気分はガルパン、、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

ボンプル高校 ヘッツアー(プラウダ戦記版) 作ります!! その2

2022年11月15日 | ガルパン模型制作記

 塗装作業に進みました。作中車はカラーページが無いので車体色などが不明ですが、大洗女子学園カメさんチームの同型車輌と同じ仕様ですので、基本的なカラーも同じものと見なしました。そこで、車体色はミスターカラーの39番のダークイエロー、履帯やジャッキは28番の黒鉄色で塗装しました。

 

 作中車は車体前面と左側面に火焔模様を描いていますので、それに合わせることにしました。火焔は赤、火焔の縁は黄色と決めました。

 

 火焔の輪郭線を、作中車を参考にして鉛筆で描き入れました。

 

 車体前面の左側の火焔の下書き線です。見よう見まねで描きましたが、そんなに外れてはいないと思います。

 

 車体左側面の火焔の下書きがちょっと難しかったです。

 

 マスキングテープで周囲を保護しておいてから、327番のレッドFS11136で火焔部分をひとまず全て塗りました。

 

 続いて、4番のイエローで外縁を残して内側を塗りました。

 

 黄色部分を上図のように外縁のラインとして、再度327番のレッドFS11136で塗り重ねました。

 

 マフラーは42番のマガホニー、ワイヤーは28番の黒鉄色で塗りました。

 

 パールは28番の黒鉄色で塗りました。

 

 転輪のタイヤゴム部分はポスカの黒で塗りました。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く24 その9  甲府城の山手渡櫓門と山手門

2022年11月14日 | ゆるキャン△

 甲府での待機時間を利用して駅北口の「よっちゃばれ」広場の東にある甲府城山手門跡に行きました。甲府駅によって南北に分断されている甲府城跡の、北側の遺構復元区域にあたります。山手門とこれに付属する山手渡櫓門が復元されています。上図は山手渡櫓門を城内側からみたところです。

 

 山手渡櫓門の案内板です。甲府城の山手門を固める櫓門で、平成19年に復元されました。

 

 山手渡櫓門をくぐって山手門側からみたところです。外側の山手門とあわせて右折れの枡形を形成しており、城の北口を固める重要な防御拠点であったことがうかがえます。外観は江戸初期の築城当時の姿を考証して復元されています。

 

 甲府城跡の櫓門は、本丸地区においては本丸の搦手門にあたる鉄門(くろがねもん)が平成25年に復元されていますが、規模はこちらの山手渡櫓門のほうが大きいです。かつて本丸の南側にあった大手門櫓の構えも、ここと似たような左折れの枡形であったそうです。

 

 山手門の案内板です。城の北口にあたる門です。

 

 山手門は遺構そのものは発掘調査でも検出出来ず、現存する絵図や明治期の測量図、古写真などから、低い石垣の上に土塀を設けた追手枡形の塀を持つ、高麗門の形式をとっていたものと推定され、その姿で平成19年に復元されました。

 

 内側から見ると、御覧のように高麗門の形式であることが分かります。高麗門は慶長の頃から城郭にて用いられ始めた門建築形式で、豊臣政権期後半より全国の城郭で多く建てられています。

 

 次に乗る列車の時刻が近づきましたので、駅へと引き返しました。その途中で、上図の城の案内板を見かけましたが、御覧のように天守閣の復元案とみられる図が大きく示されていました。

 

 甲府城の本丸にはいまも天守台が残ります。以前の巡礼時に二度登りましたが、そもそも天守閣が建っていたのかどうかに関しては、最近まで議論や検証が続いていて、とりあえずは確証が無いために否定的見解が出されたと聞きます。

 ですが、甲府市の観光促進および市街地活性化の観点からは色々と注目され、史跡整備事業においては復元も希望されていたそうです。平成29年に、山梨県教育委員会が2年間の調査結果をふまえて、天守閣の存在を示す直接的な資料は見当たらないと結論付けたことにより、地元の天守閣熱はおさまったと聞きます。この種の要望は甲府城に限らず、どこの城でも出ていますね・・・。  (続く)

 

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ボンプル高校 ヘッツアー(プラウダ戦記版) 作ります!! その1

2022年11月13日 | ガルパン模型制作記

 ガルパンコミックのひとつ「プラウダ戦記」だけに登場する車輌は全部で5種類が知られます。そのうちの3輌は主役のプラウダ高校チームの所属、BT-5、KV-1、ISU-152です。そして1輌は聖グロリアーナ女学院チームのクロムウェルです。もう1輌はボンプル高校チームのヘッツァーです。

 

 これがボンプル高校チームのヘッツァーです。大洗女子学園チームの校章マークが付いていれば、そのままカメさんチームの車輌になります。こちらの作中車も、アニメ版のヘッツァーに合わせて描かれているようです。

 

