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ゆるキャン△の聖地を行く41 その6  アプトの道 第六トンネルまで

2024年09月17日 | ゆるキャン△

 ゆるキャン群馬キャンプ編の安中市エリア聖地巡礼、「アプトの道」の続きです。第六橋梁を渡って上図の第八トンネルに進みました。この碓氷第八トンネルは、明治二十五年(1892)9月の竣功で、全長は約91メートルです。先にくぐってきた第十、第九トンネルと同じ造りなので、同じデザインと工法で10のトンネルが造られているのかな、と思いましたが、実際には違いました。

 

 第八トンネルを抜けました。上図の標識は横川駅側だけに設置されていますので、今回のように熊ノ平駅跡から歩いていると、橋梁もトンネルも向こうへ付いてから初めて標識を見て番号を知ることになります。

 

 続いて第七トンネルへ。この碓氷第七トンネルは、明治二十五年(1892)9月の竣功で、全長は約75メートルです。全体的に保存状態が良く、御覧のように内部も竣功当時のレンガ積みのままで、後世のコンクリート補修の跡がほとんどありません。継ぎ目や退避抗も綺麗に残っています。

 

 第七トンネルを抜けました。この第七トンネルから、ポータルにピラスター(付け柱)が付いているのを見ました。上図の標識の後ろに見える柱状の造りがピラスターです。明治期のトンネルらしい姿です。先にくぐってきた第十、第九、第八トンネルとはポータルの造りが異なりますが、なにか事情があったのでしょうか。

 

 第七トンネルの前から右下の国道18号線旧線へと連絡する階段がありました。横川駅からタクシーに乗った時に通ったルートで、運転手さんが「あそこに橋梁がみえますでしょ」と教えてくれたのを思い出しました。

 

 その橋梁が、上図の碓氷第五橋梁です。明治二十五年(1892)11月の竣功で、全長は約11メートルです。

 

 道からそれて崖近くまで寄ってみたら、第五橋梁のレンガ造りのアーチが見えました。土台はコンクリートで補修されているようです。

 

 再び下流側の国道18号線旧線を見下ろしました。いっぺん道路まで降りてみようかと考えましたが、国道18号線旧線に降りたところでどうするか、という案もなく、時間が貴重でしたので止めました。

 

 第五橋梁から先は、上図のように切り通しとなっています。尾根筋をスパッと綺麗に切り下げてあります。尾根がもう少し高かったら、ここにもトンネルが通されたのでしょう。

 ちなみに、「アプトの道」の熊ノ平駅跡から横川駅までの区間において、このような切り通しの場所は他にありませんでしたので、上図の景色は割と印象に残りました。

 

 切り通しを抜けると再び橋を渡りました。碓氷第四橋梁です。明治二十五年(1892)11月の竣功で、全長は約7メートルです。

 

 道の脇に尾根を削平したスペースがあったので、その縁まで寄って第四橋梁のアーチを見ました。小さな橋ですが、レンガでしっかりと造られています。アーチを中心とする造りはトンネルのポータルと基本的には同じで、上端に笠石、その下に帯石がありますが、左右のピラスターは付いていません。

 

 続いてトンネルに入りました。「アプトの道」の10のトンネルで最も長い第六トンネルです。明治二十五年(1892)9月竣功で、全長は約543メートルです。内部には他のトンネルには無い明かり取り窓が並びます。

 

 明かり取り窓の一つに近寄って外をのぞいてみました。

 

 下に国道18号線旧線が見えました。明治十九年(1886)にそれまでの中山道碓氷峠越えルートに代わって碓氷新道とし完成した道路で、信越線の工事における資材運搬ルートしても機能したそうです。いまに残るトンネルや橋梁を形成している膨大な量のレンガや石材も、この道路で運ばれたのでしょう。

 

 第六トンネルの中央寄りにも上図のような明り取り窓があり、天井にも穴が一つあいていました。第六トンネルは最も長いため、工期短縮を図るために途中からも横抗の形でトンネルを掘り、途中の沢を後で塞いでトンネルにして通したそうです。天井の穴は排煙用の穴であるそうです。

 横抗は二ヶ所にあって、甲横坑、乙横坑と名付けられ、それぞれに横抗跡の明り取り窓が設けられました。上図は甲横坑の部分にあたり、横抗跡の明り取り窓が三つ、さらに天井には丸い排煙用の穴が設けられています。

 

 とにかく長いトンネルなので、ひんやりした中をしばらく歩くことになり、ちょっと寒くなってきました。両腕から背中まで冷えてきたところで、やっと上図の出口に着きました。

 

 第六トンネルの標識です。

 

 第六トンネルのポータルは、これまでのトンネルよりも立派でした。笠石、帯石はもちろん、ピラスターも完備しています。左右のウイング(翼壁)も立派に築かれ、アーチ環はレンガではなく堅牢な迫石(せりいし)を用いて造られます。キーストーン(要石)にあたる迫石は上端が帯石に接し、左右に連なる迫石は五角形に整形した特殊な楯状迫石となっています。楯状迫石は、スパンドレル部分の壁面のレンガと噛み合わせるようになっており、ポータルの強度を増す効果があるものと思われます。

 今回の「アプトの道」で見たトンネルの意匠としては一番しっかりしていて立派です。見応えもあって、明治期のレンガ造りポータルの教科書的事例を見ているようです。次に述べる第三橋梁とともに、信越線旧ルートの碓氷峠最大の目玉として建設されただけあって、当時の土木技術の粋が結集されたのでしょう。  (続く)

 


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