の展示には模型が多く、上図のNゲージの車輌も沢山並んでいました。鉄道模型店のショーウインドーよりも大きく長い展示スペースはさすがに迫力があり、各種の編成の列車が並んでいてもまだスペースに十分な余裕がありました。
「これ、Nゲージの色んな列車、ここの所蔵品なんですかねえ?」
「たぶんそうやろ、もとは大阪の交通科学館にあったのを引き継いでるかもしれん」
「あっ、そうか、そうですよね」
「ざっと見ると、殆どはJR西日本所管の列車みたいやな」
「でも外国の列車も混じってますよ・・・」
こういう展示は、最近にNゲージにはまり出して熱中している嫁さんにも私にも、興味深くて楽しいものでした。みんな欲しい、全部買い揃えたらいくらかかるんだろう、と嫁さん。
二階の展示を一通り見て回りました。半分ほどはジオラマ展示で、子供たちや家族連れのたまり場になっていましたので、それらは避けて進みました。順路に沿って最後まで行くと、連絡デッキへの通路に出て、上図の景色が見えました。東寺の五重塔が見えました。
連絡デッキを渡ると、SL第二検修庫と呼ばれる建物の頂上を通って下へ降りる階段がありました。SL第二検修庫の頂上には見学用の窓があり、のぞくと上図のようにSL第二検修庫の内部が見下ろせました。
C系蒸気機関車のものとみられる大きな動輪が三つ、レールの上に置かれていましたが、それ以外の本体や部品が見当たりませんでしたので、どこかへ修理か検査に出しているのだろうか、と思いました。
SL第二検修庫の頂上から下りていく階段は、東つまり京都駅の方向に向かっています。それで東海道線や山陰線の線路も望まれます。手前には引込線や駐機線が並びますが、左側の線路は京都鉄道博物館の専用線であるらしく、蒸気機関車が2輌見えました。
階段を下りながら左手、北を見ると、御覧のように梅小路機関車区の扇形車庫が見えます。中心の転車台から扇形車庫内へ伸びる線路の殆どに蒸気機関車が停まっているのが圧巻です。このエリアは、昔に見た梅小路蒸気機関車館の姿そのままであるようでした。これを取り込んで展示エリアの一角に組み込んだのが、いまの京都鉄道博物館であるわけです。
再び、引き込み線の左端の駐機線に停まっている蒸気機関車2輌に視線を戻し、デジカメの望遠モードで引き寄せて撮りました。9600形でした。ナンバープレートは9633ですから、9600形の34号機にあたります。
9600形は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道院が1913年から製造した、最初の本格的な貨物列車牽引用のテンダー式蒸気機関車です。誕生当時の正式名は「鉄道院第九六〇〇號形式機関車」であり、1926年までに770輌が製造されました。
「キューロク」の愛称で親しまれ、四国を除く日本全国の各路線で長く活躍しました。国鉄においては最後まで稼動した蒸気機関車でもあったため、石炭貨物列車に使用されていた北海道および九州を中心に、全国各地にいまも多数の静態保存機が残されています。
ここの9633は、2006年に「梅小路の蒸気機関車群と関連施設」として準鉄道記念物に指定されています。1972年の梅小路蒸気機関車館の開館当初は車籍を有する動態保存車でしたが、現在は除籍され静態保存となっています。
西に傾きつつある太陽がナンバープレートにまともにあたって、数字が見えにくいほどに輝いていました。車体が黒いので、金色の光彩が対照的にピカーッと目にも刺さってくるのでした。
「わー、まぶしい、まぶしすぎますー」
「ナンバープレートの枠とか数字が金色やもんな・・・」
「そういえば、これのNゲージ、持ってましたよね?・・・大井川鐡道の機関車、でしたかね?」
「うん、千頭駅に居るトーマスファミリーのヒロや」
「あ、あれも9600形なんですか。デゴイチかと思ってました・・・」
「ああ、あれはデフ板と砂タンクが付いてるから、パッとみたらD51形にも見えるな」
「そのヒロの9600形のナンバーは?」
「確か、49616やったと思う・・・」
「そうすると、4かける100に16プラス1を足して、417号機ですか」
「もう付け番の計算式、覚えてんやな」
「それはもう、教えて貰った事はしっかり覚えますよー」
9600形の後ろには、上図のC61形2号機が停めてありました。C61形は、1947年から1949年にかけて、D51形のボイラーを流用して製造された日本国有鉄道の急行旅客列車用テンダー式蒸気機関車です。33輌が製造され、主に東北や九州で活躍しました。東北本線、常磐線、奥羽本線、日豊本線、鹿児島本線などの地方幹線に配属され、旅客列車を中心に多くの列車を牽引しました。
上図の2号機は、D51形1109号機の改造機として1948年に三菱重工業三原工場で製造され、仙台機関区(現・仙台車両センター)の配属となって、東北本線や常磐線で活躍しました。のちに宮崎機関区に転属し、日豊本線で使用されたあと、1972年に梅小路機関区に移されて現在に至ります。
いま4輌が現存するうちの2輌の動態保存車の片方で、「梅小路の蒸気機関車群と関連施設」として、準鉄道記念物に指定されており、2018年頃まで引込線内にて「SLスチーム号」の牽引機として稼働していました。 (続く)