 作中のボンプル高校チームの隊長は上図の3年生のプラツキさん、ヤイカの先輩にあたります。そのプラツキ隊長がヤイカの搭乗車に対して「4号車⁉ 突出しないで!!」と指示を送っています。

 この4号車はフファットと呼ばれていますので、史実のワルシャワ蜂起中の1944年8月2日にポーランド側が鹵獲したドイツ軍のヘッツァーが元ネタであることが分かります。実際のフファットは鹵獲された時点で車体の大部分が焼け焦げており、当初はバリケードの一部として使用されています。後に修理されたものの、バリケードを崩すことが認められず、戦闘に投入されることはなかったそうです。

 

 4号車フファットの車長ヤイカです。「リボンの武者」では3年生で隊長になっていますが、「プラウダ戦記」においては2年生です。7TP軽戦車が多くを占めるチームにて、最も火力が大きいヘッツァーを任されていますので、チームのエースであるようです。

 

 ヤイカの搭乗車フファットの描写です。御覧のように車体前面左側と左側面に火焔がデザインされています。史実にてポーランド側が鹵獲した時点で車体の大部分が焼け焦げており、つまりは炎上していたことに因むものでしょう。

 

  ヤイカの搭乗車フファットは各アングルからの描写があって大体の様子が分かります。車体の火焔模様が車体前面左側と左側面にのみデザインされている点も確認出来ます。

 

 大洗女子学園チームが初めてプラウダ高校チームと対戦し、包囲されて建物に逃げ込んだのと同じような状況を、ボンプル高校チームも経験したようで、建物の入り口にフファットが履帯を損傷しつつも陣取っています。

 

 そのフファットの再現製作に際しては、以前にサークルの譲渡会にて先輩F氏にいただいた、上図の製作途中状態のタミヤキットを活用することにしました。ミリタリーミニチュアシリーズの285番の製品です。

 

 組み立て工程は八割以上仕上がっているので、あとは転輪と履帯を組むだけで済むかに思われましたが、上図のようにマフラーだけが後期の簡易タイプになっていました。これは作中車のと違いますので、そのまま組み付けるわけにはいきませんでした。マフラーのパーツは他に無かったので、作中車のマフラーに合わせて自作することにしました。

 

 2種の太さのプラパイプとプラ板で上図のように形を合わせて自作しました。これでマフラーは完成です。

 

 履帯も組み立てて、塗装後に取り付けるべく分割しておきました。転輪も揃えて準備しましたので、塗装前の組み立てはマフラーの自作と履帯の組み立てのみで終わりました。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く24 その8  藤村記念館

2022年11月12日 | ゆるキャン△

 甲府駅北口の「よっちゃばれ広場」の北東寄りに、上図の建物があります。何度か横を通っていますが、殆ど見ていなかったので、今回初めてまともに見ました。にもかかわらず、ものすごく既視感がありました。

 

 劇場版キービジュアルの1枚、大垣千明のシーンの背景に建物の半分が出ているからです。

 

 この建物は、現在は藤村記念館(ふじむらきねんかん)と呼ばれています。明治時代初期に旧睦沢村(現甲斐市亀沢)に建てられた旧睦沢学校の校舎を移築し現地にて保存利用しています。

 

 ほぼ正方形の平面規模を持ち、一階二階ともに三室に分かれて計六室から成ります。明治五年(1872)九月の学制発布によって全国各地で建設が始まった小学校の建物のひとつで、現存する数少ない明治期の校舎建築として国の重要文化財に指定されています。

 

 いまこの建物を藤村記念館と呼ぶのは、当時の山梨県令だった藤村紫朗が推進していた「藤村式建築」と呼ばれる擬洋風建築の姿に仕上げられたからです。当時の山梨県では洋風建築の建設が大規模に行われており、とくに藤村紫朗の県令時代に建てられた洋風建築は100件以上にのぼると推測されています。県内のどこの村にも一つはあるほど広まっていたようで、昭和に入ってから親しみを込めて「藤村式」と呼ばれるようになったそうです。現存している建物は県内各地に幾つかあり、全てが文化財指定を受けています。

 

 建物は木造2階建、屋根は宝形造、桟瓦葺きです。外壁は漆喰塗の大壁(柱を塗り込めて外部に見せない方式)とし、窓回りのアーチ形や建物四隅の隅石形、各面の腰壁は黒漆喰で形成しています。

 

 東側より斜めに見上げました。御覧のようにポーチおよびベランダ部分は洋式の列柱廊を擬しており、軒周りには軒蛇腹を設けています。洋式建築でいうコーニスにあたります。

 

 さらにポーチおよびベランダ部分の天井は菱板透打ち(ひしいたすかしうち)としています。透打ちは古来は透垣(すきがき)の造作など細板または割竹を交互に打ち並べたものを指しましたが、ここでは菱板を 打ち並べています。

