ハ-ブの中でも1年を通じて青い可憐な花をつけてくれるロ-ズマリ-。若返り・老化防止のハ-ブともいわれ、原産地は地中海沿岸、「海のしずく」「マリア様のバラ」とも言われるそうだ。葉を採った時の臭いが何とも言えない。同じように、アップルミントやスペア-ミントなどのミント類の葉も、周年採取でき、よくアイスクリ-ムや料理などに添えられているが、ちょっときつくて食べる気にはなれない。ハ-ブ茶ぐらいで、その他の料理での利用の仕方をあまり知らない私にとって、それぞれが持つ独特の臭いが癒しになる。
昨日、フィンランドのクリスマスについてのテレビを見た。日本で言えば正月のようなものである。24.25.26の3日間で、24.25日は家族を中心に親族で祝い、その他の友人等には電話等かけてはいけないそうである。クリスマスが近づくと家族で山にもみの木を採りに行くなど、当日に向けての準備を家族水入らずで楽しそうにしている情景は、何か心に響くもので今の日本人には欠けてきてしまっているものを感じたのは私だけであろうか。正月などの日本的な伝統文化なども、徐々に失われていくのではなかろうか。世界の文化風習について、いろいろ取り入れお祭り騒ぎをするのはいいが、その国でなければということを考えていかなければならないのではなかろうか。どこに行っても同じ店、ビル、何と味気ない日本の風景になりつつあるのだろうか。
話は変わるが、まだ庭ではカモミ-ルの花が咲いている。変な冬。
話は変わるが、まだ庭ではカモミ-ルの花が咲いている。変な冬。
富士山は雪の季節、雪に覆われた富士山は日本の象徴といわれるだけあって見る人の心を引きつける魅力ある山だ。秋にはキノコ狩りで中腹によく入山するが、今年は、例年たくさん見られる渡り蝶のアサギマダラが一匹も見られなかったことだ。アサギマダラは高山で見られるタテハチョウの仲間の蝶である。やはり温暖化の影響であろうか。
眺めるときれいな美しい富士、富士山を世界遺産にという話も出ているが、近くで感じる富士は車道の脇はゴミだらけ、温暖化だけでなく日本人にとってゴミの問題も切実な問題であろう。うわべだけよければ、自分だけよければという社会は、人間関係を含めすべてを崩壊の危機に導いているようにしか思えないのだが....。
眺めるときれいな美しい富士、富士山を世界遺産にという話も出ているが、近くで感じる富士は車道の脇はゴミだらけ、温暖化だけでなく日本人にとってゴミの問題も切実な問題であろう。うわべだけよければ、自分だけよければという社会は、人間関係を含めすべてを崩壊の危機に導いているようにしか思えないのだが....。
早朝の天気は、1時間の内にめまぐるしく変わる。4時過ぎ、全天雲が無くきれいな星空であったのが、ジョッギングを終え帰ってくると1面の雲である。自然の変化が凝縮されているような瞬間である。
寒くなるにつれ、ウォ-キングやジョッギングする人も殆ど見られなくなった。常連さんばかりで、その中にシベリアンハスキ-を連れているいつも挨拶を交わす人がいる。そういえば十数年前であろうか、シベリアンハスキ-を連れている人はたくさんいた、数年の間にその姿は見られなくなった。あの犬たちはどこへ行ったのだろうか。一時の流行で飼い、世話ができなくなったりすると平気でほっぽり出す。あってはならないことを平気でする。犬などの動物だけではなくそのような命を軽んずる気持ちが、人間の中に蔓延したら...。考えるだけで恐ろしいことである。
いつも会うシベリアンハスキ-は、かなりの年であろうがいい飼い主のもとでよかったなと思う。
寒くなるにつれ、ウォ-キングやジョッギングする人も殆ど見られなくなった。常連さんばかりで、その中にシベリアンハスキ-を連れているいつも挨拶を交わす人がいる。そういえば十数年前であろうか、シベリアンハスキ-を連れている人はたくさんいた、数年の間にその姿は見られなくなった。あの犬たちはどこへ行ったのだろうか。一時の流行で飼い、世話ができなくなったりすると平気でほっぽり出す。あってはならないことを平気でする。犬などの動物だけではなくそのような命を軽んずる気持ちが、人間の中に蔓延したら...。考えるだけで恐ろしいことである。
いつも会うシベリアンハスキ-は、かなりの年であろうがいい飼い主のもとでよかったなと思う。
晴れている日、富士山に傘雲がかかると天候が崩れる、また天候が崩れた後の傘雲は、やがて天候の回復を知らせてくれる。その他富士山に関する言い伝えはたくさんあるが、殆どあたっている。昔、八ヶ岳に登っていた頃、麓の山小屋のおばさんが天候の様子をぴたりと当てた。自然を眺め、毎日肌で感じる自然の変化を感じる地元ならではの観天は、すばらしいものである。
人も同じでつきあっていると、その人の表情で、その時の気分や感情を推し量ることができる。でも、昨今人の気持ちを推し量ることのできない人間が増加しているのは悲しい事実である。ス-パ-で子供が走り回っているのに注意しない親、自分だけよければいいと思う親は、やがて子供も同じ考えを持つようなことを自然に教えているのではないか。自分は何もやっていないのに人には厳しく、周りの思いやりは当たり前に平気で享受するような人間、自己中心的な人間にはなりたくないものである。
人も同じでつきあっていると、その人の表情で、その時の気分や感情を推し量ることができる。でも、昨今人の気持ちを推し量ることのできない人間が増加しているのは悲しい事実である。ス-パ-で子供が走り回っているのに注意しない親、自分だけよければいいと思う親は、やがて子供も同じ考えを持つようなことを自然に教えているのではないか。自分は何もやっていないのに人には厳しく、周りの思いやりは当たり前に平気で享受するような人間、自己中心的な人間にはなりたくないものである。