小梅の実も大きくなり、そろそろ採り入れの時期になっている。昔は、梅の中の青酸を取り除くために梅雨後に収穫したものである。子どもの頃、採り入れ間近になると、梅に塩をつけて食べたものである。今では、子ども達の自然体験でさえ神経質にセットされた計画の中で中で体験するしかない。これが、今の日本・・・・・。
コンクリ-トとアスファルトに覆われた町、環境破壊・地球温暖化・酸性雨等々、利便性を追求するがあまりの人間への自然の反撃であろうか。自然が無くなることは、生命体の絶滅を意味する。分かっているけどやめられないのが人間の欲の追求であろう。自然の破壊は欲の追求と裏表である。人への優しさなど口先だけの社会、悲しいものである。
コンクリ-トとアスファルトに覆われた町、環境破壊・地球温暖化・酸性雨等々、利便性を追求するがあまりの人間への自然の反撃であろうか。自然が無くなることは、生命体の絶滅を意味する。分かっているけどやめられないのが人間の欲の追求であろう。自然の破壊は欲の追求と裏表である。人への優しさなど口先だけの社会、悲しいものである。
ユキノシタの可愛い花が咲き始めた。子どもがまだ小さい頃、伊豆の渓流に釣りに行った時で一株採ってきたものである。今ではこの時期になると庭のあちこちで花を咲かせてくれている。葉は天ぷらで食べても美味しく、塩をまぶして葉の液を搾り取り口に含ませると引きつけや発作などに効果がある。昔から重要な薬草でもある。
昨年熱性痙攣(ひきつけ)で困っているお母さんが5才の子どもを連れて訪ねてきた。熱が出て痙攣が起こると、若いお母さんはびっくりするものである。ひきつけ自体は5分ぐらいでおさまるものであるが、どうにかなっちゃうと思い慌てて救急車を呼ぶこともまれではない。施術するほどでもないので話を聴き、帰りにユキノシタをもたせてやった。 環境破壊が叫ばれている今、昔からの生活の中で身近に考えられ使われていた薬草にもっと興味を持ち自然を大切にしていくことは重要なことですね。
昨年熱性痙攣(ひきつけ)で困っているお母さんが5才の子どもを連れて訪ねてきた。熱が出て痙攣が起こると、若いお母さんはびっくりするものである。ひきつけ自体は5分ぐらいでおさまるものであるが、どうにかなっちゃうと思い慌てて救急車を呼ぶこともまれではない。施術するほどでもないので話を聴き、帰りにユキノシタをもたせてやった。 環境破壊が叫ばれている今、昔からの生活の中で身近に考えられ使われていた薬草にもっと興味を持ち自然を大切にしていくことは重要なことですね。
新緑の木々の間ににツルを伸ばした紅バラの花が咲き始めた。新緑の木々に深紅の彩りを与えるその様は、感動を与えてくれる。この時期を楽しみにツルは余りきらないようにしている。手入れは殆どしていないが季節を感じ期待を裏切らない花を開花してくれる。
新緑に覆われた庭の片隅で、あやめの花が咲き始めた。格別手を加えているわけではない。季節を感じ取りひっそりと咲き誇るその姿に昔日のあぜ道で咲いていたその姿を重ね合わせる。日本らしさが失われていく今、あやめは日本らしい花だと感じて観照にふけるのは私だけであろうか。