 

 見上げると、なかなか目立つ意匠です。板をクロスさせる手法は和式建築には窓や扉などに多用されますが、天井はあまり聞いたことがありません。おそらくこれも洋式建築の天井のクロス模様や交差ヴォールトなどの影響を受けて成立したものでしょうか。

 

 デジカメの望遠モードで観察しました。透かし打ちは方形の隙間をきれいに碁盤目状に並べてみせるだけでなく、内側にも空間を作りますので、通気性および換気性が向上して建物が長持ちします。

 日本の古代からの公共建物は、高温多湿の気候条件に合わせ、天井板を貼らずに屋根裏まで吹き抜けに造った事例が多いです。天井板を貼ってもこのように透かし打ちにして屋根裏まで空気が通るようにするあたりは、日本の伝統的な建築技術が反映されています。
 なので、この建物のように擬洋風建築といっても擬しているのは外観や意匠であることが多く、構造や技法などは江戸期までの従来の要素を受け継いでいます。そうでないと、気候に合わなくて建物がもたず、短命に終わってしまうからです。  (続く)

 

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プラウダ高校 KV-1(プラウダ戦記版) 完成です!!

2022年11月11日 | ガルパン模型制作記

 ステップ9では上下の車体を貼り合わせ、ベルト式履帯を組みます。ステップ10で砲塔をセットして出来上がりです。

 

 履帯は塗装後に取り付けますので、ステップ9とステップ10の工程は一気に進めて完了しました。キットには牽引用ワイヤーのパーツも含まれますが、作中車は未装備ですので不要です。

 

 塗装を行ないました。車体および車輪は全てミスターカラーの69番のグランプリホワイトを吹き付けました。履帯は28番の黒鉄色で塗りました。

 

 履帯を取り付けました。ベルト式履帯ですから起動輪にかませておいて起動輪と一緒にはめ込むだけでした。なぜ最近のキットはこのような楽なベルト式を避けて難しい連結式のパーツにしているのか、よく理解出来ません。
 出来栄えが良くなるから、塗装しやすいから、というのが主な理由だそうですが、連結式の難しさに辟易して戦車プラモの製作から遠ざかってゆく方が少なくないという事のほうが大問題ではないかと思います。

 

 機銃は上下とも28番の黒鉄色で塗りました。前照灯のレンズ部は8番のシルバーで塗りました。

 

 これで塗装は完了です。なんと楽なキットでしょうか。

 

 校章マークのデカールを、作中車に合わせた位置に貼りました。砲塔の左右側面に1枚ずつ、2枚貼りました。

 

 最後につや消しクリアを薄く吹いて仕上げました。つや消しクリアは一種の保護膜にもなるので、塗装面やデカールもコーティングされて、破損や退色などの劣化をある程度防ぎます。

 

 以上で、コミック「プラウダ戦記」のプラウダ高校チームのKV-1が完成しました。製作日数は、2022年4月27日から28日までの2日間で、組み立てから塗装まで全て通して実施しました。私のガルパン車輌再現製作の日数としては最短となりました。

 作中車はほぼ実車準拠で独自の要素も無く、車外装備品が一切無いシンプルな姿ですので、組み立て易いタミヤの製品を使えばすぐに組み上がります。履帯もベルト式ですぐにセット出来ました。こんな楽なガルパン戦車というのも滅多に無い気がします。

 

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ゆるキャン△の聖地を行く24 その7  内船から甲府へ

2022年11月10日 | ゆるキャン△

 南部橋東詰信号交差点エリアの聖地スポットを見終えて、10時14分に内船駅に戻りました。この駅舎もアニメ1期に何度か出ていますから聖地のひとつです。とりあえず10時17分発の列車には間に合いましたので、今回の南部町エリアの聖地巡礼コース、内船寺とうつぶな公園と南部橋東詰信号交差点の範囲は徒歩移動も含めて1時間20分で回れることを確かめました。JR身延線での聖地巡礼のルートのひとつが、これで確定しました。

 

 内船駅のこの景色は何度も撮ってしまいます・・・。

 

 ホームにあがって1分もしないうちに、レール上の走行音が南から響いてきました。

 

 10時17分発の甲府行きの普通列車です。時刻表通りの到着でした。これに乗って、終点の甲府まで一時間半の列車の旅を楽しみました。
 当初の計画案では身延駅にも途中下車しようと目論んだのですが、2日目のレンタカー利用でまた身延駅付近にも行くことになるため、1日目は身延への立ち寄りはやめて一気に甲府まで移動し、そこから次の聖地スポットへ回る案に決めました。

 

 11時55分、甲府駅に着きました。切符は最終目的地までの通しで購入してあったので、内船駅もここ甲府駅も、以後の経過駅もすべて途中下車が可能でした。今回はここは経由地で聖地スポットは一つだけですが、中央本線も列車の本数が少なくて時間的制約があるため、次に乗る予定の列車の時刻まで50分も待つ必要がありました。

