ブログ日記の末尾に、時々作家の素敵な言葉を添えるようにしている。
小説やエッセーの中で感銘した言葉に出会うと、メモして保存している。
先日、神戸新聞の文化欄に、直木賞作家の澤田瞳子さんのエッセーが掲載されてた。
澤田さんは全国の新聞社が主催する「高校生のための文化講演会」で、オンライン形
式の講演をしたことに触れた内容だ。
その時の質問時間に、一人の高校生が「僕は小説を書いていて将来は直木賞を目指し
ます」と発言した。
澤田さんは、次のような返事をしたという。
「嬉しいな。じゃあライバルだ。おたがい頑張りましょう。いつかご一緒できますよ
うに」
澤田さんは「彼とのしのぎを削る前に、今回、私は直木賞をいただくことになったが、
以来、頻繁にあの時のやり取りを思い出す。今回も落選して、将来的にあの彼と一緒
に候補入りできるなら、さぞ楽しかっただろうなとも妄想する」と彼とのやり取りし
た時の気持ちを、同じエッセーで吐露している。
何という素敵な言葉を高校生に贈ったのだろうと、感動した。
ありきたりの言葉で高校生を励ますのではなく、「嬉しいな。じゃあライバルだ」と、
「何を考えるより先に、こんな言葉が出た」(同エッセーから)というところがすごい。
高校生は、一生大事な宝物として心の中にしまい、直木賞作家を目指して精進するで
しょう。
「文学とは本来、平等であるべきだ。物語を紡ぐこと、読むこと、そして楽しむこと。
それは誰にも奪われるべきではなく、すべての人が平等に手にできてしかるべき権利
だ。当然、高校生も40代の女性作家も同じ賞の候補になったとて、何の不思議もない。
性差も年齢差も国籍の違いも、そこにはありはしないのだから」
(「直木賞に決まって」 澤田瞳子)
澤田さんの文学に対する真骨頂が、この一文に凝縮されてるように思う。
その澤田さんの小説から…
📚心に響いた名文📚
どんな教養も、飢えや貧困の前には一粒の麦ほどの価値もない。薄汚れた画幅
を名品と判じられたところで、病み衰えた男一人、救えはしないのだ。
澤田瞳子「泣くな道真―大宰府の詩(うた)―」(集英社文庫)
☂ 何日ぶりの雨だろうか、水滴が瑞々しい(3日朝) ☂