 それで、この50分を昼食と駅付近の観光にあてることにし、まずは駅の南口ロータリーにある吉野家へ移動して、昼食を済ませました。それから駅構内通路を通って北口まで行き、ペデストリアンデッキから下に降りて「よっちゃばれ広場」と呼ばれる園地に入りました。「よっちゃばれ」とは、甲州弁で「あつまっている、あつまれ」の意味です。

 

 その「よっちゃばれ広場」の西側付近に、上図のような石垣の保存展示がありました。かつての甲府城の搦手口にあたる山手門の郭などがこちらに広がっていた名残です。

 江戸期には徳川家の支城の一つにもなっていた甲府城の旧城内は、現在はJR甲府駅によって南北に分断されており、本丸以下の主要部は駅の南側に位置します。そこへは以前の巡礼にて二度ほど行きましたが、駅の北側のこちらへはまだ行っていなかったので、今回の機会を利用して立ち寄ることにしたものです。

 

 現地の案内板です。その左の地図にて、現在の甲府城遺跡の東西の範囲が示されています。以前に行った駅の南側(地図では右側)の本丸以下の主要部が広くて全体の九割ほどを占めていることが分かります。今回は駅の北側(地図では左側)の残り一割の山手門郭とされる範囲を見てみることにしました。

 

 「よっちゃばれ広場」のほぼ中央に、上図の郷土の偉人とみられる銅像が立っていました。誰だろう、と思って近づいて台座の銘板を見ると、武田信虎でした。武田信玄の父親にあたります。駅の反対側の南口には武田信玄の銅像がありますから、親子で駅の南北を見張っているのか、気付いてと笑いがこみ上げてきました。

 

 歴史の上では武田信玄のほうが知名度がすば抜けていますが、甲斐武田氏が石和より甲府に守護館を移して躑躅ヶ崎館に定めたのは、父親の信虎の代においてであり、他も武田宗家の統一と甲斐国衆の整理統一を図って、戦国後半期の安定的な武田氏支配圏と統治機構を築き上げています。子の信玄はその基盤なくしては、甲斐の支配も近隣への進攻も出来なかった訳ですから、信虎の功績と史的意義は間違いなく信玄に匹敵するか、上回ると評価すべきでしょう。

 子の信玄に追放されて後は、駿河や京都に住み、後に室町幕府に在京奉公していますから、甲斐源氏第18代当主、武田氏15代当主、前甲斐守護職としての大名の格はそのまま保っていたようです。今川家との関係も継続しつつ京都でも幕府に関与した信虎の姿には、子の信玄と同じく新興の織田氏に対峙する基本姿勢がうかがえて興味深いものがあります。親子で不和になって別れても、織田氏との対立は同じであったのは、やはり甲斐源氏の誇りに共に生きたからでしょうか。

 30代の頃、甲府の歴史研究団体に参加していた頃には甲府にも五度ほど訪れて武田氏関連の史跡も幾つか案内してもらいましたが、よく考えると躑躅ヶ崎館といい、その詰めの要害山城といい、信虎の代に築かれたものが多かったなあ、と気付きました。現在の甲府市に受け継がれる碁盤目状の町割街路も基本設計は信虎の代に始まったものです。甲府市が駅前に銅像を建てて顕彰するのも当然のことです。  (続く)

 

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プラウダ高校 KV-1(プラウダ戦記版) 作ります!! その3

2022年11月09日 | ガルパン模型制作記

 ステップ6では車体各所の組み立てを行ないます。追加装甲パーツのC9、C36は不要です。
 ステップ7およびステップ8では砲塔を組み立てます。砲塔も追加装甲パーツは不要となりますので、ステップ7ではパーツC27の左右端をカットし、ステップ8ではC7、C13、C28、C29を不要とします。

 

 ステップ6で取り付けるパーツを切り出して準備しました。今回の作中車は登場シーンも少なく、ガルパン独自の仕様も見当たりませんので、キットはストレート組みで作れます。さらに牽引ワイヤーも未装備であるために、車外装備品の類が一切ありません。組み立ても塗装も楽です。

 

 組み上がりました。

 

 ステップ7の砲塔関連のパーツです。これだけで追加装甲が付かない状態の砲塔に仕上がりますが、背面部のC27だけが左右端に追加装甲分の厚みを加えているため、それらをカットします。

 

 組み上がった状態です。

 

 御覧のように、背面部のC27の左右端が、追加装甲の分だけ張り出してします。その張り出し部分をカットします。

 

 カットして仕上げた状態です。

 

 ステップ8に移りました。砲身と後部の機銃のパーツです。

 

 組み上がりました。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く24 その6  なでしことリンが会った場所

2022年11月08日 | ゆるキャン△

 南部橋東詰信号交差点付近の聖地スポットを回りました。回ると言っても、交差点の周囲にありますから数分程度で済みました。まずは交差点の北西の角にある、上図のニューヤマザキディリーストア南部内船店を見ました。一度中に入って、飲料を購入しました。斉藤恵那のバイト先のモデルとして有名ですが、アニメ2期第1話にも登場しています。

 

 この場面ですね。夜が明けない早朝に静岡方面へのソロキャンプに出掛けた志摩リンが、交差点で各務原なでしこと出会ったシーンです。なでしこがニューヤマザキディリーストア南部内船店で買い物していて、リンのビーノを見つけて道路を渡ってきます。

 

 リンのビーノが停まった位置を、ニューヤマザキディリーストア南部内船店の前から各務原なでしこの視点で見ました。

 

 あの位置ですね・・・。

 

 劇中シーンです。周囲の景観がほぼ実際と変わりません。強いて変化を挙げるとすれば、奥のエアコン室外機が新調されているぐらいでしょうか。

 

 各務原なでしこが志摩リンに近づいて行った地点の東側には、Aコープ栄店の富士見屋の店舗があります。緑とオレンジの屋根が特徴です。

 

 劇中でも右端にAコープ栄店の富士見屋の店舗の建物の一部が描かれます。緑とオレンジの屋根がそのまま出ています。

 

 なので、上図の場面でも、周囲の景観は実際のそれをそのままなぞっていることが分かります。

 

 そして、出発してゆく志摩リンを、各務原なでしこが手を振って見送るのでした。

 

 このシーンです。ちょっと高い位置からのアングルですので、ドローンにカメラを搭載して飛ばしたりしないと撮れません。

 

 この時点で時刻は10時3分でした。少し余裕があったので、Aコープ栄店の富士見屋に入って干し椎茸のパックを土産に買いました。
 我が家の夕食では、管理栄養士でもある嫁さんの提案により、週に2、3回の割合で椎茸やシメジや様々な具材を炊き込みにした御飯を作るので、干し椎茸は定期的に買う食材のひとつになっています。  (続く)

 

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プラウダ高校 KV-1(プラウダ戦記版) 作ります!! その2

2022年11月07日 | ガルパン模型制作記

 ステップ3およびステップ4では転輪や足回りを組み立てます。ガイドの指示通りに進めます。ステップ5では上部車体の各所の組み立てを行ないますが、追加装甲のパーツC9、C35は不要です。

 

 ステップ3で組み立てる転輪や前部の牽引ホールドなどのパーツを準備して並べました。

 

 組み上がりました。

 

 ステップ4で組み立てる上部転輪と誘導輪のパーツです。

 

 組み上がりました。

 

 ステップ5に進んで上部車体の組み立てに入ります。

 

 組み上がりました。

 

 作中車に合わせる追加工作として、上図のフェンダー上の四個の突起をカットします。

 

 仕上がりました。作中車はこの位置にボックスを付けていませんので、金具とみられる突起も不要となります。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く24 その5  南部橋東詰へ

2022年11月06日 | ゆるキャン△

 うつぶな公園の展望所は丘上の北東の尾根端に舞台造りで突き出すように設けられており、西側の富士川流域の眺望が南から北へ約180度開けています。南部町の中心地域がほぼ一望出来ます。
 上図は北西に見える南部城山エリアです。鎌倉期に在地土豪の南部氏が館と城を構えて室町期に至るまで街区をなした辺りです。富士川の対岸に広がる町並みの向こうに低く横たわる丘陵の中央が南部氏の山城跡にあたります。

 

 さらに北へ視線を延ばすと、中部横断自動車道の南部インターやその周辺の物流施設などが望まれます。

 

 展望所に設置される案内板です。眺望の解説や南部町の見どころなどが分かり易く示されます。ここが各務原姉妹の地元であるのだな、と巡礼ファン特有の感動にも浸りつつ見ました。

 

 原作コミック第13巻33ページ2コマ目の各務原なでしこにならって、同じアングルで記念の自撮り。聖地巡礼中の楽しさと高揚感と幸福感とで、どうしても笑ってしまいます。各務原なでしこのようにドヤ顔で「よしうまく撮れた!」とはなりませんでした。
 そういえば、各務原なでしこは自撮りの際にスマホを右手に持っています。私はデジカメを左手で持つので、自撮りポーズの構図が逆になります。
 うつぶな公園には9時27分まで滞在し、それから次の聖地スポットへ移動しました。

 

 もと来た道を引き返し、踏切を渡ってからは西へまっすぐに進んで上図の県道10号線の南部橋東詰信号交差点の南に出ました。

 

 信号交差点を西へ曲がって南部大橋のたもと付近まで進み、振り返って上図の景色を眺めました。アニメ2期第1話にこの付近のアングルからの景色が登場しています。上図左奥の丸い丘が、先ほどまで居たうつぶな公園です。

 

 劇中のシーンです。もう少し交差点寄りの位置からのアングルですね。中央奥の茶色の建物が南部町の南部分庁舎と総合会館で、その周囲の建物も実際の景観をそのまま描写しています。うつぶな公園の丘もそのまま描かれています。

 

 西を振り返って南部大橋を見ました。

 

 橋の北の富士川を見ました。上図左奥の支流は戸栗川で、これが南部大橋の北で富士川に合流しています。

 

 引き返して南部橋東詰信号交差点まで戻りました。ここで時計を見たら9時49分でした。交差点辺りのアニメ2期第1話のスポットを見てまわって、内船駅へ戻ることにしました。計画していた10時17分発の列車にはなんとか間に合うだろう、と考えました。  (続く)

 

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プラウダ高校 KV-1(プラウダ戦記版) 作ります!! その1

2022年11月05日 | ガルパン模型制作記

 ガルパンコミックのひとつ「プラウダ戦記」だけに登場する車輌は全部で5種類が知られますが、そのうちの3輌は主役のプラウダ高校チームの所属になります。BT-5、KV-1、ISU-152ですが、BT-5は製作済みですので、今回はKV-1を作ろうと思います。

 

 作中のKV-1は、ソ連軍の分類でいうKV-1の1941年型にあたるようで、砲塔はZIS-5タイプですが、追加装甲などは付けられていません。ワイヤー等の装備品類も一切無いシンプルな姿ですので、再現製作もそんなに難しくないだろうと思います。1/35スケールの適応キットとしてはタミヤのミリタリーミニチュアシリーズ No.372の品が挙げられます。

 

 ですが、手元には以前にフォロワーさんより譲っていただいたKV-1B、つまりソ連軍分類でいうKV-1Eのキットがありました。これの追加装甲を省き、31.5口径の76ミリ砲を41.5口径に換えて砲身を少し伸ばせば、だいたい作中車の姿になりますので、このキットを活かしてゆくことにしました。

 

 中身です。古い時期の製品ですが、タミヤスタンダードの品質と量と精度です。履帯は個人的に嬉しいベルト式です。あまり苦労せずに組めそうだな、と感じました。

 

 組み立てガイドも安定のタミヤだけあって見やすく、使いやすいです。

 

 ステップ1では車体を組み立てます。追加装甲のパーツC15、C18、C19は不要です。ステップ2では車体背面部や起動輪などを組み立てます。

 

 ステップ1で組み立てるパーツ類です。このキットは元々はモーターライズ品であったので、車体内部の底面には乾電池の据え付け表示などが残されています。

 

 組み上がったので裏返してみました。モーターライズ品の名残がスイッチ用の穴などに偲ばれました。底面は完成すれば見えませんから、修正工作はせず、このままにしておきました。

 

 昔のタミヤ製品は、御覧のように底面にタミヤマークや社名ロゴを入れてありますが、最近はこういったものも余り見かけなくなりました。

 

 ステップ2に進みました。ガイドの指示通りに組み立ててゆきます。

 

 組み上がりました。「プラウダ戦記」だけに登場する5種類の車輌のなかでは、組み立ても塗装も一番楽そうに思われましたが、実際にそうでした。ガルパン仕様というのも殆ど見当たらず、実車準拠になっているようなので、今回のキットは追加装甲を省く他はほぼストレート組みで行けそうだ、と思いました。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く24 その4  うつぶな公園

2022年11月04日 | ゆるキャン△

 案内表示板の辻から登り坂をたどっていくと、上図の広い駐車場に出ました。原作コミック第13巻31ページ2コマ目のアングルですが、少し引いて距離をとって撮りましたので、作中コマではカットされている右の休憩所兼トイレの建物が写っています。
 駐車場からさらに上へ登ったところが丘上にあたるようです。

 

 駐車場から頂上の公園までの比高差は15メートルぐらいでしょうか。

 

 駐車場にある案内マップです。園路は三つあって、駐車場の南、西、北西の三ヶ所から丘上に通じていますが、各務原姉妹が登ったのはどのルートだろう、と考えました。公園全体が春には桜で覆われるようですが、その密度は南側が最もあるような感じでした。南側の園路にそって駐車場から丘上へ桜並木が続いているからです。

 

 それで南からの園路を選んで登りましたが、これが正解でした。桜並木にそったこの園路のこのアングルが、原作コミック第13巻31ページ3コマ目のそれでした。各務原桜は丘上を見上げ、なでしこは北西方向の山並みの景色を見ていたのだと分かりました。

 

 園路を登りきると、公園の一番高い場所に出ました。左に東屋がありました。原作コミック第13巻32ページ1コマ目の左半分のアングルでした。ゆるキャンの作中画は、広角レンズで広い範囲を撮ったものを元にしていることが多いので、実際の景色を見た際にデジカメで同じように撮るのは難しいことが多いです。

 

 そして上図が原作コミック第13巻32ページ1コマ目の右半分のアングルでした。普通のデジカメは広角ワイドでの撮影が出来ませんから、同じ場所で約90度回って撮りました。

 

 右手の展望所が、各務原姉妹が景色を見て自撮りを行なった場所です。とりあえず、行ってみました。

 

 原作コミック第13巻33ページ2コマ目の、各務原なでしこのスマホ自撮りのアングルです。作中画はもっとワイドなので、上図よりも広い範囲が捉えられて周囲の景色も広がっています。

 

 展望所からは、南部町の中心地域がほぼ見渡せました。南には富士川に架かる南部大橋が望まれました。公園周辺の木々の葉は既に赤や黄色に変わりつつありました。紅葉のシーズンも近いのだな、と実感しました。  (続く)

 

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サンダース大学付属高校 T7コンバットカー(リボンの武者版) 完成です!!

2022年11月03日 | ガルパン模型制作記

 塗装作業に進みました。作中車はカラーページが無いために車体色が不明ですが、サンダース大付属高校チームの戦車はアニメ版でもコミック版でも同じカラーだろうと思います。それで、モデルグラフィック2013年4月号のガルパン特集記事の中の一つ「オリーブドラブ大作戦」にておすすめのシャーマンカラーとして採用された、タミヤの「エアモデルスプレーAS14」を使用し、アニメ版の劇中車と同じ車体色に仕上げました。

 

 砲塔の機銃は2丁ともミスターカラーの28番の黒鉄色で塗りました。

 

 履帯も28番の黒鉄色で塗りました。転輪のタイヤゴム部分はポスカの黒で塗りました。今回は履帯も組み付けてからの塗装となりましたが、履帯も転輪も大きいために塗り分けは容易に進みました。

 

 排気管は42番のマガホニーで塗りました。

 

 前照灯の内部を8番のシルバーで塗りました。レンズのパーツはキットに無かったので、ウェーブアイズのクリアパーツからサイズの合うものを調達して付けました。 

 

 車外装備品類を塗りました。金属部分は28番の黒鉄色、木製部分は43番のウッドブラウンで塗りました。

 

 実車の記録写真を参考にして車外装備品類をガードの内側に取り付けました。車体左側には鶴嘴の身と柄を取り付けました。

 

 そして車体右側のガード内には斧とスコップを取り付けました。

 

 作中車はサンダース大学付属高校選抜チームの車輌ですが、ケイ曰く「大人の事情でさー、サンダース付属高校の名前使えないんだ」との事で、校章も使えないために校章マークはありません。したがってデカールは不要であり、そのままつや消しクリアーを薄く吹き付けて仕上げました。

 

 かくして、サンダース大学付属高校選抜チームフライングタンカースのアリサ搭乗車、T7コンバットカーがコミック「リボンの武者」仕様にて完成しました。製作日数は、2022年3月15日から3月31日までと5月11日の18日でした。組み立てに17日、塗装に1日かかりました。

 今回はコマンダーモデルのガレージキットにて製作しました。が、入手したキット個体は成形不良が多く、パーツの過半に歪みや反りがあり、破損品も少なくありませんでした。それらの是正や修正、修理のほうに手間取りました。さらにパーツ自体の左右のサイズ差も生じており、削ったりヤスったりして可能な限り縮めましたが、完全に左右のフェンダーパーツのサイズを一致させるには至りませんでした。上図のように、左右のフェンダーの高さが約2ミリほどずれるという、一見しただけでは分からない程度にまとめるだけで精一杯でした。

 ガレージキットには、往々にしてこのような寸法狂い等の問題がつきまといますので、仕方のないものと割り切って製作しましたが、かえって良い経験になったと思います。

 

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ゆるキャン△の聖地を行く24 その3  内船寺の表と裏

2022年11月02日 | ゆるキャン△

 287段の石段を登りきると、上図の長い参道に出ました。奥に内船寺の本堂以下の建物群が見えました。上図の撮影位置が、原作コミック第13巻29ページ4コマ目で各務原なでしこが「到着っ!!」と石段を登り切ったポーズを決めた場所とみられますので、姉の桜さんは寺の裏手の駐車場から山門の前を通ってここまで歩いてきたことになります。かなり距離がありますが、妹がちゃんと来るか様子を見に行ったのでしょう。
 そして「あんた本当に体力ついたわね」とさりげなく言いますが、このあたりにも妹思いの姉の心情が察せられます。

 

 9時11分、参道を進んで山門前の石段に近づきました。既視感を覚えてコミック第13巻を開き、30ページの第71話の扉絵のアングルだと知りました。山門横に大きく枝を拡げる老木が、春には見事な桜の花を咲かせるわけです。各務原姉妹の桜めぐりはここからスタートしているわけです。

 

 山門は、珍しいことに唐破風形式に造られています。日蓮宗の古刹にはかなり見られる屋根形式ですが、本来は皇族や貴族等の特権階級専用の格式を示す屋根形式なので、鎌倉期より起こった新仏教の一派たる日蓮宗がいかに既存の権威や格式を否定していったかがしのばれます。
 現在の建物は江戸期の再建になるものですが、鎌倉期建治三年(1277)の創建時からこのような姿であったのかは、寺の案内説明にも言及がありませんので、よく分かりません。

 

 朝の静寂に包まれる境内に、襟を正して進み、とりあえず上図の本堂に向かって一礼しました。私の実家の宗派は曹洞宗で本山が越前の永平寺ですので、宗旨も教義も全く異なる日蓮宗の寺院にあっては余り踏み込まずに、謹んで一礼するにとどめています。以前の巡礼にて奥之院まで行った、身延山の久遠寺においても同様でした。

 第一、ここ内船寺は観光寺院ではなく公開もしていないようなので、あまり境内地に入ってウロウロするのもよくありません。すぐに辞して山門の外に退きました。

 日蓮宗サイトの内船寺の案内情報はこちら

 

 山門前から裏手に通じる道に少し進み、振り返って門脇の枝垂桜を再び見ました。参道の真上に枝が広がっているので、満開の時期には大勢の花見客が下をくぐるのでしょう。

 

 裏手の参拝駐車場に行きました。原作コミック第13巻29ページ3コマ目のアングルです。各務原桜がここに愛車ラシーンを停めて境内地に向かったのでした。

 

 参拝駐車場を抜けて北の出入口を通りました。上図の寺号標が、寺の裏口であることを示しています。各務原姉妹が再び車に乗って、次の桜の名所へ向かったのも、ここを通ってのことでした。

 

 そのまま道なりにぐるりと谷地を囲むように左へ廻り、少し降りていくと、左手に上図の分岐がありました。この分岐が、各務原姉妹が次に向かったうつぶな公園への進入口にあたります。

 

 進入口の案内表示板です。「うつぶな公園」と書かれた木製の表示板は、原作コミック第13巻31ページ1コマ目の描写そのままですが、下の「マレットゴルフ場」の看板は真新しい感じで、作中にも描かれる元の看板が小さくて目立たなかったために、大きな現在のものに交換されたのでしょう。

 ところで、マレットゴルフって何だろう、と思いました。それで公園への坂道を登りつつタブレットで検索し、日本の福井県で考案されたスポーツで、ゲートボールのスティックとボールをそのまま使い、ゴルフのようにプレーする競技であることを知りました。最も盛んにおこなわれている地域は長野県で、老若男女問わず大勢のプレイヤーがいるそうですが、関西では見た事も聞いた事もありません。いわゆるご当地スポーツの一種なのだろう、と思いました。  (続く)

 

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サンダース大学付属高校 T7コンバットカー(リボンの武者版) 作ります!! その8

2022年11月01日 | ガルパン模型制作記

 砲塔を仮組みして全体の輪郭や仕上がり具合をチェックしました。とくに問題は無かったので、次の工程に進みました。今回の制作にて最も手間がかかる履帯の組み立てでした。

 

 製作前の下準備にて、半数が不良や破損となっていた履帯パーツを苦労して修理し、必要な分は一応揃えてありました。上図右端のように、誘導輪に巻き付ける部分も作ってありました。

 

  製作前の下準備にて、履帯パーツを修理していた時点の画像です。履帯だけでなく起動輪も御覧のように割れていたのですが、これは繋ぎ合わせて直しました。

 

 実車画像を見ると履帯も大振りで非常に目立ちます。キットでも同様ですので、履帯だけはなんとかして完全な状態にして組み立てる積りでした。

 

 今回は履帯も塗装前に組み立てておくことにしました。塗装後に組み付けるのが難しい形状であるうえ、下手に破損するとやり直しがきかなくなってくるからです。

 

 レジンパーツは脆くて壊れやすいため、一個一個のパーツを慎重に繋いで組み付け、爪楊枝などを差し込んで接着固定しました。

 

 左右とも組み上がりました。ここまで組み立てるのに2時間を費やしました。レジンパーツですから瞬間接着剤を使いましたが、最初はうまくくっつかずにバラバラと外れ落ちたりして、難儀しました。

 

 この時点でも反対側の履帯の一部が外れたりしました。繋ぎ直してテープで仮留めしつつ、二度目の接着を行ないました。

 

 再び砲塔をセットして、塗装前の組み立てを全て完了しました。全ての作業工程が苦労の連続でしたので、達成感よりも疲労感と虚脱感のほうが強かったのでした。  (続く)

 

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